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自分に正直になったら生きやすくなっていた#41

こんにちは。わくわくらすです。

人生って気を遣うことの連続だと思います。気を遣いすぎて疲弊していく人を何人も見てきました。口ではこう言ってるけど本心はそうじゃないんだろうな、他者が求める自分を演じているんだろうなと思うことがあります。自分で言うのもなんですが、私はかなり人に気を遣うタイプだと思います。他者の気を悪くしないように、他者が求める人物を演じています。

ある時ふと思ったのですが、そもそも「」って何なんでしょうか。「気」という単語を使う日本語ってたくさんあることに気がつきました。「気がつく」という言葉も「気」が入っていますね。

辞書で調べてみるとたくさんの意味がありました。
①生命・意識・心などの状態や働き
②天地に生じる自然現象。空気・大気や、水蒸気などの気体
③あたりに漂う雰囲気。心に感じる周囲のようす
とりあえず上から3つほど抜き出しました。

どうやら気を遣うの気は①か③の意味に近そうです。こうしてみると私は③の気を敏感に感じているのではないかと思いました。

そういえば、前職で隣の席だった人はいつも機嫌が悪そうで、何か言われやしないかとビクビクしていました。今の職場にもなんか眉間にしわが寄ってて話しかけても冷たく(私が感じているだけかも)返事をされます。

気を遣う人の特徴に「周りの空気に敏感」があると思います。きっとそうやって周りを見ることで自分にとって生きやすい空間を探す術を身につけたのではないでしょうか。

しかし、他者に気を遣いすぎると自分がなくなります。自分の行動の選択権を他者に渡してしまうので、他者にとって都合のいいことしかやれなくなります。気を遣う人が疲弊するのは自分で決めることが少ないからではないでしょうか。

このようなことを自覚してからは、気を遣うという自分はそのままに、他者の基準で接しないということを意識するようになりました。

例えば、「昨日のテレビおもしろかったよね」という何気ない会話があるとします。円滑に関係をすすめる為には、自分がどう思おうと「そうですね」と答えることが良いのだと思います。しかし、私はそこに「自分はそうは思わない」という選択肢を追加しました。

私にとって、自分に正直に生きるとはこの程度のレベルです。それでもなんだかすごく気が楽になりました。同意しなくてもいいんだなって。


先日、同僚に「あなたって物事をあまり気にしないタイプに見えるよ」と言われました。つい「え!そう見えるの?」と聞き返してしまいました。自分とは正反対の評価をされていると感じ、とても驚きました。

それはある意味私が憧れていた姿でもありました。何があっても気にしない、動じないという姿に憧れがあります。自分の評価とは真逆の姿を感じている人もいるというのは、大きな学びになりました。

自分に正直に生きるとは、何も他者と対立することだけを指すわけではありません。日常の小さな場面で自分を偽らないということも立派に正直に生きていると言えるのではないか。

そんなことを雪が降っている外を見ながら思いました。

お読みいただきありがとうございました。



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