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KSTF2022 BIG BANG!!!! かんそうぽつぽつ

昨日までKSTF2022の総合舞台監督をしていた。
あまりの労働量と台風における緊急対応などで、今、9月20日時点での僕の身体はもうボロボロだ。

昨日、講評会・閉会式が終わり、盛況のうちに幕を閉じた。
幕を閉じたっていうか解体した。もうあの公園には少しの備品と骨組みしか残っていない。
盛況のうちにも、かなり盛った。

Twitter上では各参加者の思いの丈や、観てくださったお客様の感想が散見される。もしかしたらインスタとかにもあるかもしれないし、そっちに行けばもっとストレートな感想なんかもあるかもしれない。僕はインスタをほぼやっていないので分からない。

しかし、祭りとはよく言ったもので、明日にはこの勢いもなくなり、来週くらいにはもう皆の記憶から消えていく。まるで花火のような事象として終わっていくのだ。

まあ毎年そういうもんだと思ってる。僕も今日はすでに別の仕事をしているし、明日からはまた別の現場が始まる。今度はスタジアムだ。


でもまあ、やっぱり名残惜しくはあるし、なんとなくTwitterにも書いたのだが、珠玉の1枚と感想を書いてみる、というのに対してちょこちょこ関係者からいいねが付いていたので、短文ではあるが書いてみようと思う。
せっかく交流のあった方々と、終わったあとにあまり話せなかったから、感想も伝えられたいない。
開催中なんかはフェアな立場を守るため、こちらから言うことも禁止していた。テクニカルチーフのスタッフ3人はそれを徹底していた(つもり)。


ということで、ぽつぽつ書いていこうと思う。
が、その前に最初に書いておくと、僕は審査員でも批評家でもなんでもない。ただ、舞台監督としてついていた人でしか無いので、高尚なものを求めないでくれると助かる。
思ったことを書いているだけにすぎない。
当人たちが見て嫌な気持ちになる部分も、多分、間違いなく、あると思う。言葉も丁寧にできるほどガソリンが残っていないのもある。
「ああ、おっさんがなんか言ってるなあ」くらいに思ってほしい。
あくまでも個人的感想であることをご留意願いたいし、僕に大した影響力もない。
そして、ここに書く感想は、少なからず関わった自分にも跳ね返ってくるものであり、反省文のようなものでもある。



Aブロック

コシピカ(立命館大学)『自殺少女』

冒頭 ソースフォーのゴボを、明るい時間帯に急遽差し替えた為、上手くいっていなかった

タイトルにある通り、1人の少女が自殺(の予行演習)をするところから物語がスタートする。そして、その少女の姉がそれを見つけて、止めようとするが、余計に首が絞まりマジに死にそうになりながらも窮地を脱する。

ここまでがほぼセリフ無し、美術もちゃぶ台のみ、照明で縄を表現するだけというめちゃシンプルなワンシーン。ここまでがとても面白かった。
これからどうなっていくんだろう、というワクワク感があった。一日の長を感じた。
しかし、そこからの会話劇で、そのワクワクを超えることはなかった。

多分、感情の起伏に全くついていけなかったからだと思う。
重い題材を軽やかに見せる、重心の軽さは独自の武器なのだろうとも思ったが、それが今作の武器になるほど磨き抜かれている印象も無かった。


共通舞台(京都大学、京都芸術大学)『Why theatre? Why you?』

長時間露光で遊ばせてもらった。記録撮影の域を超えていると思ったが、作品がそれを許容してくれるとも思ったので、共通舞台の写真の半分はこういったイメージカットに近いものに仕上げた
ベタだけど、一番かっこいい

全団体の中で、一番面白く観させてもらった。
演出二人体制の強みが遺憾なく発揮されており、撮影中にずっとドキドキが止まらなかったのを覚えている。

試演会で観たときからすでに面白かったが、その時点では俳優の身体の強度がかなり低かったのだが、仕上がった状態を見て、感嘆した。

個人的な話にはなるが、僕は現在33歳で、30代ともなると、10~20代の悩める時期における「自分語り」というのを聞くのが、どんなトークテーマのものであれ、こそばゆくなってしまう。恋愛だろうが仕事だろうが友情だろうが思想だろうが。

これはまあ40代になれば30代のが、50代になれば40代のが〜、となってしまう一種の通過儀礼のようなものだと思う。しかし、とにかく僕は今30代なので、自分が通ってきた「若さゆえのほにゃらら」は、自分の失敗とかとセットで浮かび上がって来てしまう為、とにもかくにもこそばゆい。
自分語りが決して嫌いなのではない。過去の自分が一緒に現れて、自分の恥ずかしかったところとかも一緒に見せられているような気になってしまう場合があるのだ。

だから、自分語りを聞くこと自体は好きだ。余計なお世話を言ってしまいそうになるくらい前のめりになって聞いてしまう。
しかし、こそばゆくもある。

ただ、こそばゆくない様に感じる瞬間もある。
それはおそらく、その人自身がその語りに対してどれだけ客観性を持っているだろうか、というのも大いに関わっている。多分。

この共通舞台の作品の、テキスト部分は全て、言ってしまえば自分語りである。しかし、全ての俳優の身体も含め、全ての仕事がシナジーを起こし、逆に強烈なシンパシーとなって中途半端な他人事さを無くしてくれていた。
自分ごとのように感じさせてくれていた。


一つだけ、気になっていることがあるとすれば、僕は撮影で入っていたので「客席に縛られず」に観させてもらえたのだが、椅子に座っていた皆さんはどうだったのだろうか。
これは極端な話、自分で好きなところに座布団を置いて観れた方がもっと楽しめたのでは?いやでもそれは、劇場とクラブをかけ合わせたことにならない?分からない。
コンペのシステムのこともあるので、僕はここではないどこかでこの作品を観たかった気もした。


追記:村上くんは、大賞を獲れなかったことを本当にボコボコに凹んでいるみたいなんだけども、マジで10年20年30年作品を作り続けることにだけ、リソースを割いていってほしいと思う。


劇団 片羽蝶(大阪工業大学)『星の産声』

8団体の中で、一番鈴虫の音が美しく聴こえたシーン

設定過多だったので、1時間30分くらいで観たかった。
これくらいのサイズの劇場で、美術もしっかり作って、ある設定を全て盛り込みつつ、でもその上でちゃんとダイエットもさせて、観せてほしい。

試演会の時点で、この作品はランタイムをめちゃめちゃオーバーしまくっていて、どうやらすでにダイエットさせまくっていたらしいのだ。
しかし、このままでは観客投票の点数が激減してしまう為、さらにどうにかダイエットさせなければいけない。ダイエットというかもう減量。ボクサーとかボディビルダーばりの、体脂肪9%を8とか7にするくらい過酷な作業。

演劇祭のシステムは、見た目上シンプルに思うが、いざ作るとなるとめちゃめちゃ難しい。45分以内に収めなければいけないし、観客投票の点数も獲得したい。しかしバリバリの審査員達の目にもとまるだけの尖り方も必要で、しかしスタッフワークにはある一定の制限がなされる〜〜〜、って考え始めた時に、果たして自分たちの作りたいものが作れるのか?!
逆に言うと、それを上手く利用できる人たちが勝てるような仕組みになっている。

まあ話が逸れたが、とかく、脚本の西島くんのやりたいことが詰め込まれまくった作品。適切な筋肉量、体重、体脂肪率に調整しなおして、再演するだけの力はあったのではないだろうか。

あ、あと、西島くん自身のコミカルなキャラクター性とは打って変わって、セリフがキレイだと感じる瞬間が何度かあった。めちゃめちゃ失礼な話である。


Bブロック

劇団洗濯氣(京都橘大学)『But fly』

母との別れ、旅立ちのシーン。個人的にこういうのに弱い
奥幕照明かっこいい

ダークソウルとドラクエを足して2で割ったような設定の物語。しかし、主人公たちは羽がついているので、人間ではなく、宣伝美術から推察するに蝶?つまり、虫人間?でも、フェアリーっぽくもある。
とかく、西洋ファンタジーをベースにしたゲーム作品の影響をどうしても感じてしまう一作。

で、感じてしまうこと自体は良いし、影響を受けている事自体は、それはもうものづくりするのであれば全ての人に起きていることだから、それ自体は気にならないのだが、演劇としてただただ暗転が多く、物語に集中できない。そして登場人物たちの心情に感じ入れたのは、写真にあげた母との別れ、旅立ちのシーンだけで、あとは世界観・設定の説明セリフの羅列でしかなかった。
そうなるともう頭の中は「どういった作品から影響を受けているんだろう」の方がずんずん膨れ上がっていくのみ。

生贄になるものは雌雄を身に宿すというような設定も、「そうなんだ」と思う以上のことが無く、最後に奥幕を活かした照明で「おお」となり、「はて…」とならざるを得なかったというのが、正直な感想です。


ちゅ〜ぺっと(近畿大学)
『シン・合法演劇』

気づいたらシャッター切ってた

一番感想が書きづらい作品。
面白かったけど、面白くなかったし、面白くなかったけど、面白かった。

共通舞台さんの段でも書いたのですが、自分語りはこそばゆい。
はずだったんだけども、そんなことも無かったってのがまずあって、なんでかな。俳優陣の地力かな。

演劇好きなんだなってのはもう本当にバチクソ伝わっていて、ぎゅるぎゅるするし、救われる気持ちも共感できる。
創るってなんでこんなに歯がゆくて、しんどくて、お腹ぎゅるぎゅるして、目から血の涙流さなあかんのやろ、って毎回毎回思うんやが、でもまた創っちゃってる自分がいて〜、ってこと考えたりもした。共感はできる。

けど、板の上に乗っている「時間」「起きている事象」が単調だった。

「『あえてやらない』を選んでいた演出」と岡田くんが書いていたけど、なるほどと思う一方、じゃあもっともっと「やらない」「使わない」の方向に振っていく瞬間ってのもあったらどうなったんだろう、とか思ったり。

個人的には演劇を観る時に「体験」を求めている部分が大きい。

別に、冒頭みたいな派手なことをもっとしれくて、ってことじゃあなくて、例えば逆に、空気が張り詰めて、役者だけじゃなくあの空間全ての誰もが唾飲み込むことすら叶わず、俳優が指先一つほんの1ミリ動かしただけで、ドキってするような「時間」が見せられたはず。その可能性があった。



あと、作り手を経験したことのない人に、この作品はどう映るのだろうか。
作り手を経験しなかった人生を選んだ僕、というのはあまり想像出来ないが、ほぼ共感できず楽しめなかったんじゃあないかな、というのが僕の感想である。

もう一度書くが、冒頭のシーンのようなことだけを求めているわけじゃあない。エンタメに振ってほしいわけじゃあない。


追記:作・演出の赤井さんは「初の有観客」だったらしい。
僕は、「有観客を経験していない」人の気持ちにはなれない。
しかし、同じ「有観客を経験していない」人たちには、僕にはもう想像の及ばないぶっ刺さり方をしたんじゃあないだろうか。そういう人たちも含め、救う作品だったのだとすれば、なんと素敵な作品なんだろうか。



Cブロック

劇団ゲスワーク(京都大学 等)『革命前夜、その後』

1ステ終わった時点で宣伝に使ってほしかった写真。ネタバレ気にするのも分かる
派手さはないが、撮れてよかった

全ての仕事が高水準でまとまっていて、特に演出に関してはかなり研究しているなという印象の作品だった。

ただ、文字数を追いかけることが、物語の推進力を高めていたとはあまり思わなかったのと、中・高校生の頃にスクールカーストピラミットの地中に埋まっていた人間としては、主人公の陰キャ感は、ただただムカつくだけだった。
でも、そのムカつくっていうのも、過去の自分が隣に現れているとも言えるので、作品に揺り動かされていたのかもしれない。

でもまあ、ああいうある種の恵まれた環境を活かせない人間げあるということが、陰キャの所以なのかもしれない。

机と椅子をバコバコに床に叩きつける演出は、リノとかパンチとか敷いてないからOK出せない、って場合もあるから全国学生演劇祭では、ヒアリングされる前からすぐに確認した方が良いよ。気をつけて。


ダンディ談義(関西大学)『スマートショー』


おじさん役の人がむかつく良い演技をしていた

「世にも奇妙な物語」にありそうな話。
こういうタイプの物語って、人の心のあさましさ、やらしさ、意地汚さとかそういうダークな部分を、環境とか状況、理不尽なイベントによって露出させるっていうのが定型文なわけだけど、ダークな部分が出てきた後が特に何も面白くなかったかな。

別にそういうのって誰でもどこかしら持ってるから、出てきたとてびっくりはしても、どこか距離をとれば良いだけで、作品を観る場合は、心を閉じて無関心になれば良いだけなんだけど、「いやいや、なんか分からんが、見たくないのに、関心を持ちたくね―のに、この後一体どうなっていくだ!!」っていう気持ちにさせられたら最強なわけじゃん。ホラー映画とか。

でもそれが無かったなぁ…って思いました。

ダークな部分が出てきたあとに、じゃあそれを踏み台にこの物語は一体どういう展開に走っていくのか。そこを見れなかったので、叫び声もただただ虚しく響くだけだった。



京田辺、演劇ないん会(同志社大学)『星の王子さま』

「星の王子さま」の感想というよりかは、ないん会、ますのこ君への感想になってしまうな。

去年、猟奇的な科学者として出演していたますのこ君が、今作では学者とバラとして出演。
彼の演技は、なぜか僕の脳裏に残っていて、その話を他のスタッフにもしてたら皆一様に同じ感想だった。

多分キャラクター自体が、要はヴィランなので、印象強かったというのもあるが、ますのこ君の演技自体に何か力を感じたというのもあるだろう。

試演会で拝見させていただいた時にもやはり一番目を引いた。
バラという女性(あえてわかりやすくこう書く)を演じている彼の靭やかさだけが、全てのキャラクターの中で抜群に異質で、それなのに作品を崩さない、特殊な力を感じさせられてしまった。

もちろんそれは、ある一定の技術を感じると同時に、逆にもっと「何もしない」という演技ができるかという疑問も感じた。


最後に、暗転の代わりにブル転を使っていたのだが、多い。暗転じゃないけど、同じく集中できないのである。安全の観点では良いのだが、演出構成の時点でどうにかできるように、ノウハウを継承していってほしい。


EXブロック

大体知り合いで、個人的に感想を伝えたからここには書かない。写真だけ貼っておこう。



カバー写真にゆとりユーティリティを使ったのは、写真のシーンのセリフが「ビッグバーーーーーン!!!!!!!」だったから。

ヲサガリさんは、僕のスケジュール上撮影が出来なかった。本当に申し訳ない。




ぽつぽつ書いたけど、本当にただの感想だった。
答えもない駄文である。雑多だ。

だから、これを読んだ参加団体の皆さんも、おっさんの戯言だと思ってほしい。そしてまた、演劇作品を創って、観させてもらえたら嬉しい。望めるならば、ずっと作り続けてほしい。



あー、明日からも、僕も頑張ろ。

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