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まっすぐに

 初めて彼女がわが家を訪れたとき、これまであまり経験したことのない感情に、ぼくの気持ちは紅潮してしまった。
ほかのスタッフさんといっしょに枕もとのカーテンをわけて入ってくると、とりたてて特別なアクションもなく、ベットのそばに立ち「はじめまして。Aといいます。よろしくお願いします」と頭をさげた。
低音でもしっかりした口調だった。

 これだけ書くと、まったく平凡な介護の人に違いない。
ところが、ベットの上のぼくの体はよじれるほど硬直していた。

 ほんとうは人見知りなのに、自力では身のまわりのことがほとんどできないぼくは、毎日の暮らしを過ごしやすくするためのノウハウのひとつとして、どんどん話しかけていくことにしている。
 自分を知ってもらうことで、相手の心もオープンになっていく。
介護も仕事とはいえ、人間同士のおつきあいの延長線上におカネが発生すると考えているから、セコくてもぎりぎりまでぼくをさらけ出したほうが得になることが待っている場合が多かった。少なくともコロナ以前には…。

 自分から話しかけていくはずのぼくが彼女と眼が合ったとき、大切な唄が友部正人さんの「遠来」だということ以外は、聴きたいことで後頭部や胸のあたりだけではなく、肩甲骨のまわりや足の先まで、?でいっぱいになりそうだった。
 マスク越しのうえに、目鼻立ちがスッキリしているわけでもなかったし、自分から多くを語る人ではなかった。

 ぼくを引きつけた力は、彼女の「まっすぐな暗さ」だった。
たくさん、たくさん、しんどいことをくぐり抜けてきて、それでも何かをバネに培った意志を持っている人が手にできる逃げ隠れしない暗さだった。

 限られた時間の中で、ほかのスタッフさんもいる中で、聴きたい核心のところに飛びこんではいけなかった。

 とても誠実で、とても不器用なスタッフBさんと訪れる日もあった。
彼女は細い目をもっと細くして、自分の手を止めることもなく、笑顔いっぱいで彼をみつめていた。
別のペアの日に聴いてみると「わたし、Bさん大好きなんです。誠実だし、仕事に一生懸命だし、ウソをつかないし」と、これまた笑顔で応えてくれた。

 ある日、手の空いた彼女が近くのスタッフさんに声をかけた。
「ちょっとシャワーをかしてくれます?」
受け取った彼女は、ぼくの首すじへ自分の指の間を通して、お湯をかけつづけてくれた。
「わたし、いつもお風呂に入ったとき、こんなふうにしてるんです。こうすると、あったまるでしょ」
着替えをお願いしながら、そそられたので訊ねてみた。
「思いつきなん?」
返ってきた言葉が「まっすぐ」だった。
「わたし、マニュアルが苦手なんです」

 うれしかった。

 お世話になっている事業所から大切に思っていたサポーターさんが離れることになって、しょげかえっている時期だった。
いろんなことがごった返して、しんどい時期だった。
でも、週に一度の笑顔に支えられてきた。
 その彼女も、去年いっぱいでわが家から離れていってしまった。

 ただ、大きな、大きな贈りものを残していってもらった。
 いま、介護の現場ではいろいろな事情で自信を失いかけた若者が働いている。
そんな人たちを前にして、ひきこもってからのぼくのままだったら、オドオドしてしまい、うまく伝わらない現実にいらだっていただろう。
というか、もういらだっていた。

 ふと、寝ぐせのままでやってきた彼女がよぎった日があった。
誠実で、不器用なBさんをみつめる笑顔がそこにあった。

 やれることをやってみようと思った。

 もう会えないかもしれないけれど、Aさんの「まっすぐな意志」まで手放さないでいたい。できれば、棺桶まで持っていきたい。

 予感はしていたものの、突然の別れだった。
写真ぐらい撮ってもらっておけばよかったな。


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