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清く、正しく、美しいひと

宝塚歌劇団の男役スターになった幼なじみがいる。

幼稚園も一緒で、小、中学とも同じ学校。僕の母は大の宝塚ファンなのでお互いの母親同士も仲が良かった。

彼女より気高く、美しい人と知り合ったことがない。

宝塚歌劇の養成学校である宝塚音楽学校に、20倍以上の倍率をものともせず、一発合格。(15歳~18歳まで3回受験のチャンスがあるので一発合格するのは凄いことなのだ)
その後、組の中で上から5本の指に入るようなスターになった人なので、彼女以上に綺麗な人が周りに現れなかったのは、当たり前といえば当たり前なのだけれど。

彼女は小学生の頃から「自分は宝塚に入ってスターになるんだ。」と心から信じていて(小学校の卒業文集にもそう書いていた)、宝塚歌劇のモットーである『清く、正しく、美しく』を常に実践していた。小学校の頃はピアノ、バレエ、日舞を一生懸命習い、中学校では勉強、部活に加えて宝塚受験のための予備校に通っていた。

美貌、スタイルの良さはもちろん、まっすぐ伸びた背筋、中学生離れした優雅な所作。なによりも”人生を捧げる目標をすでに決めている”人のまっすぐな瞳。血の滲むような努力をしていたと思うけれど、それを表に出さない心意気も身に着けていた。(むしろ気さくで、おしゃべりが好きで、よく周りを笑わせていた)
それは、「汚く、よこしまで、カッコ悪い」中学生男子にはあまりに眩しく、直視ができなかった。

だから、彼女を心から尊敬していたけれど、恋愛感情を抱くことは一度もなかった。神聖不可侵だった。

彼女と共に子供時代を過ごしたことは、僕の美的価値感の形成に、大きな影響を与えた。世には「面食い」と呼ばれるような、異性の外見を重視する方がいるけれど、僕はそうならなかった。”美しさ”とは、造形的なことだけではなく、内面と、その人の生き方から滲み出るものだと、その子から教えてもらったからだ。

母親と、デビュー公演を観に行った。ラインダンスで羽根をつけ、大きく、翔んでいた時のはじける笑顔が忘れられない。

そんな彼女でも、夢見続けていたトップ・スターにはなれなかった。厳しい世界だ。

僕がくだらないことで悩む時には、ときどき彼女の頑張りを調べて、励まされた。退団したこれからも、活躍の場を広げて、その”美しさ”でいろんな人を元気づけていくのだと思う。

ひとまずは、お疲れ様。陰ながら応援しています。

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