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生き残ったふたり。生の輝きと死の影と。「人間魚雷出撃す」

ChatGptで「潜水艦 回天 について教えてください。」と尋ねてみた。

「回天」は、第二次世界大戦中に日本が開発した特殊潜航艇です。正式名称は「回天特別攻撃隊員操縦潜航艇」と呼ばれています。

「回天」は、敵の艦船に体当たりして攻撃するために設計されました。潜水艦から発進し、操縦士1名が乗り込み、敵の艦船に向かって突撃するという使命を持っていました。通常、潜水艦から複数の「回天」が発射され、一斉に敵の艦船に向かって進撃する形態が取られました。

「回天」は非常に小型で、全長約12メートル、重量約6.8トンというコンパクトな設計でした。乗員は密閉されたコックピットに搭乗し、潜航艇は酸素を供給するためのタンクを持っていました。また、攻撃に使用する爆弾は艇体下部に搭載されていました。

1944年から1945年にかけて、「回天」は特攻作戦に使用されました。しかし、潜水艦からの発射には時間がかかり、操縦士の訓練も困難であったため、実戦での効果は限定的でした。また、「回天」が命中したとしても、敵の艦船に大きな損害を与えることは難しく、潜水艦自体も防御手段が限られていたため、生存率は非常に低かったです。

「回天」の特攻作戦は、日本の絶望的な戦局下で実施されたものであり、多くの若い操縦士たちが命を落としました。戦争終結後、特攻作戦は非常に厳しい状況で行われたことから、その効果や倫理的な側面について議論されることとなりました。

是非はさておいて。この回天をテーマにした戦争映画で、私の学生時代を直撃したのが2006年公開「出口のない海」(監督:佐々部清)だった。発射される市川海老蔵の演技と、山田洋次の脚本もあってか、非常にエモーショナルな作品だったことを、今でも覚えている。

奇しくも、その ちょうど50年前(=半世紀前)に、同じく回天の任務を題材に公開されたのが「人間魚雷出撃す」。古川卓巳監督の技量なのか意向なのか、何が原因かはわからないが、アプローチは真逆。手に汗握ることもなく、淡々としていて、それでいて、生真面目なのだ。

ドラマの軸となるのは、回天を放つ潜水艦伊号に乗り込んだ4名の乗員。
橋爪艦長=森雅之 柿田中尉=葉山良二 黒崎中尉=石原裕次郎 今西一曹=長門裕之だ。このうち、柿田、黒崎、今西が発射要員。
日活同期デビューのふたり、黒崎と今西が肩を並べるシーンもよければ、兄貴分の柿田が、声を荒げず静かに後輩ふたり:黒崎と今西を導くのもよい。柿田の死の影を背負っている感じもいい。

発射されるまで、潜水艦内部の淡々とした日常は続く。あくどい上官は出ない、強がる向こう見ずもいない。仕事だという感じで水に潜るのだ。
彼らは、特攻を肯定も否定もしない。仕事や任務だとして、ありのままを受け入れるシニカルな台詞。「しなければならない」と、淡々と、自分に言い聞かせるように、つぶやく。水の深いところに潜っていく感情、のようなものが、フィルムの荒い粒子、安いセットの中に閉じ込められている。


敵の船に見つかった。攻撃を受けて、潜水艦の中にもぽろぽろ水が染みてくる。ひび割れたメーター類のクロースアップ、爆撃された数を記して増える墨字の「正」の文字、徐々に艦内にたまっていく水、水、水。
ここにきて、半ば衝動的に、黒崎と今西のふたりは回天に乗り込む。「生き残らせるために」ふたりは乗り込むのだ。上半身裸のほかの乗員たち、汚れた天使たちが、「しっかりやれよ!」と回天の乗り込む男たちを導く。慄きもせず淡々とした感情の黒崎と今西。

回天の中に閉じ込められて、初めてゆがむ今西の顔。命おそろしさか、いや、「出してください!出してください!」と早く出撃を希う苦痛の表情。

今西の回天は、敵船に向かって発射される。判断のための一時間を経て、艦長は今西が見事やり遂げたと戦火を喜ぶ。興奮も陶酔もなく、ノルマを達成したぞ観のある、陶酔にほど遠い、恐ろしい乗員の万歳が、艦内に響き渡る。


ものがたりは、死に後れた黒崎と、艦長の淡々とした語りがで締めくくられる。死の影を全く感じさせない裕次郎と、死の影をなぜだか感じさせる森雅之の見事なコントラストの中に、死んでしまったやつの不思議、生き残ったやつの不思議を残して、映画は、静かに終わるのだ。

スタッフ
監督・脚本 古川卓己
キャスト
橋爪艦長=森雅之 柿田中尉=葉山良二 黒崎中尉=石原裕次郎 今西一曹=長門裕之

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