市街地。栄川区の中心。不二町に、タワーマンションが建設された。かつてそこには小さなデパートがあったが、プラザ合意の数年後には取り壊され、長い間ポッカリと手つかずだった。世紀をまたいで、人口は頭打ちとなり、高齢者率ばかり増加する頃、突然建った。景観や日照権は無視された。西方に見えた富士山もタワーに隠された。市街地で最も高い。ヘリポートを要する屋上のすぐ下、最上階から平山は街を睥睨した。柴駅からみのり区、蓮実区、臨海区へと、南北に列車が走る。東京湾から吹く横風に弱い。列車はたびたび遅延する。県庁、市役所、和毛区、都馬区に向けて放射状に吊り下げ式のモノレールが走る。第三セクターによって作られたモノレールには乗客が居らず、毎年赤字を垂れ流している。足元の不二町の繁華街には平山の所有するキャバクラやバーがある。妙見宮の参道の先、旧柴駅前のコリアンタウンと、隣接する萌葱町風俗街。そのなかにも、平山所有の風俗店があった。風俗街の入口、旧柴駅、いまでは市民会館になった真向かいに、納骨堂が建てられた。この街では、死者はソープ嬢のかたわらで眠る。現在、改装されつつある柴駅から、タワーマンションまでの商業地区では、先日老舗のデパートが閉店し、広く作られた大通りを歩くひとは少ない。柴区の端、和毛区に隣接するあたりに建てられた豪邸はここからは見えないが、反対側、県庁付近の小山の上には鴫嘴城が、プラスチック模型のように建っている。栄川区役所から奥は、平らかに住居が並ぶ。日本で一番、平均海抜の低い県。平野のなか、市街区を外れた周縁部には山林がある。それを切り拓いた市の南端、みのり区にある99ヒルズ、高級住宅群のなかの事故物件を、安く買い取ったばかりだ。

平山は、これから人に会う。

まだ幼い頃、この街に住んでいた。小学校へあがる春、家計は傾いた。坂東川の支流も尽きるドブ川沿いの小屋に一家は引っ越した。周りには訳ありの人間しか住まず、泥にぬかるんだ一帯の端には芸者の置屋があった。朝は、近所の人間の飼う鶏の鳴き声で目覚めた。夕には、置屋から着物姿の女たちが、日の落ちるほうへ、小さく見える富士山に向かい歩いていった。平山は弟と、近所の鴫沢小学校へ通った。身を持ち崩した父親は乞食同然となり、母親は萌葱町で春を鬻いだ。
父親はリヤカーを引き、路地裏で遊ぶ平山と弟を見にきた。屑拾いをしながら、昼の日のなかふたりを見ていた。やがて平山が鴫嘴中学校に進むと、リヤカーを引いて路地にいる弟を確認したあと、古い自転車に乗り換えて中学校内にやってくるようになった。荷台につけたラジオを大音量でならし、反抗期に入った平山の注意を引くように校内を周遊した。同級生には、彼が父親であると伝えない。一緒になって遠くから笑い、家に帰るとすでに昼酒に酔いふやけている父親を殴ったが、泣きながら弟がそれを止めた。朝まで、母親は帰ってこない。

中学校1年生の、夏の日、放課後、校舎の二階。廊下を歩いていると、いつものように校門から父親が侵入してきた。その日は勝手が違った。3年生の担任をしている体育教師が父親を追いかけまわし、自転車から引きずり倒した。怒鳴りつけたあと、木陰に連れて行き、したたかに殴った。立てなくなるまで殴りつけた。自転車を踏みつけ、父親もろとも校門から外に投げ出した。荷台にある灰色のラジオは、踏みつけられながらなお大相撲中継を流していた。父親はゆっくりと立ち上がり、壊れた自転車を押してドブ川方面へ歩いて行った。ラジオは鳴り止まず、平山の耳を浸した。

すぐ後に、両親は別れることとなり、母親は兄弟を連れて郷里に帰ることとなった。しかし、まだ小学生の弟は頑として拒み、父親と暮らすと強弁した。結局、中学二年にあがる春、母親は平山のみを連れて里帰りした。祖父母はいない。面倒役は伯父夫妻がつとめた。ふたりは紀伊半島の街で、新生活を始めた。母方の姓、平山を名乗るようになった。

平山は伯父夫妻にも学校にも馴染めず、暴力事件を繰り返した。郷里の地名は、かつてあの街のあった半島の地名と似通っていた。あの街もまた、紀伊半島のように、太平洋に南へ突き出す半島のなかにあった。かつてこのあたりにいた漁師が黒潮にのってあの街一帯に辿り着き、紀伊を懐かしんで地名をつけたからだという。その地名は否が応にもあの街を思い出す。

平山はまだ幸福だった頃を思い出す。モノレールに乗って、終点、都葉区にある柴動物公園に辿り着く。まだ小さい平山と弟はモノレールから眺める街の景色に興奮した。両親はまだとても仲が良く、父親がにこにこと笑いながら、モノレールや動物公園の切符を渡す。
「大切に持っていないと、何処にも行けなくなるよ」
家族で、よちよちと立ち上がるアライグマを見て笑った。

幸福な記憶を捨てるため、暴力をはたらきつづけた。父親と弟は、ドブ川の小屋から転居したらしい。あのぬかるんだ一帯の家々は取り壊され、川は暗渠になったと人伝に聞いた。中学校を卒業すると家を飛び出した。わずかな金を手に東京へ向かう。東京でも、すれ違う人間を悉く殴った。やがて暴力で結ばれた仲間ができる。組織化して犯罪行為に手を染め、非合法な金を稼いだ。次第に警察からもヤクザからもマークされる。それを交わしながら資金を洗い、新たな組織を築き、拠点を徐々に東へ移した。坂東川を越えて南下する。各地でまた資金を増やし、洗い、少しずつ事業を合法なものに替えていった。かつての仲間たちは仲間割れと逮捕により、遠退いていった。平山は、自分は絶対にしくじらないという自信があった。やがて平山は、柴市の栄川区まで辿り着いた。新たな組織を統べた。ここまで生き残った部下たちには黒いTシャツと金のラインが入った黒いセットアップを支給した。

街を眺める。自分がしくじらないという自信は、この街で生まれた。この街はデタラメだらけで、暴力がはびこり正義が負ける街だった。何もない空虚な街。ちんけで安っぽい悪ほど強い街。平山は、ちんけな暴力ばかりを指揮してきた。だからこそしくじらないと自信があった。部下たちにも、なるべくデタラメでみっともない罪を犯すよう奨励した。しかしそれも今日でお仕舞いだろう。なぜならこの後、この街で最もちんけな悪によってシノいできた者を制裁するからだ。ついにこの街で、おれはモノホンの正義を齎してしまう。この街の風向きが変わるだろう。平山は思った。遠くへ行かなければならない。

チャイムが鳴る。部屋に通された柴は、いつもと変わらない、白いカッターシャツを着て、扉に手をかけ爽やかに笑い、立っている。
「にいちゃん」
平山は偽造されたふたつのパスポートを持って、片方を弟に渡した。
「大切に持っていないと、何処にも行けなくなるよ」

ふたりは部屋を出て車に乗った。99ヒルズへ。居住者も減り、寂れきった高級住宅群。まして、事故物件となった家屋は、誰も立ち寄らない。

居間。チムニーの前で、妻子が犯されている。縛られた葛代校長は、それを見ながら凄惨な拷問を受けていた。かつて生徒や不審者を殴りつけた両手は、千切れかけていた。高級車が門前に止まり、二人の男が現れる。よく似た顔をしている。同じ胤から生まれた二人だ。

陽に焼けた肌
痩せ、彫りの深い顔
常に眼はなにかを探して
濃い睫毛 逞しい鼻
薄く酷薄な唇

手始めにふたりは、葛代校長の弛緩した性器を床に這わせると、ハンマーで叩き潰してみた。

部下たちに「殺すな」とだけ明言して、あとを任せた。
ふたりはまた車にのり、市境をまたいで県内の国際空港へ向かった。行く先は決まっていた。この街から最も遠い場所へ。突き出た半島は、ふたりのカタパルトになった。

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