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亀島川橋巡りその2:亀島橋・新亀島橋

亀島川は全長1.06kmの短い河川なのであっという間にすべての橋を巡ることができます。散歩という取材が終わった後、少ししてから記事にまとめているのですが、記事を書くために橋や川の名前の由来を調べているうちに新たな情報を知ることがよくあります。この橋巡りもこのままじゃ書けないと新川地区を何度か再訪したりしていました。
渡る前には興味がなかった新川地区は、江戸時代からの度重なる埋立てや掘削、関東大震災の被害の影響やその後の復興など、歴史を素通りできない街だったことに気づかされるのでした。

亀島橋(かめじまばし)

川と同じ名前の橋で、亀島川の真ん中に位置する橋です。八重洲通りの上に架けられています。(まっすぐ進むと東京駅に着きます。)
亀島の由来はwikipediaによれば「名前の由来は諸説あり、瓶を売る商人が多くいた、亀が多くいた、亀に似た小島があったなど 」らしいのですが、亀と瓶、いずれにせよ「かめ」にちなんだ名前のようです。
橋のたもとの説明によると、この橋は元禄12年(1699年)頃に架けられたと考えられているそうです。大正12年(1923年)の関東大震災で被害を受け、昭和4年に鋼上路アーチ橋として復興され(ましたが戦時中の物資を補うために高欄等が供出されたりしたようです)、その後平成14年(2002年)に架け替えられています。

この写真は昨年10月に撮影しました。
芭蕉句碑が橋のたもとにあります

説明にあった復興橋の「鋼上路アーチ橋」ってどんなのか・・・なんて探していたら、他の橋の昔の姿まで展示されているありがたいサイトがありました。

このサイトを見ると、私の稚拙な記事なんかいらないじゃん・・・てほど充実しているのですが、ここは私の散歩日記なのでお許しを。

この橋以外に「亀島橋」というのが存在します。首都高速7号小松川線の下に隠れて視界が悪くなっている堅川の、横十間川との合流地点近く(江東区大島2丁目)にあります。

新亀島橋(しんかめじまばし)

亀島橋より上流の橋です。名前も隣の橋にちなんだものだということは想像できますが、新亀島橋の近くに建てられている説明(下の写真)はもう少し詳しく載っています。(元禄の時代から架かる亀島橋に対して新が付けられて命名されました。)
この橋は明治15年に初めて架けられ、その後関東大震災の復興事業で鋼桁の近代橋として架け替えられ、今の橋は平成7年に亀島川の耐震護岸整備の一環で生まれ変わりました。

見出し画像は新亀島橋の中央のレリーフ。霊岸橋側が「大川をのぼる廻船」となっていて、亀島橋側が「廻船の荷下ろし」となっています。


本当は今回の記事で残り3橋を終わらせる予定でしたが、霊岸橋については一言では語れない歴史があったので別の記事にすることにしました。


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