日記 2019 3/25-4/1

帰宅すると妻子は風呂を済ませ寝入ろうとしているがまだ1歳と半の息子はうまく寝つけず、仕事そして生活につかれてウトウトとする妻の傍ら起き上がって遊び出す。息子の声は未だ意味を結ばないまま暗闇を飛び回り、妻を起こさないよう宥めては遊びにつきあっていると横臥する妻から寝かしつけないのかと問われて洗濯や皿洗いやなにやかやの家事を済ませて夕飯もとらないまま眠れない子を見ているおれの鬱憤は破裂して、いつからかどちらかが競い合うようにつかれあう不毛なやりとりに終止符を打つように怒鳴り家を出て向かった夜の公園からその週がいよいよ立ち上がった。当然翌日の昼ひなか仕事中は昨夜より継続する苛立ちと自己嫌悪でおが屑を口に詰め込まれたような気分で過ごす。あけて水曜日もぼんやりとしながら離れた実家にいる老齢の母は入院し、その翌日木曜日、簡単な手術を終えたと報告される。休日だったおれは夕刻息子を保育園へ迎えに行き日没を見た。陽が延びていた。

金曜日にはどうにか感情を整理して週末、土曜日の夕方ひとり家を出て実家に帰る。久しぶりに帰った地元の最寄駅は新たに改装されて、ちいさな地方都市の消費を促すよう様々な「都会的」テナントが光る様子を横目に見ながらまだ未開発の駅の裏路地に薄汚れた居酒屋には4月より禁煙という張り紙が貼られ鼻白む常連客はことさらタバコを吸い散らし、実家へ帰れば母の入院中ささやかな一人暮らしを数十年ぶりに営む父がドテラを羽織りおれを迎えいれ、乾き物と簡単な惣菜を囲み男ふたりの酒席は概ね家族や親しい親戚の暮らしぶりやテレビで放送されうる政治的ニュースに話題は終始して眼を患いサングラスを掛けている父の本心は窺い知れないままこの街特有の小雨に閉じ込められて眠りにつく。お互いの閉じられた生活のなか、お互いの認知はそれぞれ離れて歪みながらも上滑りする会話をどうにか纏め上げた疲れは浅い眠りのなかに埋没して、かつて暮らしていたはずの家は古びて自分とはまるで無関係のもののように感じる。ここに住んでいたことが夢のようだ。

あけて日曜の昼に母を見舞いに父と家をでる。最寄駅までの道のりのなか、一昨年亡くなった伯父の家が更地となりコインパーキングとなったその跡地を眺めてから電車に乗り、おなじ市内のより寂れた駅で下車してバスに乗る。入院中の母は変わらず元気で、顔を見て病院を出ると、父は遅めの昼食をとろうと提案するが飲食店はすくなく、ちいさな駅まわりをうろつくさなか、酒に酔った半グレ風、三十路絡みの男が下卑た話しをふらつきながら電話している。暴力性を身にまとうその男とすれ違う折、目の不自由な父の袖を引き決して関わらないようそそくさと目についたチェーンの安中華屋へ入ればほぼ席は満ちて我々親子はふたりカウンターに、横並びに座す。注文が届く間、父は母の容態や、昨夜から引き続く親しい物事や遠い国の紛争について語る声は次第に熱とボリュームを増して日曜昼、くたびれ話相手もいない一人客たちを掠めるようにその店に響く。スピーカーとなった父の声を塞ぐよう旨くもなく不味くもない料理が到着する。遅めの昼食を口に詰め込む。ラーメン 餃子 カタヤキソバ。
自動ドアが開く。
先にすれ違った半グレ風の男が相変わらず携帯を掛けながら入店し、ギャハハという男の笑い声はアルコールでべとついており、接客にあたった若い店員がテーブル席は埋まっているのでカウンターでよいかと問えば男は嫌だ、「嫌だ」とごねて店を出る。
昼食をとり終えた父はまたしずしずと話はじめて湿ったカタヤキソバが未だ口に残るおれは曖昧な相槌をうつ。やがて居場所が見つからなかった半グレは再度入店し、ハイボールを大声で注文しておれはこの暴力装置がもし酔いに任せて近くに座っている父を侮辱したら厨房へ行き、包丁を使いこいつを殺そうと考える。会計を済ませ、目の不自由な父を店外に促してからするりと厨房へゆき、包丁を拝借して、何度も何度も、刺す。
男の背後の壁が傷だらけになるほど深く何度も。

店を出て駅のホームで父と別れる。

あけて月曜職場で掃除機をかけ、その手を休めたその隙に、TVから、新たな元号が発表された。

その瞬間、がらんどうな気持ちになって、あの半グレ、ハットをかぶり髭をたくわえて手首から入墨をちらつかせ、昼から安酒を求めてさまようお調子ものの男を思い出した。彼がおれの父に酔った勢いでうるせえなジジイと絡んでくれたら、サングラスをかけ俯いている父の隣に座る中年のおれは厨房へ包丁を取りに行けたのかと考えた。
しかし携帯での通話を終えた彼は、静かにハイボールを啜りながら話相手の無い携帯を覗きこみ、赤ら顔で深い溜め息をついた。
みな、ひとりぼっちだ。
全てが悲しい演技をするわたしの故郷は円形の壁で隔離されたあまりに退屈な劇場のまま、いまさら平成を上演しようとしていたのだ。もしくは昭和や、大正や明治を。

2019 3/26-4/1
いくつかの桜を見た。
息子は新たな元号のなか青年になることに気づいた。
四肢の自由が利かない者は、自由に鼻をほじれないということに気づいた。
父は藤井聡太を応援している。
母は句集を出そうとしている。
妻とおれは、QPコーワゴールドを飲んでいる。

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