革命(2)

「聞こえてる?」と聞かれて、「聞こえてますよ」と答える。何気ない動作が煩わしくて、僕は電話ごとこの世界から消してしまおうかと思った。そもそも聞こえていなかったら聞こえているかどうか答えることなんてできないのだから、その質問には何の意味もなくて、ただただ人間が安心するためだけに受話器を震わせる虚無でしかない。それなのに僕だってきっと、誰かに電話をかけたら「聞こえてる?」なんて何の気もなしに尋ねてしまうのだ。大体いつも電話をかける時は緊張しているから、喉をならすためにはそんな挨拶も実は必要なものなのかもしれない。「この世の中は本当に要らないものだらけだよ」そんな風にあのひとは笑うだろうか。疲れた声で電話をかけてきた先生は「戦争がはじまるかもしれないよ」と、悲しいのか楽しいのか、はたまた何も思っていないのか、そんな感覚を共有しようと僕に告げた。先生はいつもそうだ。言ったって解決しない時限爆弾のような問題を、何事もなかったかのように僕に話して、そのくせその不安を僕に擦り付けて帰っていく。心中に失敗して波打ち際に引き揚げられたかの文豪のように、人を道連れに自分は去っていくのだ。それがわかっているから、先生のことは尊敬はできても信用ができない。僕にはそれくらいの関係性の方が、心地いいのかもしれないけれど。「アメリカと中国だったら、とっくのとうに戦争は始まっていますよ。僕なんかにも何となくわかるくらい。まだ目に見える形で物理的な攻撃ははじまっていなくても、もうほんの数ミリのところまで互いに手を伸ばしていますからね。まるで付き合う前の夕方に散歩していて、どちらからともなく手を伸ばす学生同士みたいなものですよ。例えはちょっと狂っているけれど。どちらが勝つかなんて、そんなものどちらも負けるに決まっているのに」話している間、また息をするのを忘れていて、僕はさっき味わった苦しさをもう一度思い出させられるところだった。それでも、どうしても一息で言ってしまわなければ、現実が言葉に絡めとられてまるで針が布を手繰り寄せるように一緒くたになってしまいそうだった。そういう感覚は時々襲ってきて、僕にはその度に言葉の怖さが染みるのだ。「そんな簡単なものだったらいいんだけどねえ」先生が息を大きく吐いて、そのため息で暗い暗い渦が生まれてしまいそうに思えた。「国と国の戦争なんて、何だかひと昔前の感覚がしないかい。今度の戦争はきっと、もっと大きなものだよ。国同士の戦争が、イデオロギーの対立に変わり、それがさらにね、もっと根深いものに向かっていくんだよ」先生はもう今年で81になる。第二次世界大戦の時はわずか6つだった。それでも今残る貴重な戦争経験世代だ。「平和は戦争と戦争の間の箸休めだとはよく言ったものだよ。遠い場所との繋がりがあればね、今度こそはと思ったんだけど」先生はそう言うと、それきり黙ってしまった。僕は、外から吹き込んでくる風が急に冷たくなったように感じて、何も言えずにただ靡くカーテンを見つめていた。

電話を切ると、もう15時になっていた。僕は買い物に出かける準備をした。気が向いたわけじゃない。ただ、このままこの一人暮らしの部屋で息を潜めていたら、時計が進む音がどんどん大きくなって、鼓膜を突き破ってしまうんじゃないかと思ったのだ。いや、その前にその恐怖に耐えられなくなって、手に持ったペンで鼓膜を一息に潰してしまいそうな感覚すらあった。こんなふうに気分が落ち込んだ日には、必ず美南に電話をかけることにしていた。でも、そんなことを今はしたくなかった。別に浮気されたことを怒っているわけではなくて、浮気された挙句にマイナスな感情を払うために電話をかけるなかけるなんていう屈辱を、僕は味わいたくなかったのだ。自転車に飛び乗ると、できる限り歩道の方に寄って走る。昔から、死ぬのが怖くて仕方ないから、車に轢かれないように安全に運転するし、後ろから刃物を持った人が追いかけてきてもいいように後ろをチラチラ見る癖がある。死にたくないとか、死んだ後の世界が怖いとか、そんなことでは一ミリもなくて、ただただ単純に死ぬ瞬間に味わうであろう痛みが僕は怖かった。死んだ人は生きた世界で話をすることができないから、死ぬ瞬間に感じた痛みを現世に書き記すことはできないけれど、それでも死ぬほどの痛みというのは、僕なんかにはとても耐えられないもののような気がするのだ。戦争など始まったら、僕は1人で深い深い防空壕を掘って、そこに山ほどの食糧を持ち込んで、誰にも見つからないように隠れたい。隣を走り抜けていく車たちが、この時代の業をあらわしているような気がした。



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