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どこに教育的意味があるのか

琵琶湖の固有種を守るために、特定外来生物を駆除する釣り大会が琵琶湖の某所であったと報じられている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ddb8eea4dcbd5225da4bc7716738223d6d73e34c?fbclid=IwAR0UgRhFK5_tG_jV1ex7ji3vzswAf4YwgiDDvrkKN2LvmWsdRWFg3-sSnA4

子供たちも含めて100名あまりの参加者があったと書かれている。釣られたのはブルーギルで、オオクチバス(ブラックバス)は1匹もいなかったとされている。

そうだろう。ここ数年琵琶湖では外来種の数は漸減しているのだ。以前のようなことはない。自然は元のバランスを取り戻そうとしている。

そこへもってきて、特定外来生物を「駆除」するための釣り大会を開催したという。在来種を守るため、という大義名分のために、子供たちまで参加者として大会にかき集められている。

釣り上げたブルーギルは「肥料にする」のだと言う。ひどい話である。特定外来生物の移動は禁じられているため、生きた状態で家に持って帰ることができないのはわかるが、ただ単に殺すためにひたすら釣り上げて処分するというのは、文明人の所業であるようには思えない。

生命を殺めるのなら、食べるための方法を教えるとかぐらいはあっていいのではないか。私の友人はこの記事に関し、「せめて釣った魚は自分で捌いて食べさせるとか、生き物が死ぬのがどういう事かを教えないといけない。バーチャルの世界ばかり見ている現代の子供ならなおさら」と書いていた。

子供にとっても教育的意味はなく、かえって悪い影響があったかもしれない。「固有種を守るためには、本来そこにいるべきではない特定外来生物はいくらでも殺していいのだ」と刷り込まれた可能性だってある。

ことに頭にくるのは、釣りという遊びや、子供たちの狩猟本能に訴えて、特定外来生物の撲滅というジェノサイドを、ものをよく考えない大人や世間を知らない子供たちにやらせているという点だ。自分たちはほとんど手を汚さないでいて、イベントの参加者に殺戮行為をやらせている。

そうしてそれを地方新聞社もまるで良いことをしているような風に書き立てている。馬鹿げている。水辺で遊んだり、釣りをしたことのないであろう大人たちが、もっともらしい「環境的正義」の尻馬に乗ってくだらないイベントのくだらない記事を書いているのだ。

特定外来生物という存在はいけないものだ、純粋な在来種でなければ生態系が破壊される、だから撲滅しなければならない、虐殺しなければならないというような発想には、アウシュビッツの匂いがする。

レイシズムを助長するようなこうしたイベントは、野蛮で陰惨で残酷なものである。生命の尊厳に対して教育的にも良くない結果をもたらすであろう。生命を奪うなら、その結果がどうなるかを子供に教えなくてはならない。皆さんは今日、環境的に良い、日本の生態系にとって良い虐殺行為を行いました、とでも彼らは参加者の子供たちに説明したのだろうか。


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