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話すことの効能

話すことの効能ってこんなに大きかったのか…と、実感した日。アウトプットの2つ、「話す」「書く」が選べれば、私は間違いなく「書く」のが得意だと思っている。自分の時間をかけて、ゆっくり考えをまとめられるし、目の前の人に緊張してしまうこともない。

でも、今日ハッと気が付いたことには「書く」は一人でするもので、「話す」は一人ではできないということ。だから、それぞれにベネフィットがあって、それぞれがもたらす効能が違って当然なのかも知れない。

話してみて初めて、一人で抱え込んでコチコチに固まっていた緊張が解けた。あんなに深刻だったことが、話しただけで一気にその深刻さの色を失った。人に話すのは結論を出してから、自分で説明できるようになってから…答えが見つかってから…特に揺れている過渡期には一人で考えたい、事後報告型の私にとっては新鮮な体験だった。

自分の「こうなっていたい」未来について。この間、問いかけていたいくつかの質問。自分と向き合おうと考え始めたことだったけれど、何だかいつの間にやら方向がズレていた。

本当に考えたいことではなくて、意地悪な架空の理論攻撃をどんどん仕掛けては武装する。そのために思考を使って辛かった。それは夢を実現させるというプロセスにおいては必要のないものだった、と今ハッキリわかる。

何で、また日本を出たいと思うのか?環境を変えても、自分の中にある課題はやっぱりそのままで、解決したことにならないのでは?何で子供が欲しかったの?本当に精神的に自立できているの?云々。

でも、

そこに住みたいから、住む。

それが好きだから、好き。

それが楽(自然体でいられる)だから、楽しいから選ぶ。

それが理由。「こうなっていたい未来」を叶えるためにはそれで充分。自分の好きなことを分かっていれば、それで充分。

意地悪な問いかけのせいで、事態をものすごく難しくしていたけれど、なーんだ、こんなにシンプルなことだった。


ひと月前には余りに現実味がなさすぎて、誰にも「私、○○○に住みたいんです」なんて言えなかった。それを思うと、こうして口に出して誰かに言えるようになっただけのことが、飛躍的な進歩に感じられる。現実的なことはまだ、何一つ形になっていないけれど、私の中では確実に変化が起こっている…という証。

変化の時は色んなことを取り込もうとして、変わろうとして、一挙手一投足意識的になったりするからエネルギーが要る。今まで、自分の確立されたやり方で自動運転でやってたことが、そうじゃなくなるから、ちょっと自分がなくなってしまったみたいで、かなり心もとない気持ちになることもある。

以前の習慣と、新しい習慣が同時並行で、ON/OFFのバランスも大きく崩れてしまいがち。見えたと思えば迷う。行ったり来たり、ぶらぶらとすごい幅で揺れている毎日。立往生も、しょっちゅう。


でもきっと、大丈夫。がんばれ、私。きっと、たくましく乗り越えていける。私には話せる人がいてくれるのだから。


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