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高原リゾートの衰退

10/15(日)に、友人の車の助手席に乗って、長野県茅野市の車山高原に出掛けてきた。

「アロンフランセ」というフランス車のミーティングが開催されたからである。友人の車はシトロエンのエクザンティアなのだ。

イベントは盛況で愉しかった。飯田市からプジョーで来た友人にも会うことができた。会場には600台くらいのフランス車が終結していた。

車山高原に来るのは初めてではない。高校生のとき、部活のオーケストラで2度合宿に来ているからだ。

そのときに宿舎だった建物を事前にグーグルマップで探したが、見つけることができなかった。

しかし、今回いよいよ会場を後にしようとしているときに、エクザンティアの助手席からそれを発見することができた。

宿舎には音楽ホールがあって、そこで合奏練習をすることができたのだ。それが建物を同定する目安だった。

一見したところ、営業は終了しているようで、廃屋とまではいかないが、建物には傷みも出始めているようだった。

そういう建物はほかにもあった。使われなくなったプチホテルみたいな建物があった。当日はイベントだったから人出があったが、ふだんは寂れた界隈になっていることが想像された。

来る途中で傍らを通り過ぎた白樺湖の湖畔も、ひどいものだった。看板のホテルはまだ営業しているようだが、中小の宿泊施設は軒並み廃業し、廃墟のようになった建物も散見された。

いわゆる「高原リゾート」は衰退してしまったのだ。山梨県の清里などは早くからそういうことが言われていたが、現在ではそれが各地の高原リゾートに広がっている。

別荘地にも人影はなく、オーナーが高齢化してしまってからは使われることもなく、不動産サイトでは安値で売りに出ている。時代は変わったのだ。高原や別荘に憧れる人々は消え去ってしまったのだ。

これは車山高原や白樺湖畔だけに限られたことでなく、あちこちの「高原リゾート」でそういう現象が起こっているようだ。

よく語られるのは、「バブルの崩壊とともに」という文脈だが、確かに大規模なリゾートマンションへの投資などはバブルの時期に盛んになったこととはいえ、「高原リゾート」への憧憬やその流行はもっとずっと昔からあった。

そして、堀辰雄の『風立ちぬ』や、立原道造の詩に象徴されるような、高原や森、湖などへの憧れや旅情は、イベントやフェスなどの即物的な歓楽とは異なるものを内に含んでいた。

自然美やそれを核とした芸術への共感のようなものが、過去の高原リゾートのニーズの中には存在していた。そこには、男女の出会いへの夢想のようなものもあった。

若い人を中心に、高原リゾートへの憧れや欲求が消散してしまったのにはいくつも理由があるだろう。車の免許を取る人が減り、車がなければそう簡単には行けないような高原リゾート地が衰退してしまったのも、一つの理由だろう。

だがそれ以上に、人々の求めるものがもっと即物的なものに変化してきたからではないだろうか。イベントやフェスや多くの店舗の揃った都市部や、SNSで用意された無数の出会いは、かつてそういう楽しみがなかった時代とはまったく異なるものを提供するようになった。

端的に言えば、生や性に秘密がなくなったのだ。男女の出会いのようなものは、かつては、文学や芸術の領域に重なるものを多分に含んでいたが、今それはネット社会の中でひどく俗化している。

高原、森、湖、白樺の木立ち、別荘地の佇まいのようなものが、象徴的な記号だった。そういうものに憧れた世代の多くは、すでにこの世を後にしている。「高原リゾート」のような、かつて非日常的な時空間に満ちたものは、今は、今風に言えば「オワコン」になってしまったのだ。

性の秘密がないところに恋愛小説が生まれないように、自然への崇敬がないところに、高原的な要素を含む小説や芸術作品も生まれない。

かつては、旅と言えば、日常生活ではそう簡単に見ることができないような雄大な自然景観への来訪などを意味していた。そういうものを「見る」ことにカネと時間と労力をかけていたのだ。そしてそれらを「見る」ことができたとしても、それを自分のものにすることはできなかった。崇高な自然景観は自然景観のまま、崇拝の対象として残った。

今では、手に入らないものに心的なエネルギーを使うことは減った。高原リゾートに行くくらいなら、エアコンを新しいものに変えたほうがいい、そのほうがよっぽど良い避暑だと思われる時代になった。

恋文を書く人も、もういない。文学や芸術が男女関係の紐づけの一つとなるような時代は過ぎ去った。

高原リゾートが衰退したのはもちろん時代が変化したからなのだが、その背景には、インターネットやSNSの発達も含まれる。人の「心」や「魂」や「美」は、かつては遠いところにあった。遠いところにあったこそ、それらへの憧憬は強まった。

誰でも富士山へ上るような時代になった反面、高原の避暑地から人は去った。人は、可視的なもの、成果がすぐに表れるもの、征服できるものを求めるようになった。手の届かないものを求め続ける人は減ったのだ。

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