グラコーマ。カタラクト。ソファで目覚めた曖昧な視覚、まずは、気に食わないものばかりがぼやけて映る。かつて鷹野がデザインした家具や、額に入った絵画。反吐がでる代物だ。笑う。思わせぶりな煉瓦と薪。窓の外の園庭と木。投げ置かれたインスタント食品の空き殻。これは気に食う代物だ。寒さで固まった上半身を起こし、度入りのサングラスをかける。階段を降りる足音。扉をあけリンジーが現れる。大きなグレイのパーカーを羽織り、欠伸をして微笑む。マデリンの面影が兆す。彼女は朝の挨拶もそこそこに出掛けていった。今夜のために、大量の食材を求めて。

この家で暮らすようになって二十年を超える。子供時分の生活を含めれば、結局この街で半生を過ごした。
街の南端にあたるこの一帯は、農林とちいさな山ばかりの寒村だったが、いつのまにか市に合併された。やがて政令指定都市の一部となり、区役所が置かれるようになるとは、幼い鷹野は想像もつかなかった。一家は農家を営んでいた。貧しい村だった。鷹野の楽しみは、森のなかでの昆虫採集や、山でおこなわれる非合法の闘犬を覗き見る事くらいだった。傷ついて瀕死の犬がモグリの医者のもとへ運ばれる。医者はかつて画家を志していた。使われなくなったキャンパスや絵具を鷹野に渡し、指導した。鷹野は裂けた肉を描いた。市街地を襲った空襲もこのあたりには届かなかった。
高校を出ると家を飛び出し上京した。フラフラしているとおカマ野郎に声を掛けられた。言われるがまま、適当に描いたデッサンや作品が、前衛芸術展に展示された。同世代の様々な人間と、金を余らせた大人たちが集まった。出処の怪しい奨学金を受け取り、60年代、ニューヨークへ渡った。川を見ていた。川のなかのゴミ屑をまとめて展示したら、また人々が集まった。その中に、活動に協力したいという女。マデリン。パートナーとなった。いくつかの絵画や論文、詩や建築やこどもを、ふたりで産み出した。籍はいれなかった。口座には五桁以上の金が随時振り込まれていった。マデリンとこどもは離れていった。それ以外は、鷹野を離さなかった。たくさんの国を廻る間、久しぶりに日本へ立ち寄った。日本人は誰も鷹野を知らなかったが、新進気鋭の学者が鷹野をとらえ、深夜番組の出演や対談企画をお膳立てした。浅薄なアカデミズムが流行っており、鷹野の作品は小難しく解説するのにうってつけの商材として流通した。鷹野は英語混じりに会話し、それがひとつのキャラクターとして面白がられた。鷹野は要望に応えた。なにも考えていなかった。日本への渡航が増えたさなか、忘れていた父母が相次いで亡くなった。浄土真宗の葬儀は愉快だった。所有していた農地は切り売りされ、無くなっていた。生まれ育った寒村は、かつてと異をことにしていた。旧街道を支点として西側、昆虫をとったり闘犬を覗き見た山林が切り拓かれて、新興住宅地になりつつあった。そのなかに、99ヒルズが生まれた。巨大な資本により、堅固な敷居と入場ゲートのなかに、99戸の高級住宅が開発された。各戸にはすべてチムニーやプールがあり、アメリカ式の邸宅が作られた。芸能人やスポーツ選手が別荘として買った。税金対策。鷹野は、この世で最も場違いで醜く、この世で最も自分らしい住居の誕生に驚き、1戸を終の住処とした。金はいくらでもあった。十桁の数字にサインした。99ヒルズ一帯も地価が上がり、ゆっくりと開発された。かつて駆け巡った野山もすべて、霞ケ丘という名称の住宅街となった。
鷹野はすでに疲れていた。もう誰とも、一言も話したくはなかった。家のチムニーやプールを一度も使わないまま、隠居生活を始めた。
鷹野の二十年はありきたりだった。起き、家のなかを歩いては、昼過ぎに買い物に向かう。入場ゲートのほかに用意された、通用の小道から99ヒルズを出る。運転免許のない鷹野は、車社会のこの街のなか駅前まで歩く。馬鹿でかいスーパーでインスタント食品を買い込み、ふやけたバックに押し込む。たまに駅前の適当な飲食店で食事を済ませる。

誰からも気づかれない。この二十年のうち、再びメディアに姿をあらわしたのは一度だけだった。
住宅街に隣接する形で美術館が建設され、久しぶりにこの区域にちいさなスポットライトがあたった。それと前後して、著名なコピーライターが鷹野のこれまでの仕事にもライトを当てた。彼は自身のホームページで鷹野についての特集を組み、美術館の落成記念に鷹野の講演会を企画した。
篤志家の蒐集品を積めこんだ美術館は、いかにも現代風な仕上がりだった。うっかりコピーライターの口車に乗せられた鷹野は、ご近所ということもあり講演会の依頼を承諾した。地下ホール、鷹野の絵画が飾られるホールに向かう間、すでに目を患っていた鷹野は薄暗い館内で3回転んだ。講演会が開演して鷹野は壇上に上がり、まるまる二時間無言を貫いた。終演を告げるため、机上に置かれた時計が小さくアラームを鳴らした瞬間、鷹野は持参の杖で、机上の時計や原稿、水の入ったグラスを薙ぎ倒し叩き潰した。そして誰とも口をきかず、歩いて数分の自宅へ無言で帰った。
翌日コピーライターは、自身のホームページで落成式の不備を謝罪しながら、なおも「鷹野氏ここにあり」と、へらへらとした擁護を試みた。しかしそれ以降、彼からも誰からも、鷹野に連絡するものは無くなった。
これが最期だった。

鷹野はいつも通り買い物を済ませたが、疲れてしまった。夕飯は、駅前のファミリーレストランで済ませることにした。窓のそと、向かいの通りの雑居ビル。地下階段に向かう入り口。そこから、ひとりの若者が担架に乗って上がってくる。駆けつけたパトカーや救急車に若者が群がり、黒いTシャツを着た男たちが場を制する。若い頃。かつて住んでいた街を思い出しながら運ばれてきた安ワインを飲む。隣の席にいた若者たちが外の様子に気づいて、あわてて店を出る。

リンジーから突然メッセージが着た。孫娘は、東海岸の最新ミュージックシーンを捉える若手カメラマンとして、すでに名が売れ始めていた。インスタグラム。ミュージシャン達の写真に混じってたまに現れる彼女。はにかむ顔はマデリンに似ていた。アメリカ以外でも写真を撮る。彼女は東海岸と、旧共産圏、インドネシアの知られざるミュージシャンを追い、いま日本にもたびたび訪れる。今年のクリスマスイヴは、鷹野のいる街のミュージシャンを撮影するので、明けて朝、鷹野の家に向かい一緒にクリスマスを祝いたいという。鷹野は彼女を招いた。仕事が大事だ。納得のいく写真を撮ったら、じいじの家においで。あっという間に大人になって。

買い出しから戻ったリンジーは大量の食品をテーブルに並べた。鷹野は自分が寝ていたソファを移動させて、パーティ用にスペースを作る。リンジーは使われていなかったオーブンも開き、25日を楽しもうと、折り紙を切り貼りした飾りつけまで施した。ピンク色の「80」の文字。夕暮れにはすっかり準備を終え、肉やサーモンや酒類、見映えはよくないがチラシ寿司まで紙皿によそった。あまりに多かった。鷹野は食べきれないな、と呟くと、リンジーは友人も招いたと、いたずらめいた顔をする。じいじに紹介したくて。長らく人と交流しなかった鷹野だが、その不安はチャイムのあとにすぐ消えた。7時頃、チャイムを鳴らして現れた若者はこの街の公務員で、リンジーの撮影旅行に不備をきたさないよう、サポートをしてきたらしい。昨夜のライブにも同行し、無事リンジーをこの家まで送り届けた男だった。精悍で礼儀正しく、まっすぐで熱い眼差し。旺盛に料理も平らげる。鷹野は久しぶりに、若者との会話を楽しんだ。彼の苗字にちなんで、シヴァ神に関しての挿話を披露すると、彼は興味深げに耳を傾ける。シャンパンやワインを空ける。煮豚や鶏の唐揚げ、ハムやミートローフ、ローストビーフ、大蒜の効いたサラダや和風に和えたパプリカ。千切られたトマトにごま油や韓国海苔振らして。塩気を中和するため水を飲み、また日本酒にうつり、鯵を細かく叩いたり、味噌と混ぜたものをディップのように薄く焦がしたトーストに乗せる。いつのまにかチラシ寿司も平らげ、味付けのないアスパラガスをお茶受けに齧り、日付が変わる頃、彼は丁重な挨拶をして帰っていった。

鷹野は満たされていた。リンジーがシャワーを浴びるあいだ、酔いに任せて、安っぽく大好きな暖炉に寄った。使われなかった暖炉にはアクリルの板が嵌められている。薪を灯すこともない偽物の暖炉。そこにドスリと何かが落ちてきた。酔った鷹野はサンタかと喜んだが、手に手に金属片を握る、三人の屈強な男たちだった。彼らが着ている黒いTシャツは季節外れに思えたが、鷹野はとにかく嬉くて、余った酒を振舞おうとキッチンへ向かった。

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