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学生歌

朝ドラの応援歌のエピソード以来、すっかり母校の学生歌にはまってしまっている。校歌でもない、応援歌でもない、恒例の対抗戦に勝利したときや卒業式で歌われる歌だ。

しかしそれが校歌にせよ、応援歌にせよ、学生歌であるにせよ、大学の歌などというものは、同門の人間でないと共感を得ることは難しい。特に名門校の歌などは、他校の人々にとっては嫌味でしかない。

だから勢い、大学の歌の話は同窓生のあいだに限られることになる。それも大体は私大であることが多いようだ。

嫌味と受け取られても仕方がないのを覚悟して書くが、もはや40年も前の入学式のとき、校歌や応援歌と別の歌を壇上のグリークラブが紹介した。

「この歌は、卒業して長い時間が経ったOBが涙なしには聞けない、とされています」というような意味のことをグリークラブのリーダーが説明した。

そういうものか、と思ったが、確かに演奏された曲はそういう情感に満ちていた。しかし涙までは流れなかった。私はそのときまだ18歳だった。

今は59歳だ。そしてこの曲を久しぶりに聴いたとき、不覚にも涙腺が緩んでしまった。グリークラブのリーダーが40年も前に伝えたことはその通りであった。

感傷に過ぎぬと言われれば、確かにその通りかもしれない。だが一生を通じて人が強い帰属感を持つものはごく限られる。

大学や大学時代の盟友、同じ大学ではなかったけれど同じ学生時代の空気を呼吸していた仲間たち、限られた自転車の友ら。

そういうものを結びつけるもののひとつが、学生歌のようなものなのだろう。

朝ドラの応援歌を発端にここ一週間ほど聴き続けた学生歌だが、その果てなのか、今日はとうとう、この歌からあることを突き付けられたような気分になった。まるでその歌の精神から語りかけられたような感じだった。

「お前はこの歌に恥じぬような生き方をこれまでしてきたのか」

わからない。努力はしたつもりだが、わからない。これからも、たぶん、わからないだろう。

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