思考以上、哲学未満(2)

次行きますね(笑)。

「電車で席を譲るのは、優しいからか??」
これを理論的に証明また反駁できるでしょうか?

一般的にポジティヴとされる「優しい」は、噛み砕くなら
1、「性根が穏やかだ」
2、「相手の状況を鑑み、共感する。またはそれを慮(おもんぱか)って行動する、できる」
ってなところでしょうか。
広辞苑とかから引っ張ってきたわけではありませんが、大間違いはしていないだろう、と。

じゃあ2、のほうって、(一般的にネガティヴとされる)哀れみや同情と、どう違うの?
邪推するのなら、好きな人が見ていたから譲ったんじゃないの?
優しい、って先天的なモノかな? 道徳の授業で教わったから「優しく」なったの? 優しいじゃなくて「大人になった」んじゃなく??

それから…、

よくある笑い話で「席を譲ったら、そんなに年寄りに見えるか!と怒られた😢⤵」なんて言いますが、
席を譲る相手は、一般的に、高齢者に妊婦さん、子ども連れということになると思うけど、
くたくたにくたびれた営業マンの帰途と比べ、どっちに譲るべきかという問い。
対象は人にも時間帯にもよるかもしれない。
(しかし下に付けたリンクの中にもあるように、一般的にビジネスマンは、席を譲らず狸寝入りする悪者として描かれることが多いようです…^_^;)

…とまァ、これについても疑問は尽きませんナ。

なお、道徳の授業で高齢者に席を譲ることをやたらと美化することへの警鐘(本では「気持ち悪さ」と書いています)は、
敬愛するビートたけし師匠(殿!)がその著書『新しい道徳』にて書いておられます。(北野武名義)

→ http://www.gentosha.jp/articles/-/4413

得体の知れぬ何者かワカラナイ私の言うことに信用がならないという読者は、巨匠の本をどうぞ(笑)。^_^;

なお誤解のなきよう付け加えておくと、私はそのような行為を否定する者ではなく、むしろ自然にするほうです。
なんなら私の信ぜられぬことには、3人席の真ん中には私もよく座ります(広々してるからね)が、
後から2人組が来たときにどちらかに寄らない人が多いこと!

まァそれは置いておいても、私もたしか5年くらい前には、扉が開くや我先にと人を押し退けても座席を確保していたと記憶します。
それが今のようになったのは、ま、大人になったのか、職場により心ないしカラダに余裕が出たのか、…

少なくとも優しくなったからとか、20年前に道徳で教わったからではないよなァ。

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