【小さな世界に深い海】INFJ / HSP の25歳女は数少ない友人を大切に生きていく
みなさま、こんにちは。
わくわこ です。
目覚めたらまず窓を開けて、ひんやりとした朝の空気を胸いっぱいに吸い込むのが日課になっています。
大好きな秋の匂いがふんわりと鼻腔を撫でてとても気持ちいいのですが、今朝はどこからかコロッケの匂いが漂ってきました。
朝からコロッケ。最高の休日ですね。
さて、今回のテーマは「INFJの交友関係」について。
だいぶ特徴的ですが共感していただける方も多いのでは、と思います。
それではどうぞ。
INFJの交友関係・概要
先日、近くに住んでいる姉からこんな連絡がきました。
「私たちが小学生の頃よく遊んでた○○ちゃんと久しぶりに会うことになったんだけど、一緒にどう?」
……うーん、行きたくない(小声)。
どうしても気が乗らず、適当な理由をつけて断ってしまいました。
その人のことが嫌いというわけではない……というかそもそもその人と最後にあったのがいつか思い出せないくらい久しぶりなので、嫌うも何もありません。
ただ一度疎遠になった人と、久々にまた会おうとはなかなか思えない。
これってみんなそうだと思っていたのですが、どうやら違うようですね。INFJのみなさま、いかがですか?
ほかにも私の交友関係の特徴と思われるものをいくつかあげてみます。
本音はごく一部の人にしか話さない
ここでいう「本音」とは、心の奥深くにしまっている本当の気持ちという意味だけでなく、おそらく他の人からしたら「そのくらいは話してもいいのでは……?」と思われるようなことも含まれます。
たとえば私の場合、自分のことを包み隠さずすべて話しているのはひとりの友人だけで、それ以外はこうしてライターを目指していることはおろか、公務員をやめたということすらまだ話していない人がほとんどです。
隠しているわけではないのですが、「仕事を辞めた」という事実だけが伝わるのが嫌というか……私なりにいろいろ考えながら自分の人生を生きているので、その過程を知らずにただ「ふーん、仕事辞めたんだ」とだけ思われるのが嫌なんです。
ライトな友人関係にそれは求めすぎだという自覚があるので「全く話さない」or「本当に私のすべてを知っている人にだけ話す」の二極化してしまうんですね。
「誘われたら遊ぶ」人が大半
これはちょっと傲慢な感じがしてしまうかもしれないのですが、私が「自分から誘って会う」人はほとんどいません。
誰にでもざっくりと「自分から誘う友人」「誘われたら遊ぶ友人」「誘われても断る知人」という括りがあると思うのですが、私の交友関係でいうと「誘われたら遊ぶ友人」が多くの割合を占めます。
ちなみに「誘われても断る知人」も意外と少ない。基本「理由なく断る」ができないタイプなので、仲良くはないけど同じコミュニティに属している、みたいな微妙な関係性の人に誘われると、気乗りしないという理由だけではなかなか断れないんですよね。
「一緒に遊んで印象が変わった」と言われがち
まごうことなき内向型人間であるにもかかわらず、ひとたび賑やかな場に出るとなぜかそれなりにはしゃいでしまいます。
「大人しい子なのかと思ってたけど印象変わった」と言われることもしばしば。
しかし実際ははしゃいでいる姿の方がかりそめだったりするのです。
無理しているわけではないのでその場にいるときは「行ったら行ったで楽しいじゃん」と思うのですが、ある瞬間にふと「あ、やっぱり帰りたい」となったり、帰宅した途端にドッと疲れが出てきたりします。
なぜ交友関係が限定的になってしまうのか
そんなこんなで、おそらく周りからするとコロコロ印象が変わるので、不思議な人と思われがち(いわゆる「不思議ちゃん」みたいなのともちょっと違う……と自分では思っています)。
なぜこういう、極端で限定的な交友関係になってしまうのか、私なりに考えてみました。
「とりあえず会う」ができない
これは先に述べた「誘われたら断れない」と矛盾するように見えるかもしれませんが、「誘われたら断れない」は文字通り「断れないから行く」というだけでそれ以上も以下もなく、「とりあえず会ってみよう!」という前向きな気持ちとはちょっと違うのです。
「とりあえず会う」ができない。つまり、会うという事実が発生しそうになると「どんなことを話そうかな」「会話が続かなかったらどうしようかな」などいろいろと考えてしまうため、その時点で「話すこと、なくない?」と思ってしまうともうダメなんですよね。
一度疎遠になってしまった人と会えないのはそういうわけで、そもそも話が尽きないような関係なら疎遠になったりしないでしょ、というのが私のスタンスになります。
もう少し深掘りすると、私は久々に会った人とやりがちな「近況報告」が苦手。
相手の近況に興味がない、というと語弊があるのですが、たとえば「最近プロポーズされた」という話題だったとすると「誰と」「どこで」「どんなシチュエーションで」「どんな指輪をもらって」といった事実よりも「プロポーズされたのはなにか思い入れのある場所だったの?」とか「どうしてその人と結婚しようと思ったの?」とか、そういう気持ちの部分が気になるんです。
以前、物事の記憶の仕方について記事を書きましたが、それに通じるものがありますね。
でもそれってやっぱり、久々に会った人に対して根掘り葉掘り聞けるような質問ではないので、事実だけの近況報告を退屈に感じてしまうのだと思います。
「寂しいから会う」をしない
もうしつこいほどお話ししていますがとにかくひとりの時間が大好きなので、「退屈だから誰かと会う」みたいな選択肢が存在しないわけです。
プライベートで、自分から誘うときはなおさら「その人に会いたいから会う」。これに尽きます。
できることなら週に2日あるお休みのうち1日はひとりで過ごす時間に費やしたい。だから「ひとり時間<その人と過ごす時間」でない限りは極力人に会いたくないと思ってしまうのです。
狭すぎる交友関係が心地いい
小さな世界の中で深い深い交友関係を築きたい。そんな私です。
この、人付き合いに関する不器用さはもうどうしようもないのかなと思っています。というかこれが心地いいわけなので、「他者に敬意を払う」という最低限のことを守れば心のうちはどう考えても自由かな、なんて思ったり。
交友関係ひとつとっても「私ってこういう人間なんだ」と再認識することができるので面白いですね。
今回ご紹介したのは私の個性なのかINFJあるあるなのか……
みなさまにも共感いただけたならとても嬉しいです。
というわけで、今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
日々渦巻く人間関係の中で生きるみなさまへ、愛をこめて。
わくわこ
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