熱病

家を出ると既に陽射しが強い。自転車に跨り職場に向かう。すぐに汗が噴き出す。この何日かはひどい猛暑だ。
朝の通勤時間帯、なかなか開かない踏切を越えたあたりで左腕を眺め、腕時計を忘れたことに気づいた。腕時計自体、無くとも仕事に大きな支障はない。携帯電話をみれば事足りる。
ペダルを漕ぐ足に力を入れて、腕時計のことを頭から振り払う。毎朝通る道々の景色が流れてゆく。住宅地を抜けて大きな幹線道路へ。

歩道をすれ違うひとびとは、圧し潰すような熱気に俯き、歩いたり自転車に乗っている。なかには見知った顔もある。大体同じ時間に毎朝ここを通るのだ。

またか、と思っていた。しばらく前から、外出する折り忘れ物をすることが増えたのだ。通勤の際、あるいはプライベートの外出でも、ほんのちょっとしたものを忘れてしまう。今日の様に腕時計のこともあった。ライターだったり頭痛薬だったり、ちょっとしたものを忘れる。

若い頃は、ささいなミスが日常生活を滞らせることにひどくストレスを感じていた。そのため、人一倍忘れ物には気をつけていた。旅行へ行く際など、出発前夜にはリストを作り、それに基づいてパッキングを済ませるようにしていた。バタバタと慌てて何かを忘れるような真似はしないよう努めていた。習い性か、若い頃ほどに気を張らなくとも、いつの間にか忘れ物などしない人間になっていた。それがここ最近、忘れ物が多い。最初はなにかひとつだった忘れ物も、時にふたつ、みっつとなると、自分自身へ不安がつのる。

生産緑地帯に緑があふれる。チェーンの飲食店はまだ開店前で薄暗い。自動車のクラクション。月曜日の朝は慌ただしい。

老化のせいだろうか。もう中年と呼ばれる歳だ。身体には少しずつガタが来ている。その自覚から運動の必要を感じ、わざわざ職場まで自転車通勤を選んだ。同様に、脳にも少しずつガタが来ているのだろう。しかしまだ否定したい気持ちは残る。忘れ物を、年齢のせいではなく、日々の生活の慌ただしさのせいにしてしまいたい。それくらいに、いろいろな物事に変化がおとずれ、毎日が慌ただしく過ぎてゆくのだ。

自分ひとりの生活のみに注力していられた若い頃と違って、家族ができた。数年前に結婚し、昨年、子供が産まれた。遅くに出来た子だ。
自分以外の人間との暮らしのなか、自分のペースを優先出来ないことも増え、それが慌ただしさに繋がる。確かに今朝もそうだった。妻も働いている。子供は保育園に通園する。朝起きて、三者三様バタバタと動き、どうにか無事に家を出る。 それまで家の中を、ヘアピンやタオルや卵かけ御飯やオシメや哺乳瓶やスポンジやパンツやシャワーヘッドやTVのリモコンやスプーンや台布巾や体温計や空咳や溜息や歌声やサプリメントやタイマーや……余りにも色々な物が飛び交うから、忘れ物のひとつやふたつするだろう。それにどこかで、忘れ物をしてしまう自分を許容するようになりつつある。この気持ちの有り様こそ、加齢によるものかもしれない。

車道から歩道へ移るため小さな段差を越えたとき、後輪がパンクし、みるみる空気が抜けていった。
連日の猛暑のなか、膨張と収縮を繰り返しながら酷使された自転車チューブはとっくにヘタって細かなヒビがたくさん走り、パンクするのは時間の問題だったのだ。先週末の休日にチューブを交換して貰おうと考えていたのに、自転車屋へ行くのを忘れていた。職場までは道半ばで、自転車を引いて向かえば遅刻となるだろう。
止むを得ず近くの公園に自転車を留め置き、歩いて最寄りの駅に向かう。今日は電車で通勤し、夜に自転車をピックして帰るしかない。

歩けばより夏の陽射しは容赦ない。けれど駅までは数分で着く。道すがら、自転車の速度では気づかない様々なことを発見する。無人の野菜販売機はラインナップがいつの間にか様変わりして、茄子やインゲンが放られている。コンビニエンスストアの看板が破壊され、ガムテープで補修されている。

自分のものを忘れるぶんにはよいが、子どものものを持ち歩くようになってから、やはり忘れ物には気をつけなければと省みる。胃腸炎で腹を下している子どもを病院に連れて行くバスのなかで、オムツを忘れたことに肝を冷やした。病院までの道のり、診察が終わり帰る道のり、子どもはまさに腹を下していつオムツが必要になってもおかしくないというのに。

駅に着く。ここから電車に乗れば充分に間に合う。しかし財布を忘れていた。中には電子定期も入っていたはずで、とにかく電車に乗れない。発券機の前で茫然とする。誰か、見知らぬ人に金を借りてでも電車で行こうか。しかし自戒を込めて走ることにした。自転車替わりの運動にもなるだろう。まだ時間はある。

地下改札から屋外に出てすぐに、あらためて汗が噴き出す。職場までの近道を確認しようとリュックの中、携帯電話を探したが見つからない。家に忘れていた。つまり職場との連絡も取れない。これはしくじったと、さすがに頭がやり場のない怒りで煮えそうになった。しかし自業自得である。これを教訓にいまいちど、忘れ物などしないように生活スタイルを見直すべきだし、遅刻はできない。せめて始業前に着いて、連絡も無く遅刻するような真似をしないように。
しゃがんで靴紐を硬く結び、リュックのベルトを調整する。体に密着させるとリュックは軽く感じたが、それは昼食用の弁当と水筒を忘れたからだ。

走りながら、さすがに景色は目に入らない。何故こんなに忘れ物ばかりするようになってしまったのか。ぶつけようの無い苛立ちと、自分への信頼の揺らいだ不安を行きつ戻りつしていると、周りの風景は溶けて行ってしまい、少しずつ登る朝の日光と、充分に暖まった空気の不快さばかりがのし掛かる。揺らめくアスファルト舗装のなか、自分がどの道を走っているのか不明になって、何処へ向かって何故走っているのかを忘れてしまった。

何もかも忘れてしまって、自分の名前も忘れてしまった。

心臓は激しく鼓動し立ち尽くして、視界は狭まり目前は暗く嗚咽が込み上げ、鼻をつく反吐の匂いに、どこか懐かしい気持ちになった。

そして、こんなになる前はこんなに苦しい思いなどせず、なにかを忘れることもなかったし、みんなと混ざりあっていたことを思い出した。そもそも名前も、時間なんてものもなかったし、もちろん時計なんてなく、全てが流れて一体となっていた。全てはわたしと繋がっていて、今朝すれ違ったひとびともアスファルトも夏野菜もギアチェーンも恐竜も木星も谷や川もナッツも8次元を組み立てる9次元もデッケンシファカも石板もピエトロドレッシングも、全てがわたしだった。なにものとも分かち難くつながり、それぞれでありながらひとつで、どちらの方向にも進みながら平板な時間が流動するさま全てがわたしだった。愛することしかなく、全てのものどもはそうであったかもしれない可能性としてのわたしのひとつで、愛おしかった。わたしは流れながら固まり、細部でありながら全てで、わたし自身を過不足なく愛するゆえに愛しかなかった。覚えることも忘れることもなく、たゆたっているだけだった。そんなだったはずなのに、いつのまにか牢屋に閉じ込められてしまった。いつからか愛は萎れて、剥き出された憎悪と無関心の狭間にほんの少し兆すだけになってしまった。牢屋から外の、かつてわたしであった全てのものがわたしとは隔てられて何もわからないものになってしまい、次第に怯えがほとんどのものに向けられて、ほんの少しのものごとしか愛せなくなってしまった。かつてのこと、全てがわたしだったことはほとんど忘れ去られて、愛の足りなさ、悲しさをなにものとも分かちあうことができないうちに虚しさを覚えて、どうにか愛を獲得しようと、牢屋のようなこの体を、かつてわたしだった全てのものに擦り合わせようと試みた。かつてのように、混ざりあいたかった。失敗ばかりのこの試みのなかで牢屋もようやく壊れかけてきて、かつてはわたしだったが今ではわたしとおなじように壊れかけてきた牢屋に見える幾つかのものとだけ混ざりあえたような気がした。そうしてようやくほんの少しのものごとを愛せるようになって束の間、おそらくもう少しで牢屋となったわたしはばらばらに分解されて、わたしはまた全てがわたしのあの状態に戻るのだろう。愛のみの、わたしのみの。そうなってから、わたしはまた、ちっぽけな牢屋でのちっぽけな愛とくだらないたくさんの憎しみや無関心に塗れ時間に縛られてしまった一瞬の異常事態に、戻りたくなることがあるのだろうか。それを望むことがあるのだろうか。望めば叶うのだろうか。なぜこの腹立たしくみすぼらしい牢屋が、ようやく壊れようとしているのに、ようやくまたみんなと混ざりあえるだろうに、寂しくてたまらないのだろうか。

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