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これが日本のやりかたさ!

持たざる国の地政学上の常道とは?


 前のブログは明治期の日本には何もない。精神だけでした。というお話をしました。とても突飛な断定だと思います。でも、そうとしか言えません。つい先日まで火縄銃と段平が常備兵器。それ以上の兵器の更新は関ケ原から大阪夏の陣以来。していませんでした。
「今でも江戸時代後期の日本製の火縄銃が世界大会で優秀な成績を収めているそうです(笑)」
 そんな国が「大砲の球が着弾炸裂する最新鋭兵器を持った」列強国を相手に軍事力で勝てるわけがない。幕末の馬関戦争ではイギリスの戦艦はすでに炸裂砲弾を使っていたらしいです。だから開国して通商と文化交流で経済という体力をつけ工業力という鉄、強兵という「血肉」を大急ぎで付けていったわけです。この大事業をいち早く進めるためには「精神統一」で効率よくトップダウンしていかなくてはなりません。殖産興業はものすごい速さで民間にも広がりました。驚異的です。いまのチャイナもびっくりです。パソコンも電話もない時代に僅か50年ほどで大国ロシアとの戦争を勝ち戦にするくらいの体力(経済力)と腕力(軍事力)をつけたのです。
 明治期の世界はマフィアの抗争状態に近かったと思ってよいと思います。しかしながらマフィア同士ならではの仁義はありました。これを「万国公法(国際法)」といいます。なぜこんな言い方をするのかといえば、国際法とは「両国間の合意」で法として成立する慣習法だからです。違う言い方をすれば「あなたがルールを守っている間は私も守ります。」「破っていると見受けられればそれ相応の対応をします(俺らもやり返すぞ)」という「了解」であるというのが「本当のところ。」要するに相手の出方を注意深く洞察して必要とあれば敵に対しても「軍使」という外交官を遣わして相手の真意を確かめるわけです。「軍使を殺してはいけない」という同意はもちろんのこと。「戦域以外で殺し合いはしてはいけない。(虐殺・略奪)」「中立国の組織はどちらにも協力してはならない。」などの決まりごとがあります。これを厳密に守り隙を見せないように列強を敵としないで「国際協調路線」でなんとか切り抜けていったのが明治期の日本の立場でした。現在でも日本はこの「国際協調路線」を主眼に進んでいくのが地政学上の常道であるのがこの時代から引き継がれたことだと思います。

いざ日清戦争!だがその時問題発生!?

 日清戦争が今にも開戦!という時期のこと朝鮮半島の西側 豊島沖で日本の軍艦3隻と清国の軍艦2隻が遭遇。宣戦布告を待たずに砲撃戦が交わされました。結果。清国艦隊の1隻が白旗を掲げ逃走。これ国際法違反。白旗を掲げた軍艦は停戦機関停止が原則です。(さすがチャイナ)残りの船は途中座礁し自沈。
この海戦の最中、一隻の清国兵を満載した英国商船が近づいてきたそうです。
日本としては厄介です。清国の兵士はこの海域を通すわけにはいきません。(すでに交戦状態です。)しかしその船の船籍は大帝国のイギリスです。迂闊に手を出せば中立国だった英国を敵に回す羽目になりかねない。
この難局に当たったのが当時日本の軍艦浪速の艦長だった東郷平八郎だったわけです。
東郷艦長は英国商船「高陞号」を停船させ将校を遣わして事なき用に対応しようとしました。
将校の話では船長はイギリス人で「朝鮮の港に大砲と清国の兵を1400人輸送中です。」
このうえは日本に従いたい意向を示したということなので手旗信号で「錨をあげてついてきなさい。」という指示をしました。
戦域の中立国の商船はどちらの国も手を出してはいけないし、中立国の商船の方は戦域から速やかに退避するのが決まりのようですがここで緊急事態になります。高陞号「重大事態が発生したので面談したい」と手旗信号で返信してきてそのまま高陞号は従わずにいたようです。東郷艦長は再び将校を送って調べさせると、船長以下イギリス人乗員は清国兵に脅迫されており、不穏な雰囲気だったようです。
 東郷艦長は手旗信号で商船の船長とイギリス人船員に「船から飛び込んで離れろ」と指示しました。
高陞号から「ボートを送れ」の返信があり、浪速は「送ることは出来ないから直ちに船から離れろ」と再び船から退避しろと指示します。緊迫した時が続きます。商船に乗った清国兵士は刀を抜き銃を構えて制御できない状態であることは見て取れました。最初の停船指示から4時間後。浪速は赤一色の「B旗」国際信号旗を挙げます。軍艦がこの旗を挙げる意味はただ一つ「危険」つまり「撃沈します」の意思表示です。
7月25日午後1時46分。浪速は砲撃を開始。砲撃を受けた高陞号は沈没。海に飛び込んだイギリス人船長と船員たちは全員救助され清国水兵たちの多くは銃殺または水死したそうです。

国際法を武器に列強を味方に!

 日本の政府はイギリスの商船が日本の軍艦によってに沈められたことで動揺し、イギリスの世論を激高させましたが、清国の兵士に脅されていたとは言えイギリス商船の方が中立を破って清国の方に協力をしていたことと日本の戦艦である浪速と東郷艦長のとった行動が国際法に則ったものだとわかるとイギリスの世論は沈静化。日本側は東郷艦長を称賛したそうです。
 イギリスとしては日本に問答無用で撃沈されても文句が言えない状態だったようです。日清戦争においては中立の立場であるはずのイギリスの商船しかも非戦闘船が清国に脅され兵士の輸送に無理やり協力させられた格好になったわけです。(チャイナ側としては日本は英国商船を攻撃できないと踏んだ)日本としては迫る脅威は排除せざるを得ない状況。なのではあるが東郷艦長はイギリス船長以下船員の状況をよく情報収集し、万が一でもイギリス人乗組員全員が無事でいるように配慮することを怠らず。脅威を排除しイギリス人船員全員の救助をやり遂げました。日本としてはパーフェクトな対応だったわけです。
現在の海上自衛隊員にも海上保安官にもこの系譜は受け継がれていると思います。
 イギリスに遺恨を残すことがなかったことがこの後の日露戦争での日英同盟締結に生きてくるのです。
 イギリスやアメリカの日本国債の買い入れ。大きな戦費の調達。奇跡の日英同盟。バルチック艦隊がアフリカ周りで日本に来るときイギリスの港には寄ることができず十分な補給休養ができなかったようです。
そうです。日本は戦う前から戦略で勝っていたわけです。明治期の持たざる国日本が大国に勝つためには国際協調と国際法という仁義と掟を守り文明国であることを示すことが必要だったのです。私たちはこのことを絶対忘れてはいけないのです。忘れた国は亡国します。

 ナチスはなくなり、全体主義化し、かつての日本ではなくなったその後の大日本帝国は滅びました。さぁ…翻って現在。ロシアはどうなるのでしょうか?私たちは同じ国が3度目滅びるところを目撃することになるのか。はたまた権威主義国家はしぶとく生き残り世界に影響力を持ち続けるのでしょうか?(さとる)


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