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ファスト教養VSいじめマーケティングの不毛を超えて

先日、レジーさんと久しぶりに長く話した。彼の新著『ファスト教養』についての対談の収録だ。実のところ、僕はレジーさんからこの本のゲラを渡されたとき、ちょっとビクビクしながら読んだ。それはこの本のタイトルから内容を想像して、「ビジネス教養本とかをありがたがる無教養なビジネスマンを、知的で文化的な「俺たち」がバカにして楽しむ本」だったらどうしよう、という不安だ。もちろん、ここでこうして書いているということから分かるように、まったくそんなことはなかったわけなのだがタイトルを読むともしかしたらレジーさんが悪い編集者とかに騙されて、そういう卑しい商売に手を染めてしまってしまったんじゃないか……と不安になってしまったのだ(レジーさん、集英社の吉田さん、ごめんなさい)。

ここでいう「ファスト教養」とは「教養」を主にビジネスの「役に立つ」という視点からリーダブルにまとめたテキストの類のことで、その中にはたしかに良心的な大人のリベラルアーツ再入門的な物もある一方で、事実上無内容な自己啓発本やファクトや論理性を無視した質の低いもの、そして何より「役に立つ」という観点から書かれているためにその知識体系の肝の部分がないがしろにされてしまっているものがものすごく多い。これは僕も日々実感していることだ。

しかしかといってメディアに出ている成功した(かのように振る舞う)ビジネスマンを「意識高い系」とか言ってヒガむ文化系が本当の「教養」を持っていたり、本来の「教養」的な本を書くことができるかというとそんなケースはほとんどない。彼らは実際にきちんとした対象そのものを扱った批評やルポルタージュは書く実力がないので、他の人達のその対象へのアプローチについて「いじる」ことしかできない。たとえばWeb3について技術史やメディア論の観点から「批評」するのはそれなりに高度な能力がいるが「Web3とかに集まっている輩はイタい」みたいな記事を書いて注目を集めるのはバカでもできる。要するにこの手の物書きは流行り物に飛びついている安直な人を笑い者にする人で、彼らをヒガむ同じくらい安直な人から集金しているだけだ。まあ、自分では何も生むことの出来ない人が生んでいる人をイジって、嫉妬心の強い醜い人たちの歓心を買う、というのはどこの業界でもある話だろう(飲み会でのギョーカイ話が好きなやつは仕事ができない法則)。

こうして文化系の読者に向けて意識高いビジネスマンやときにマイルドヤンキーと言われるブルーカラー層を批判的に取り上げることで「あいつらのようなイタい連中と自分たちは違う」というヒーリングを与える本は定期的に現れ、時々スマッシュヒットする。それを僕は「他虐ヒーリング」による「いじめマーケティング」と呼んでいる。SNSが普及した今日においては、文化系の読者に嫌われそうな対象に(ときに悪意ある部分切り抜きやデマの拡散なども行使して)石を投げて、そして読者や業界からの関心を買うというのが若手やいい年をして目が出ない物書きが成り上がる1つのパターンになっているが、本当に醜いと思う。

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