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青森から秋田へのランドナーの旅(3/今別~十三湖)


 さて、半島だ。岬だ。竜飛だ。
 当時私はまだ北海道に足を踏み入れたことがなく、この旅の二年後にようやっと、かみさんとの自転車を積んだ車の旅で、稚内や宗谷岬に至るのであった。北端の地に辿り着くまでの国道はそれこそ延々と飽くことなく続き、気が遠くなりそうなくらいだったが、その北の果てにはちゃんとした街があったり、多くの旅人で案外賑わっている岬があったりで、想像とやや異なっていた。
 ところが津軽は、もっとずっと、ひと気が少なかった。夏休みも終わった九月とはいえ、この日は日曜日だったはず。それなのに、観光客がいるのは、限られたスポットだけのようで、今別あたりも静かなものだった。自転車の旅人も見かけない。今別の先で、高校生らしき二人が通学の自転車に乗っているのを追い越したくらいのものだ。ちょっとだけ脇道にそれて、またすぐに戻る。三厩のあたりだったろう。
 しかし辿り着いた竜飛の、坂を上った灯台のあたりでは、それなりに賑わいがあった。海岸段丘らしき丘の上から海峡を眺めてみるが、実はすでに別のことが気になり始めている。時刻はすでに一五時ぐらい。今夜の宿をとらねばならぬ。駐車場のあたりにあった公衆電話で当りをつけてみる。漁港のある小泊なら、うまい魚が食べられそうだと思ったのだが、生憎、小泊ではとれない。そこで、いくらか走行距離が延びるけれど、当時の市浦村で探してみたら、とれた。十三湖のほとりの旅館らしい。
 ひと安心だけれど、海峡から振り返った半島の稜線はけっこう高い。そこに道が通っている。あそこを辿らなければならぬのだ。標高五百くらいはありそうだ。そうそう休んでいる暇もなく、またペダルを踏み始める。
 竜飛の岬のあたりから、これから走ってゆく尾根線の国道、「竜泊ライン」のあたりを眺めたとき、真っ先に目に飛び込んできたのは、本州の果ての山塊に立つ、巨大な白い風車のいくつか。北の海に面した、北の色の山の中に、風力発電の白い巨塔がプロペラを回している。「風の谷」のごとく、まったくSF的な景観だ。そういうわけで、津軽海峡には申し訳ないのだが、どうも私の竜飛の印象は、演歌的なものじゃなくて、現代音楽的か、さもなければバロック的な感じになった。
 上り始めてほどなく、風車のそばを通る。質量のある風切り音を聴いたような記憶があるが、これは後年、別の風力発電施設で聞いたものと混同しているのかもしれない。

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 にしても、車が来ない。同じ国道三三九号線なのに、竜飛から先、西側に回るルートに入ったとたん、数分に一台通るだけ。そんな中を高度を上げてゆく。青森からずっと海沿いだったから、最初の坂らしい坂だ。で、最初は静かでいいなと思っていたのだが、上るにつけ、周囲の山の存在感が増してくる。道はちゃんと舗装されているのだけれど、傍らの樹木の連なりは、原生林的な凄みを帯びている。
 そのうちに、路肩に、ボリュームのある糞を見つけた。いやこれ、どう見てもコロコロ愛嬌のある、鹿の糞なんぞではない。猿のとも違うであろう。即座に、首をすくめるような走り方になる。熊さんと出会い頭などにならぬよう、ときどきベルを慣らしながら、低速で上り続ける。こういう状態で、その脇を通り過ぎてゆく森の雰囲気というものは、ふだんとまるで違う。夏緑林の明るいはずの森に、真っ黒な濃密な影が折り重なっている。森は怖い、と小心者の私はそのときつくづく思ったのであった。この津軽の森にしたところで、巨視的に見れば白神山地のように保護が必要な森林なのであろうが、現地で、人力旅行者の眼から見ると、その場を支配しているのは、やはり森の側なのだ。
 森は恐ろしい。だからこそ、人々は森を刈り、そこに耕筰や牧畜の光を入れようとしたのであろう。
 峠らしきところに至り、そこから日本海に向って下り始める途中の左手だったと思うが、展望地に駐車スペースがあるようなところで、貝を焼く店が出ていた。この道を辿るまばらな車の台数で商売になるのかどうか、いい匂いだったけれど、えらく素朴な道具立てに圧倒されて、買わずじまいだった。静岡あたりでは見たことがないような貝だった。
 西陽を浴びた日本海に急降下するように、坂を下って行く。と、上ってくるシクロツーリストがあり、たがいに停止する。MTBに荷を積んでいる。滋賀県から来た方らしい。路肩の糞を話題に情報交換する。たがいに、ちょっとびくびくものである。私はあとは海岸線まで下りのようだからいいが、でも、下る途中で道のまん中に、当該動物がいたりしたらもっと困るのじゃないかと思い当たった。
 やっと海岸線に出て安堵。国道をはさんで、海岸のすぐ横にある「七ツ滝」でちょっと休み、再び南下を開始する。小泊の半島のあたりでまたちょっと上る。小泊を見たい誘惑にかられたが、もう時刻にそれほどの余裕はない。道は再び日本海伝いとなり、漁村風の民家をちらほら見かけるようになった。久しぶりに見つけた店で飲み物買って、また小休止。電話ボックスの前についた階段に、このときはその理由も考えずに座っていたら、荷物をたくさん積んだMTBが、高速で駆け抜けていった。
 地図上では、国道はまもなく山側に回るので、宿のある十三には途中で右折しなければならぬ。その手前で、海岸方向に逸れる旧道らしき脇道があったので、迷わずこちらに進んだ。そして、この旅で最も印象的なものを見た。忘れてくれと言われてもそうできない風景を見た。

 その集落は、国道と海岸のあいだの土地に、私の入り込んだ脇道に貼り付いて、何十軒かの家がまばらに並んでいるだけだった。強い海風を避けるために、一尺ほどの幅の細長い板を立てて並べて、砦じみた壁を作っているところがある。それは、すっかり風雨でくすんだ灰緑色をしていて、気が付けば、辺りの家々も同じような色だ。
 道は舗装こそされているが、風で運ばれた砂が、アルファルトに散らばっている。傍らには、半ば錆色や砂色に埋もれかけた古い漁具のようなものがあり、何もかもが、風化し切ったような色彩に染まっている。一軒、商店らしき気配の家屋があったけれど、自動販売機など、どこにもない。
 まるで、時間のタガが外れて、遠い過去の世界がそこに現れたかのような気がした。古い古い版画のような、デューラーの線のような、あるいは、つげ義春の描きこみのような空間がそこにある。異様に輪郭のはっきりした幻影、のようだ。
 記念写真用程度のカメラは持っていた。止まって出そうと思ったが、できない。
 見世物デハナイゾ オマエ トオリガカリノモノ。
 集落全体がそういう風に言っているかのように思えた。この集落が、もはや誰も住まなくなった村なら別だ。しかしここには明らかに人の生活があり、海風に晒された壁の内側に、その生活が営まれているのだった。

 国道に復帰して、十三湖と日本海の境目を成す砂洲の方角に舵を切る。中島というあたりで、今風の観光向け施設などが出てきて、ようやく現世に帰ってきたような気分になる。湖と海をつなぐ水路の上に、十三湖大橋が架かっていた。その橋を越えて、十三の集落で予約した宿を見つけておいてから、もう一度大橋に戻る。自歩道に自転車を預けて、海を見る。
 もう一八時近辺だった。夕陽が、日本海の上に折り重なった空気の層の中に、静かにのみこまれようとしていた。
 二〇代の後半に、車齢二〇年近いような旧い車で少し旅らしきものに出かけるようになって、それが途中から自転車になったが、そのときはもう三〇代、十三の橋の上で夕陽を見ていたこのときは、三三の齢になっていた。傍らには、一七のときに中古で買ったフレームを再生した自転車だけ。
 だいたいが、もう夕陽に見惚れるような年齢じゃなかったけれど、そのときの私はそうしていた。この夕陽は、生きていてそう何度も見られるようなものじゃないように思えた。まああちこち出かけたり、出かけなかったり、ものを書いたり、書かなかったり、書けなかったりしてきたけれど、まあ何と言うか、その分のもとは取ったような気がした。夕陽に関して、「生きているもとは取った」と書いていた落語家がいたけれど、たぶん私も同じような気分だったのだろう。
 橋の上はほとんど車も通らず、この一刻を邪魔するようなものは何も無かった。やがて陽が、遠い灰色の、空とも雲とも判然としない領域の中に消える頃、私は橋を下って、砂洲の上をうねりながら続く道を辿った。

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