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繋がらない権利

こんばんは
沖縄ってさいこ〜〜ですよね。🌞

こんなニュースを目にして他愛もないことを思い出していた

沖縄のとある宿から撮影した 綺麗な景色 2021.2.19

この景色を目に含みながら吾輩は社用携帯を耳に当てていた。当時の職場は博多であったが、要するに休みを取って沖縄旅行に出かけていた。
社用携帯からは説教、沖縄で吾輩、説教。
一方は現場対応に追われ、一方は旅行に出掛けている。同僚は、知ってか知らずかそんな圧倒的正義を振りかざしていた。(他人の旅行を正義で踏み躙るのは気持ちいいだろうな、って図らずも思ってしまったのはよく覚えている)

仕事というのは役割だと思ってて、誰が何をやる、というのはそこまで重要ではないと考えている。つまり、業務の総量に対して人員が充足していればエラーは起きないし、足りなければ何処かしらが綻んでいずれ顕在化する。(当時の職場では残業が常態化しており、36協定に抵触するなよ!みたいなお達しが飛び交っていたのを覚えています)

"お前が何かしらミスをしたからお前が責められるのは当然"というのはシンプルなロジックだけど、正しすぎて苦しい。それを口に出来てしまうなら、その人は名護の海のように青い。ミスの発生源はトライした結果であって、それを当事者同士で制裁しあっても、それこそ足の引っ張り合いになってしまい、BCPの観点でも苦しい。(BCPは言いたいだけ)

業務の総量を組織の人員で割り切るのが仕事なのだから、俺が苦しい時はお前も苦しい。必然である。だがいくら苦しくても人員は直ぐには増えない。増やしたければ理由が必要になる。腕として自立するには多少の時間ほか、コストだって掛かる。そういう目線で現場を眺めていたい。顧客には一緒に謝りにいける。そんな考え方が根付いた組織だったら、もう少し仕事も続いたのかもしれない。そんなことを思う日もある。

企業の体質は変わらないとも思う。企業の体質を定義するのは経営陣の脳味噌の他、業界の価値観(金銭感覚)、株主との利害関係、吾輩には上手く言えないけど、誰かの一存で簡単に定まるものではない。故に、体質となるわけで、それは願って揺らぐほど簡単なものじゃない。

と、いうわけで吾輩は 繋がらない権利は保証されてもされなくてもいいと思う。それが罷り通るリスクを素通りできるほど社会は機能しないと思うし、仕事はどうしても属人化する。ただ仮に、誰かが抱えた仕事 ─それが属人化した仕事であったとして─ が何かの拍子に爆発した時、それを本人だけの責任に留めない組織がいいなあ って思う。ま、元も子もない話、背負ってる責任に見合うだけのお金払ってるならそれでもいいと思うけれども。💰

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