まだ東独があったから成り立ちえた危険な映画、いやほんと。「ローザ・ルクセンブルク」(1985年)
女傑、という言葉が似合う女性には、戦前日本なら市川房江、平塚雷鳥、与謝野晶子ら、女性の権利向上・社会進出のために尽力した政治的な人物が挙がるだろう。
戦前ドイツにも、同様の人物がいる。ローサ・ルクセンブルク。
彼女はマルクス主義者の理論家として、戦前日本においてことに知名度が高く、太宰治の「斜陽」にも、かくの一節がある。
そんな彼女の48で短く太く終わった人生を、「ハンナ・アーレント」(2012年)でやはり実在の人物を演じたバルバラ・スコヴァ(Barbara Sukowa, 1950年2月2日 - )が見事に演じ切った1985年の西ドイツ映画『ローザ・ルクセンブルク』(Rosa Luxemburg / Die Geduld der Rosa Luxemburg)より。
まるで生き写しのような演技、の一言。
ここでくどくど本編を語ってもしょうがないので、内容を抜粋だけさせていただくと
彼女はもともと事実上ロシア帝国の属国だったポーランド立憲王国の生まれであること。
オットー・フォン・ビスマルクがドイツ帝国首相を1890年(!)に辞任したことを受けて、社会主義者鎮圧法が撤廃、この結果結党された社会主義者労働党の中心人物となったこと。
第一次世界大戦勃発と同時に、当時不完全だった政党政治を成立たらしむべく、その見返りと引き換えに同党の指導者が戦争に協力する態度をとったこと。対してルクセンブルクは戦争に反対する運動を起こし、監禁されたこと。
獄中で、ドイツ共産党の前身であり、社会主義革命を主張するスパルタクス団を結成したこと。
第一次世界大戦後、ルクセンブルクの意に反して、ドイツ共産党は制憲議会への不参加を決め込み、1919年1月にベルリン市内の要所を占領し、臨時政府に対するゼネラルストライキ…と言えば聞こえはよいが、実質的に「許されない」武装蜂起を行ったこと。蜂起は即座に鎮圧、連座ということでルクセンブルクは1月15日にベルリンでフライコールに逮捕され、数百人の同志と同様に殺害されたこと。
というように、1890年から約30年間の実に性急なドイツの社会主義政治史をなぞる形で、映画は進む。
「共産主義」「社会主義」という言葉を聞いただけでアレルギーを催す方もいるだろうから、あえて触れておく:彼女は、相手の立場を尊重し、一党一派による独裁ではない政治を行うことを主張した弁舌さわやかな人物であると、一貫して描写されているのだ。戦中の獄内での忍従する姿、罪の意識はなくともしかし平静を務めるルクセンブルクの姿は、ただただ凛々しいとの一言。
であると同時に、全世界において、共産主義と社会民主主義が相容れないものとして対立する様になった経緯、社共協力がおぞましいものとして捉えられるようになった経緯、史実でいえばドイツ共産党と社会民主党が政争に明け暮れヒトラーの政権樹立を許すようになった根本原因を知る教材ともなりえるだろう。
上記のような政治的議論を抜きにしても、19世紀末~20世紀初頭の爛熟したヨーロッパの上流~中流階級の文化水準、コスチュームプレイ、他方で格差の拡大など社会問題の深刻化の描写を観るだけでも、つまり歴史劇としても単純に楽しめる本作。意外にお勧めですぞ。
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