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自転車道の利点と欠点

「自転車道」「サイクリングロード」等々は、一般的には肯定的に考えられることが多い。「自転車やサイクリングの普及には、自転車道が大きく資する」というような見方もある。

私はそれに関しては懐疑派に入ると思う。自転車道とここで便宜的に呼ぶ道路は、ほとんどの場合、歩行者の通行が禁じられているわけではなく、実質的には自歩道(自転車歩行者道)であり、自転車専用道ではない。

そういう運用のされ方をしているために、自転車は自動車などの脅威を感じずに走行できるが、歩行者に対しては自転車が脅威となり得る場合も多々ある。まあそんなところから考えていきたいと思う。

自転車道はその造られ方や成因によって、大きくは四つのタイプに分けられるように思う。

(1)海岸や湖岸、河川の堤防上(天端/てんば、と呼ばれる)に造られたタイプ。太平洋岸自転車道の大半はこのような形態である。

(2)前掲の(1)と似ているが、河川の堤防上ではなく、河川敷内に設けられたタイプ。比較的大きな河川に沿う自転車道はこの形態をとることも多い。

(3)県道や国道の自歩道をそのまま利用する、あるいは一部拡幅するなどして利用しているタイプ。しまなみ海道はこの様式になっている部分が多い。

(4)鉄道の廃線跡を道路化した自転車道。太平洋岸自転車道も一部はこの形態を採用している。海岸堤防上などには及ばないが、比較的長距離になることが少なくない。幅員に余裕があるところでは、自転車と歩行者の通行帯の分離が実現している場合もある。

さて、(1)から(4)の自転車道に共通しているメリットは、何といっても、自動車などに代表される他交通の脅威から自転車のルートが隔離されているということなのだ。

その隔離の度合いも、自転車道のタイプによって少々異なる。(1)の堤防上自転車道、(2)の河川敷自転車道は、そもそも交通量の多い幹線道から離れていることが多く、他交通の脅威を感じることは少ない。

(3)の幹線道沿いの自転車道の場合は、縁石などによっていちおう車道部分からの分離が図られている場合が多いとはいえ、他交通の騒音等から完全に隔てられているわけではないので、多少のストレスがあり、危険もゼロではない。

(4)の鉄道廃線跡の自転車では、幹線道と廃線跡が密着平行しているような特殊な場合を除き、他交通によるストレスを味わうことは少ないだろう。ただし、鉄道存在時にあった踏切等の箇所では、一般道と交差するために、交通ストレスも皆無ではない。これは、(1)の堤防上道路でも一般道の橋梁のたもと部分を横切るなどの場合でも同様である。またすべてのタイプの自転車道に言えることではあるが、車止めも少なからず障害になる場合がある。

てな風に考えてくると、交通ストレスがいちばん少ない自転車道のタイプは、(2)の河川敷を通るタイプの自転車道であろうかと思う。河川敷を通る自転車道は、橋があるところではその下をくぐればいいようになっていることが多く、(1)の河川堤防上自転車道でも、橋のたもと部分などでは臨時的にスロープで河川敷に下り、橋梁の下を通る場合がある。経験者には自明のことだが、交通量のある橋のたもとを自転車で渡るのは、交通の脅威にさらされることが多いのである。

よって、まだ自転車経験の少ない子供らなどと一緒にサイクリングする場合は、(1)ないし(2)の自転車道が良いように感じられる。自動車などの騒音も少ない場合が多いので、子供に危険を伝達する場合にも、声を張り上げなくても済む。

ただし、である。(2)の河川敷自転車道は、多くの場合、幅員が限られる。場合によっては、すれ違いにも危険を感じる。少なくともロードバイクで爆走するような空間の余裕があるようには思えない。

つまりこれも自転車道特有のひとつの落とし穴というか欠点なのであるが、自転車道は事実上対面交通であることがほとんどなので、正面衝突の危険があるということなのだ。自動車などの他交通の脅威がない代わりに、対向する自転車には充分な注意を払わなくてはならない。

個人的には、自転車道は速度をあまり出さない自転車にとって安全な空間であるように思える。まさかチームロードの練習を自転車道でやろうというクラブはいないだろうと思うが、保証はできない。

自転車道だからといって、常に自転車の走行が優先されているわけではなく、(4)の廃線跡自転車道などでも、一般道と交差するところでは基本的に一時停止を守らなければならないはずである。

こう考えてくると、条件的には(2)の河川敷自転車道が良さげなように思えるが、これにも立派な欠点がある。大雨などによる河川増水時には通行できないことは当たり前であるとしても、風景に変化が少ないことである。(1)の堤防上の自転車道は少し高いところにあるからまだいいが、(2)の場合は、目に入る主なものは河川敷と堤防と川面ぐらいのものなのである。

つまり、しばらく走ると飽きてしまうのだ。これは(1)の海岸・河川堤防上の自転車道でも多少は言えることである。

ほかの交通の脅威を削減して自転車に乗れることは自転車道の利点であることは間違いないけれども、自転車の乗ることの大きな愉しみであるはずの「風景の変化や多様性の感受」を自転車道は妨げてしまうことが少なくないのである。

自転車道は、構造上安全性は一般道より高いが、単調になることが多いのである。「しまなみ海道」のような場合は、巨大な橋を通過するようなダイナミックなパースペクティブの変化があるので、単調さを感じることは少ないと言えるが、それは自動車におけるハイウエイで長時間のドライブをすることにやや似ている。

自転車に於ける「旅」の面白さは、こうした「島と島を結ぶ大橋梁」にもあることを否定はしないが、むしろ、旅の本質的な魅力は、これらの橋梁によって結ばれた島々の裏道を辿ることにある。自動車ドライブの旅だって、楽なのは高速道路だが、面白いのは一般道であることと同じである。

自転車の旅の愉しさは、地方地方で異なる建築や街並みの美しさ、畑や水田などの土地利用の仕方の多様性、曲がりくねった旧道の独特の風情などに集約されることが多い。つまり、旅は「変化と多様性」が核心なのだ。

残念なことながら、既存の自転車道の多くは、そういう「魅力的な界隈」「味わいのある道路」を回避して、ひたすら人の生活の匂いがしないところを走っているように見える。そういうところのほうが、「新しい道」を造りやすかったからである。

私はかつて、東北の古い街並みで有名なところに出掛けたとき、その郊外で河川沿いに誰も走らないような自転車道が整備されているのを見て、呆れたことがある。

その街の郊外の道には、自転車の脅威となるほどの交通量もなく、逆に、魅力的な建築物や田園の道が至るところにあった。その自転車道は、ことごとくそういうものを回避して造られていた。

だから、自転車道は、旅やツーリングにとっては、必ずしも良い環境でないのは自明なことなのである。(4)廃線跡の自転車道は、鉄道好きでなくても魅力的な場合があり、住宅地の中を行く場合でも、その家の裏側が垣間見られるようで面白い場合がある。通常、家は道路に面して玄関を造り、鉄道側には造らないからである。

しかしこれとても、交通量の少ない旧道などを走る場合に比べれば、魅力は低減される。私はかつて富山県で廃線跡のサイクリングロードを走ったことがあるが、あまり距離を稼がないうちに一般道に戻ってしまった。理由の一つは、「店」などの人々の生活感が乏しかったからである。鉄道廃線跡は、ふつう人々の生活の営みの正面側にあることは少ないので、商店などが廃線跡に沿って並ぶことはない。

旅で人が求めるのは、自分が暮らす場所と違う場所の生活感であることが多いのだ。つまり、自転車にとって面白い「道」とは、その地域の人々の暮らしぶりや地域文化、地域文明に触れられるような経路なのである。

こんにち、道路行政においても、歩行者や自転車にスポットライトが当てられるようになってきたのは良い方向性であると言わねばならない。だがしかし、道路を巡るほとんどの議論は、その技術的問題や行政的問題ばかりに重点を置いている。確かに、海岸に自転車道を造ったものの、それは流砂に埋もれてしまったなどというような問題は解決されねばならないだろう。

「旅」において人が求めるものは、必ずしもこうした範疇にとどまらない。「旅」で人が求めるものは、一種の「美」なのだ。だから、道やその周辺にあるものは、美しくなくてはならないのだ。多くの人が旧道に吸い寄せられるように集まってくるのは、そこに近代という時代が失った美学の残照が映じているからである。

遠い遠い未来に、人は、「芸術的な道路」を創り出すようになるだろう。それがいつのことになるのか私にはさっぱり分からないが、いつかはそういう時代が来ると信ずる。そして未来を信ずることで足りなければ、自転車に乗るがいいのだ。素晴らしいものは、風情のある旧道のようなところに現在でもなお残存しているのだから。



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