白饅頭note感想を詳しく書いたもの「第3の社会」

白饅頭尊師から「noto化希望」と頂いたので嬉しくなって書く




自分は、家庭を「第1の社会」、仕事場、学校などを「第2の社会」と位置付けている

家族関係、職員関係でそれぞれ違う社会形態だと思っているからだ
そして、そのどちらでもないのが「第3の社会形態」だと思っている


◆消防団との出会い


おれが第3の社会(消防団)に出会ったのは今から7年ほど前、仕事でメンタルをぶち壊す1年ほど前のことだ。今の仕事に就いて3年経とうというその時、おれのメンタルは焦げ付いた鍋をさらに火にかけ続けるような極めてきけんな状態だった。

そんな中、突如自宅にやってきた消防団。「消防団の団員の勧誘です」とストレートに言ってきた。自分は「そうか、ならば社会貢献だ」と二つ返事で快諾し、入団した。しかし、メンタルが焦げ付きだしたコンポートのような状態で活動を増やすのは悪手であるが、メンタルがやられているためそんな判断力は無かった

消防団の活動は火事の際に出動ぢて火を消すほかに、月2で夜の見回りを行う。消防車をカンカン鳴らして町内を一周するアレだ。

その後、慰労と呼ばれる飲み会を行うのだ。これがオーソドックスな消防団である。飲み会では先輩から「部長や副部長、その他空いてるコップがあれば酒を注いで回るんだ」と教えられたが、タイミングが分からずヒドイストレスとなった。部長や先輩から話しかけられることがあったがそれどころではなく、ルールを覚えるのに必死だった。

操法訓練があればフルで参加した。その他の集まりにも全て…


この頃のおれは発達障害に起因する完璧主義に囚われ、自らの首を有刺鉄線で締め上げるがごとき愚行の数々に手を染めていた。

仕事場で脳を100%稼働させ、消防団でさらに100%稼働させたのである

おれは狂っていた


◆一度消防団を辞めようと思った


おれはついに壊れた。


休職し、デイケアに通い始めた。そこがその時点での「第2の社会」となった。しかしそのクリニックが戸塚ヨットスクールのような場所で1年でやめた。なぜそんな馬鹿気た場所で1年も居られたのかというと、「第2の社会」だったからだ。医師に自分と親の人格を否定されながら、それでも1年間医師の言うことに従っていられたのは、家庭以外に、そこでしか社会を知らない状態だったからである。

そんな「第2の社会」を辞め(辞める際に「おまえは一生他人の迷惑になりながら生きる」と捨て台詞を吐かれた。町でばったり会ったら刺そうと思った)、現在の精神科のにセカンドオピニオーンし、少しずつ安定を取り戻し、少しづつ復職した。

消防の活動に顔を出すとまたキャパオーバーを起こすかもしれないと遠ざかっていた。

そしてもう辞めようかと思った。デイケアに居たころの人格否定が残っており、「社会に迷惑をかける障害者」として「わきまえ」ようと思っていた


◆第3の社会、起動


壊れてから5年。主治医に「いやぁ初めて来た頃は鬼気迫る恐ろしい面構えだったけど、マジで別人のように柔らかくなったね」とゆわれるくらいに回復し、仕事場にも(業務内容を忖度してもらい)完全復帰した。

調子が良くなったのだ。そこで、辞めようとは思いながらも結局辞めなかった消防団に顔を出してみることにした。休んでいる間も団員費を届けに自宅まで来ては「ダイジョブか?たまにでいいから顔出していいぞ」と言い続けてくれたのがデカいと思う

5年も経つと団の顔ぶれもだいぶ変わり。人数も少なくなっていた。当時部長だった人は後見長(部のOBのリーダーみたいなもの。エスカレーター式に元団員が上がっていく)となりコロナもあって飲み会自体も減っていた。

当時階級がそれほど離れていなかった人が部長を務めているのもあってか、復帰はそれほど緊張せず、飲み会も少ないので集まりも気軽だった。何より団の平均年齢が下がり、白饅頭氏のいう所の「うっすらリベラル」となった団は、「保守的な年功序列オラオラ感が薄まり、かと言ってリベラル臭い個人主義に毒されないマジでちょうどいい居心地の相互互助共同体」としてこの上なく仕上がっていた。


そんな中聞いたのが、以前の感想noteで書いた「仲間の論」であった

「火事で呼び出されてやってらんねーって思うべ?今やってる仕事も大変なこといっぱいやるべよ、その大変な思い一緒にしたやつらが仲間なんだよ」

「この場(消防団)を利用すればいいんだっけ。アイツもここで愚痴言ったり色々してっから、利用すればいいんだ、みんなそうしてっから」


彼は自分が入団した当初から一貫してそう言っていた。入団当時はニューロンが焼け付き馬耳東風だったが、今ならその意味が分かった。というか実感した。

すべては自分の為だった。そしてそれは他人の為でもあった。

上役に酒を注いで回るのも。仕上がった焼き肉を取り分けて渡すのも。統べてが意味を持って実感できた。上下関係はきっかけに過ぎない。異なる立場、業種、年齢の人間が、一つの共同体に入った時、波風が極力立たず、それでいて交流の機会をスムーズに立ち上げる仕組みが「年功序列」であり「飲み会」であり、「酒を注いで回る」であった。形骸化し、今の時代「悪」とさえされるそのフェンスの建てられた意味がわかった


消防団では職場ではおよそ出ない話が頻繁に出る。草野球の話、酒の話、バイクの話、各職場の話、夫婦の夜の営みの話、風俗の話。家庭ではもちろん、同じ職場に居てはおよそ聞けないケオスの濁流である。特に風俗の話など、消防団以外でしたためしも聞いた試しもない。

そんな中自分が喋るトレーディングカードの相場の話や介護の話なども、ケオスの一部として問題なく酒の肴(闇鍋の具)となる。

多様性としか言いようのない環境がそこにはあった。そこにあることに5年越しでようやく気付いたのだ。


          ◆


いま、消防団では後輩がいる。自分が教わったことを教えている。
以前のように完璧主義に囚われ、進退窮まるような心持は無く、「教え間違ったら間違たでいいや、とりあえず先輩として今そうするべきだと思う事を教えよう」と思い指導している。これも先輩の「あ、間違ってたわ、ゴメンモーしわけ無い!」という態度とそれを「許す」気風から学んだことだ。

「間違ったら謝る」「謝ったら許す」という、小学校で言われるような社会性を、言葉ではなく行動で学ばされたのはここが初めてだった。会社では学べなかった。女性職員の多いおれの職場では、ミスや間違いを言葉では許しても、態度が無能を見るそれに代わっていくのが分かった


ホモソーシャルだからこそ与ることが出来た甲斐性の恩恵である


そんな訳もあって、第3の社会の重要性を最近おれは強く感じている

そこはごくほんの小さな宗教でもあり、おれは今それにハマっている




 ◆終わりに

今、カルトが話題だが、カルトとそうでない共同体の違いは「第3の社会」に留まっているかどうかだと思う。カルトは積極的に「第1の社会」である家庭に介入し、「第2の社会」とのつながりを希薄化させ、その人の「唯一の社会」になろうと思考に麻袋をかぶせる。そうならない為にも触れる社会は多い方がいい「第4・第5の社会」と。白饅頭氏の言う「縦の旅行」といyのもこの辺りにあるんだろう。氏のnoteで「縦の旅行」が話題になる度におれはこの消防団が答えの一つだと思っている


まとまりのない文章になったが、このくらいにしておく





ps・アブに刺されて足が非道状態だ。みんなもデカイ虫に刺されたら仕事早退してでも病院に行って処置してもらえ。自分は対処が遅れて後日まで仕事休む羽目になった

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