初冬。雲の無い晴天。夕日が駅前の商業ビルを舐め落ちる。市街地、西方にタワーマンションが建つ前は、赤富士がクッキリと見えた。そのくらい空気の澄んだ空。落ちてゆく日が空をゆっくり寒色に染めあげる時間帯のみ、布絵の意識は明瞭となった。ホームの食堂には夕食に向けて入居者がぽつぽつと集いはじめ、大きな窓から射す光が朱から藍へと移る。いつも布絵は、三時ころには食堂の一角、窓を臨む椅子に座って、蕩けた時間を過ごす。窓の色が朱から藍に代わる、晴れた日の一瞬、自分の状況を把握する。介護施設。布絵は家を離れ、ここにいる。とはいえかたわらには夫がいる。

「お父さん」
呼びかける。長年連れ添った夫。車椅子に乗る夫は微笑む。もうすぐ夕飯が配膳される。家事に疎かったわたし。私が作る食事より美味しい。それを夫と楽しむのは、しあわせだと布絵は思う。けれどこの時間以外、あたまや記憶が曖昧になってしまうのは、お父さんがずっと若い顔をして私に会いにくるから。お父さんはある時は20年前、まだ髪があって、でも白髪の姿。あるときは、働き盛りの40代、皺も目立たなくて、貫禄を出そうとしても、瘦せぎすの姿。ある時は出会うよりずっと前。まだ小学校に入る前の、おかっぱ頭でよちよちとやってくるから、わたしは一体何歳なのかわからなくなってしまうけれど、楽しいわ。でも夕飯の配膳が済む頃、食堂には老人ばかり。だからきっと、わたしも老人だし、お父さんが車椅子に乗るほど老人なのね。

布絵はこの街の北、坂東川が支流となり和毛川と名を変えるあたりで生まれた。豊かな農家の娘だった。ある日見合いをし嫁いだ先は新興の商家だった。義父は戦後文具店を営み、児童数の増加に伴いそれを拡げていた。義父は既得権益を確かなものにしようと同業種の組合を作り礎を築いたが、経営体質は荒かった。早めに隠居し家督を長男に譲った。その長男に布絵は嫁いだ。若かった。なにもできなかったが、夫を見守った。夫は文具店を小規模ながらまっとうな会社にし、市内の小中学校を大口の顧客として安定した経営を行った。少しずつ社員も増えたがあくまで家族経営だった。ひとり息子を跡継ぎにすることも考えたが、結局そうしなかった。息子は公務員となった。少しずつ会社の実権を社員に渡しながら、ゆっくりと退いた。布絵はその緩衝役として、社員を含めた酒の席を催しては不得手な料理を振る舞い、夫を支えた。やがて有能な社員に会社を譲渡し、ふたりは隠居生活へと入った。

ふたりは亡くなった義父の家で晩年を過ごした。かつてまだ小さな文具店だったころの面影。来客用の高い上がり框や組木細工が施された襖。栄川区の中心、妙見宮にほど近い木造の平屋で、静かに暮らした。市の公務員となった息子が、時おり孫を連れて訪れる。

譲渡し、名義の変わった文具店は社屋を和毛区に移した。かつての社員の山本は現社長として奔走し、義理を欠かさなかった。盆暮には挨拶に来て、市内の顧客情勢や、街の変化を伝える。栄川区や和毛区のような古い区は衰退し、臨海区やみのり区の新興住宅地での売上が上がっているとのこと。古くから市街地の区にいる布絵と夫はさもありなんと頷いた。世紀が変わってから、市街地は寂れの一途をたどっていたからだ。

やがてふたりは歳を重ね、いかにも老人らしく物忘れや関節痛が増えた。寂れた市街地ではデパートやスーパーが閉店し、買物も困難となった。徐々にふたりの生活は、選択肢が狭まれた。

息子は公務員を無事退職し、いよいよ親の介護に尽力した。やがて、恵まれた環境の介護施設
を探し始めた。最適解がなにか、悩み、そうした。

夫も布絵も、息子の判断を尊重した。老夫婦の生活を合理的に判断した結果である。慣れ親しんだ家は離れるが、されども、子どもの負担にならない形を望んだ。
栄川区の古い平屋の維持や生活を続けることは、誰もしあわせにしないと、わかっていた
。ふたりは息子、和紀の意見に従い、施設へ入居した。

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智和は久しぶりに帰省した。斎場で受け付けをする。近しい親族のみの葬儀。20年ぶりに会う従兄弟や鳩子と会う。みなが過去を懐かしみ、恥じらいながらも暖かい気持ちになり、よちよち歩きの息子を抱きしめて感情を押しとどめる。祖父が亡くなった。最期、ケアホームに入居してからは、仕事の忙しさにかまけて会えなかった。父の和紀は、そのかわりケアホームに見舞い続けて、葬儀の喪主としても疲弊している。いつのまにか父も老けた。公務員を退職して何年か経つ。白髪が増えた。

物心ついたとき、祖父はジャンパーにスラックス姿でワゴン車に乗り、文房具をこの街の学校に納品していた。祖父は優しかった。けれど、横柄な顧客とはたびたび揉めて、たまに教師から
「(あの暴れんぼの)智一郎さんの孫か!」と驚かれた。遠い昔だと思う。その頃この斎場はなかった。かつてここは、軍艦を模したラブホテルだった。その跡地が斎場となった。祖父は焼かれ、柴氏の菩提寺に埋葬される。いずれ自分も、父もそこへ眠る。弟はどこへ眠るのか。斎場から見える、新ピカの納骨堂かもしれない。あのあたりはソープ街だ。最悪だ。もしくは街はずれの市営霊園か。最近女が犯され燃やされた霊園。弟も菩提寺にいれてやりたいが、そうもいかないだろう。墓には嫡男のスペースしかない。とりあえず、息子は菩提寺にはいるのだろうか。長兄の長兄の長兄の長兄だ。よちよちと、おかっぱ頭で斎場をうろつき、かみさんに叱られている。ちいさな子どもからしたら、曽祖父の葬儀など退屈極まりないだろう。

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喪主を終えた。和紀は疲れきっていた。しかしまだやるべきことがある。布絵のホームへ行かなければいけない。母は認知症で、父が亡くなったことを理解できないだろう。入居者を父と勘違いしている。いつも「お父さん」といい親しむ様を、和紀は直視できなかった。父は最期まであの平屋で、快復した母と再会することを望んでいた。父も別のホームに入りながら、また、母と生活したがっていた。あの平屋で。父が亡くなったと、伝える術がない。混乱を避けようと、わたしは、するだろう。沈黙を…いつまでも…

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この街は曇り空が多いと布絵は思う。曖昧な天気ばかりで。わたしはいまいくつなのかしら。わたしはわたしがよくわからないから、近くで愛してくれるひとにあわせる。ちっちゃな子、おかっぱの子が愛してくれたからわたしは3歳。スーツを着て、すこし頼りないけど愛してくれたひと。わたしは40歳くらいかしら。泣きそうな顔で愛してくれた、白髪混じりの60代の紳士。じゃあわたしは60代かしら。雲が晴れてきて、街に日が落ちて、夜になる。窓から見える。お父さん。みんなお父さんに似ているから、わたし何歳だかわからない。みんなそれぞれ愛してくれたから、ねえ、お父さん、夕日よ、あら、お父さんいつから車椅子なんて、ねえ、あなたお父さん?失礼、どちらさまでしたっけ?聞いてくださる?最近わたしの息子や孫や曾孫が、悲しそうな顔してここに来るからわたし心配で。みんな愛してくれて、そっくりな泣き顔。わたしみたいなおばあさんは、若返っちゃう。お父さんのこれまでの泣き顔にそっくりなのよ…ひょっとしてお父さんになにかあったのかしら?泣き顔なんて似たようなものだけど。ごめんなさいね、知らないひとにこんな話して。もうすぐ夕ご飯ね。一緒に食べません?あら、なんで、なんでわたしは泣いているのかしら?ねえ、お父さん、車椅子邪魔じゃない?お魚の骨とってほぐしておいたわ。お父さん、ねえ、ねえ、あなた、かわいかったのに…おかっぱ頭で…泣いちゃって…

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