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週に三日は通う豆腐屋

 先日、ぼくはなじみの豆腐屋の店先で、いつも「おかあちゃん」と呼ばせてもらっている奥さんと立話に花を咲かせていた。
 ご夫婦で営んでいて、いつも「とうちゃん」と呼ばせてもらっているご主人は、ぼくと同い年だという。
この立話には、本当にありがたい理由があった。

 わが家から豆腐屋のある市場まで、電動車いすで二十分ほど。
ヘルパーさんには洗濯物を干してから、追いかけてもらう段取りにしていた。
 ところが、市場に到着したところで、電動車いすを操作する左手の固定のためのベルトがゆるんでしまった。
普段からひとりで買い物をすることも多いので、立ちならぶどの店も顔見知りばかりになっていて、とりあえずなじみの魚屋の大将に体勢を整えてもらった。
 どことなくしっくりこなかったので、週に三日は通う豆腐屋で事情を説明して、ヘルパーさんに電話をかけ、その場で落ち合うように確認した。
 なじみの店は限られているし、市場をめぐるルートも決まっている。
だから、普通はこまかい場所を打ち合わせなくても、どこかで合流することができる。

 ただ、その午後はぼくの気持ちのベクトルがより慎重な行動へと働いて、豆腐屋で待つことを選んだというわけだった。
さっき「ヘルパーさんに電話をかけ」と書いたけれど、正確には豆腐屋のかあちゃんに携帯電話の操作をお願いした。
 やはりコロナの影響で、市場からも客足が遠ざかっている。
二年ほど前なら、お願いするにもお客さんがとぎれるまで待たなければならなかったし、ずいぶん気を遣ったものだった。
 まして、立話どころではなかった。

 ヘルパーさんがやって来るまで、ときおり翌日の準備をしているとうちゃんも交えて、世間話は快調に首位を走るタイガースのことから、もう逝ってしまった市場の名物店主たちの思い出へと移っていった。

 週に三日は通う豆腐屋なのに、先日はやらかしてしまった。
いつも湯豆腐や冷奴で食べるには一丁は多い。
半丁にして、残りはできるだけ早くいただいている。
 ところが、夕飯に冷奴をひと口食べると、すこし味に違和感があった。
その日、夕方に絹ごしを買ってきたので、残りの半丁の存在を忘れていたのだった。
さすがに、この世の中のこの時季なので、顔をしかめながら食べることはしなかった。
 もったいないことをした。
 その代わり、買ってきたばかりの絹ごしが口の中へやってきた。
醬油を忘れていたけれど、その方が大豆のコクが際立って、旨さを再確認できた。

 とうちゃんとかあちゃんが「オリンピックどころやないなぁ」と、苦笑いしていた。
「大阪万博にはいっしょに行こうやぁ」と、今度はとうちゃんが笑顔でぼくをみた。
 ぼくは「それまで車いすに乗りつづけられるかなぁ」と、首を傾げてみせた。

 「思いこみコロナ」からの社会復帰にむけて、ただいまリハビリ奮闘中。
 とうちゃんとかあちゃんに背中を押されると、「半日乗れるまで戻ればいい」と低めに設定していたハードルを大幅に上げたくなってしまった。
 まあ、「半日」のハードルがクリアできてから、あとのことは考えるようにしよう。
 もし「トゥギャザー万博」が実現できなくても、とうちゃん、かあちゃんなら「残念やけど、しゃあないなぁ」と、受けとめてくれるだろう。

 冷蔵庫にキャベツが三分の二玉残っていることを思い出した。
水曜日の泊まりのHくんと、とうちゃん、かあちゃんの豆腐屋の濃縮豆乳を使って、豆乳鍋にチャレンジしてみよう。
初体験だけど、イメージとしてキャベツ以外にも、豚バラとゴボウと木綿豆腐は必要な気がする。塩、コショウで軽く味つけをしよう。
 初体験だけに、ネットで事前に調べることはやめにして、ぼくの味覚を信じることにしたい。

 そういえば、わが家にもワクチン接種のクーポンが届いた。
たまたま、通院の日だったので、予約も済ませた。
 けれど、一回目の接種は八月にずれ込むらしい。

 コロナにかぎらず、「超うつ」のとき以外は、ラグビーワールドカップ二〇二七まで見届けたいと思う。
 唐突に出現したようなラグビーだけど、これまたぼくにはかなりの思い入れがある。
また、どこかで書くことにして、今夜はカーソルを留めることにしよう。

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