ドワイト・トワイト・ライトシングス

おれは助手席に座って、流れて行く光を見ていた。何周、どこを走っても首都高には夜の光がへばりついて、いつまでも飽きない。隣で運転する吉田はニヤニヤと、車の性能を確かめている。名義を変えて、納車したばかりの車。
実際この車は悪くない。シルバーのアウディクーペ。内装は赤の革張りで、計器類のデザインもいけてる。強いて言えば、男ふたりで乗るべきじゃない。ましてや、汗に蒸れたスーツ姿の男が、横並びに座って深夜ドライブするべきじゃない。
おれはクソみたいな仕事を終えて、睡眠時間を削り、同僚のドライブに付き合っている。

吉田は冴えないが、良い大学を出て良い会社に入り、そこを辞めて良くない会社に入った。その良くない会社におれも入ったから、同僚になった。
吉田はすでに歪んでいたし、おれも歪んでいたが、金回りは悪くなかった。良くない会社だ。金ぐらいは貰わないと。

ひゅんひゅんと夜景が流れる。おれたちはドライブしながら、お互いを蹴落とす算段ばかりしている。同僚を蹴落として、もっとたくさんの金と、チンケな尊厳を求めて。

おれは吉田のことを知っている。調べた。

たとえば吉田は

必死に勉強して優秀な大学に合格したこと。その合格発表をみて、抱き合って喜んだ母親が家のクレジットカードを使い込み不倫していたこと。両親の離婚に関しての愁嘆場を語りたがらないこと。しがない家業を営む父親と暮らしていること。新卒入社した上場企業で精神が壊れ、この『良くない』会社に流れついたこと。異常に強い性欲を発散するあまり、新宿のデリヘルの電話番号を全て記憶していること。マッチョイズムに憧れて学生時代ラグビーをしていたが、悲しいほど運動神経が無いこと。日々の生活のストレスが胃を荒らし、ひどい口臭をゲップとともに撒き散らしていること。お気に入りの学生風俗嬢のために、卒論を代筆して渡していること。金をかけて身につけた服が、まるで似合っていないこと。必死に勉強して優秀な大学に合格したからこうなって、だからこそ

とにかく、強くなりたいこと。

しかし吉田はみっともなかった。そして吉田もまた、おれに関する情報を執拗に探って、あわよくばおれの落ち度をピンに留め置いて、さりげなく昇進の邪魔をしようと試みている。

おれは日中、仕事に草臥れてたまたま昼、営業車のなかラジオで聞いて耳に残った呪文のような言葉を反芻する。トリストラムシャンディ、トリストラムシャンディ。

夜景。

東京タワーのあたりを過ぎて、おれの呪文を遮り吉田はゲップをする。オフィスビルは冷たく迫るが光は消えない。スピードは増す。クソみたいなかっこいいアウディ。

吉田はとにかく醜い。
そして、ハートは傷だらけだ。それを紛らわす為に働き倒しては、風俗で射精し、それを自慢げに話し散らす。この世の他人すべての陰口をトッピングしながら。

しかし今夜はようやく手に入れたクールな車こと アウディクーペにご執心で、青白く光るメーターや、眼下にちらつくネオンに身を包もうとしている。アーバンかつハードボイルドの世界にどっぷりと浸かっていやがる。スピーカーから、だせえジャズを流して。

おれはこいつを蹴落として、二度と舐めた口をきけないようにしなければならない。顔を踏もうと思っている。なるべく安い革靴の底で。
手始めに
無言でアウディクーペの灰皿を引き出してタバコに火をつける。タバコを吸わない吉田は苦い顔をする。おれはタバコの銘柄には詳しいが、アウディの車種は知らないままだ。

200mほど先を走るトラックが荷崩れを起こした。
ベニヤ板がこちらに向かって飛んでくる。
吉田はハンドルを回して、それは下手な回しかただから路肩を擦りかけ、助手席のおれは笑う。車にあたる寸前で東京湾からの潮風に煽られて、ベニヤ板は背後に消えた。
ベニヤ板が舞い、背後に飛んで行く数秒はスローモーションとなり、おれも吉田もその間、三十年分の思考を終えた。
ムカついた。ご大層に、ビビってしまったから。窓を開けて、吸い殻を投げる。

おれはベニヤ板にぶつかり、吉田がハンドルを切り損ねる未来を幻視していたというのにビビった。
死ぬことを。
東京のネオンに包まれて、シルバーの車体がそのまま棺桶となり、血は革シートの赤と区別がつかず、おれの内臓と吉田の内臓は破れた腹から飛び出して狭い車内で混じり合うのだ。裂けた胃袋から吉田の臭いゲップが漏れ出して、おれの腸は溜まった屁をゆっくり絞り落として、棺桶のなかは酷く臭う。駆けつけた救急隊員は一瞬匂いにたじろぐが冷静に対処して、ひと月後の飲み会で男ふたりを乗せていたクーペの事故車の臭さを笑い話として消化するだろう。唐揚げを摘み、ハイボールを飲み、帰宅してかみさんを組み敷く。ウッドデッキのうえでミニトマトが風にそよぎ、円い月のもとにはネオンなど無力で、べたべたとした湿気は梅雨のあとも残る。おお臭えと、鼻をつまんで事故に臨む。夏の臭気のなか、死体を死体袋に突っ込み、帰宅して射精する。慣れ親しんだ迷路のようなおまんこ。おなじく警察署内の迷路のような通路を辿って屋外の検死室のひび割れたコンクリート。石の台のうえで屍体は寝る。勃起して、かみさんも蒸れてなおすべすべとした、白い腋窩を弄りながら、ホモ野郎の潰れたクーペ…を思い出して。ゴミくずめ…ゆっくりおまんこから垂れる精液を掻き出して、ようやく髪を撫でて。ようやく。ひび割れ。ぽっかりと穴。掻き出す手にはビニール手袋をハメて感染症におびえながらからだの突端を吸うように、有頭エビの脳を吸い、ハイボールを飲んで、空になった海老の外骨格にちんぽを嵌めた後輩を笑い殴り愛してゆく。

気がつくと吉田は首都高を降りて、おれを家まで送ろうとしている。おれもなにかしらの傷を負いながら、けれど吉田のようになにかに没入できないまま東の空が濃紺になっている。死ねばよかった。あのまま、ベニヤ板にあたって。

嘘だ。死ぬのなんて、死ぬほど怖い。死にたくない。見透かすようにニヤニヤと、吉田は笑った。生き延びたと。

そして吉田はフリスクを噛んだ。おれは吉田に相応しい死を考えた。

けれどたぶん、吉田は死なない。永遠の孤独を生きる代償に、みっともなさを手に入れているから、何にも包まれない不満を灯して暗い朝の道を歩いてゆくのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?