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「ねぇ、お墓を作ったことある?」 死に浸された少女のお話、それが「禁じられた遊び」。

今年もアカデミー賞のシーズンが近づいてきた。
せっかくの機会、アカデミー賞を獲得した古今の名作を取り上げようと思う。

まずは、Academy Award for Best International Feature Filmの領域から
1951年(第25回)受賞 ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」を。

皆さんは、「ちいちゃんのかげおくり」(あまんきみこ・作)のことを覚えているだろうか? 国語の教科書に大体は載っていた、一度は読んだことであろう。
戦火の後、家族で唯一生き残ってしまった少女「ちいちゃん」が、次第に死に浸されていく話だ。最後の影送りがむしょうに哀しく、短い話だが印象に残る。

本作も同じ。
戦争で唯一人生き残り、そのために死神に取り憑かれた少女の、哀しい話だ。
(「ちいちゃんのかげおくり」は本作をもとに作られたのではないかと感じられるくらい、同等に、哀切に。)

少女は、死に焦がれて、やってきた。


有名なギターソロの音楽だけが静かに流れる中、物語は始まる。
一九四〇年六月 、ナチス ・ドイツの手に落ちたパリから難を逃れようと南フランスへ向かう人々があった。その中に少女・ポーレットと両親もいた。

ポ ーレットは、突然走りだした愛犬を追う。ポ ーレットを彼女の両親が追う。上空のドイツの戦闘機はそれを見逃さず、襲う。両親は一瞬にして機銃掃射の餌食となってしまう。
戻ってみれば動かなくなっている母親の顔を不思議そうに見つめるポ ーレット。もちろん、母は物言わぬ。ポーレットにはこれを「死」だと知る。
知っても、咀嚼はできていない、だから、涙がわからない 。
ポ ーレットは死んだ子犬をしっかり抱きしめ、敵から逃れ生き残るための前進を続ける群衆に押し流されるようにして、再び歩きはじめる。

ポーレットは、いつしか群衆から離れ 、一人森の中をさまよう。
森の中で、牛を追ってきた村の少年ミシェルと出会う。
ポーレットはひとまず、ミシェルの両親のもとで身を落ち着けることとなる。


ポーレットが「ただならぬ少女」ということに、村の誰もが気づかない。
彼女の心には空白がある:死というものに取り憑かれてしまっている。死という世界に片一歩、足を踏み入れてしまっている。はやくその正体を知りたいと思う。
だが、死んだ人たちの、死んだ愛犬の、死んだ父母の声は、まだ聞こえない:青い空から降ってこない。

だから彼女は、埋葬を始める。死を少しでも自分のほうに手繰り寄せるために。

ポ ーレットは少佐ミシェルに頼んで 、死んだ子犬の墓を作る。
以来二人いっしょに、お墓づくりに勤しむ。モグラ、ひよこ、ネコ、ハリネズミ…。そのうち、夢中になったポーレットが「人間もよ!」と叫ぶ。ミシェルは一瞬絶句する。
だが、ミシェルはポーレットに片思いしている手前、断ることができない。
罰当たりで不謹慎な、文字通り「Forbidden Games」は、つづく。

村の大の大人たちは、空っぽになったポーレットの気持ちに、彼女に好いてもらおうと必死なミシェルの気持ちに無頓着だ。すぐそばで人間は機銃で撃ち殺されているのに、隣家同士、朝から晩まで口汚く罵り合いことが生きがいであるような日々を続ける。

身近に横たわる死に対する、オトナとコドモの態度の違い。
カメラは淡々とその対比を写し続ける。

少女は、死神とともに、去っていく。


仮にも、コドモふたりがこの遊びを続けてこれたのは、こっそり隠れていたから。明るみに出たら最後、「罰当たり」というオトナの杓子定規に絡みとられてしまう。

もっと完璧なお墓が欲しい、とポーレットは望む。
だから、ミシェルは、霊枢車や教会の祭壇や墓地から十字架を盗み出す。
一家揃って墓参りに行った朝 、十字架が紛失しているのを見たミシェルの父親は 、それを隣家の仕業と決めつけ 、殴り合いの大喧嘩になってしまう 。
司祭の仲裁によって 、それがミシェルの仕業であることがわかる。
逃げるミシェルとポーレット。しかし、二人は捕まり、「お墓ごっこ 」の真実もまたはオトナたちに発見されてしまう。
オトナたちは彼らの作った「お墓」を壊す。
いやだと叫ぶミシェル、茫然とするポーレット。
ふたりは強く引き離される。

物語の最後のシーンは、避難民で混雑するとある駅のコンコースである。
孤児院に連れていかれるために、服に名札をつけられたポーレットの耳に、「ミシェル!」と名を呼ぶ声が突如聞こえる。
生きとしいけるものの強い呼び声。
同行する尼僧を離れ、ポーレットは、ミシェルの姿求めて歩き出す。

その時、人混みの中でふと母親の面影がよぎり、「ミシェル!」と呼ぶポーレットの声は「ママン!」と母親を呼ぶ声に変わっていく。
母の面影求めて、駅の雑踏に消えて行く。
それは、ちょうど、ちいちゃんがお母さんの声に導かれた様に。

ロベール・ジュイヤールのカメラが美しく「別れの場」としてのコンコースを切り取る。ナルシソ・イエペスのギターが否応なしに哀愁の匂いを盛り立てる。
だから、このラストカットは成る程一見美しい。
しかし、ポーレットが向かう先に、生者はいないのだ。


ルネ・クレマンはナチス占領下のフランスに、あまんきみこは戦中戦後の満洲に青春を生きた。ためか、「ちいちゃんのかげおくり」からも「禁じられた遊び」からも
「死者とともに生きよ」
とそらごとではない生々しい声がする。

それは1945年の広島を直視した原民喜が描いた

人間の屍体。それは生存者の足もとにごろごろと現れて来た。それらは僕の足に絡からみつくようだった。僕は歩くたびに、もはやからみつくものから離れられなかった。

「鎮魂歌」原民喜・著 より引用

美しくも恐ろしい、しかし、逃げられない、世界の断面だ。


なお、本作でルネ・クレマンは1952年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞も受賞している。

本記事の画像はCriterion公式サイトから引用しました


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