愛することは難しい
写真は先日彼女とインドカレーを食べにいっときの写真。
インドカレー屋さんって絶対美味いよね。
と、まあ幸せな時間も束の間。
今日は彼女に「元彼の方が自分を100%理解してくれていた」と言われました。
経緯としては彼女は過敏性腸症候群(慣れないところに行ったりストレスがあったりするとお腹が痛くなる)でそれに付随して色々と気分が落ち込みがちでした。
そこへの理解がどうやら自分は無かったみたいで(自分では気を遣っているつもりだったが)、、、。
んー、気を遣ってほしいというより共感が足りなかったらしい。
元々、彼女は本音を話せる人がおらず、彼氏だけには本音を話せるという性格。(家族にも本音を話せない。)
つまり、"彼氏"という存在に極度に依存している。(本人は一向にこの事実を認めませんが。)
彼女にとって本当の意味での話し相手は自分しかいないから、彼女の「自分のことを分かって欲しい」という期待は一局に自分に注がれるのです。
自分は過敏性腸症候群ではないので完全に共感することはできない。それでも出来る限りのことはやっていたつもりでした。
しかし、無意識に彼女には元彼と自分を比較する気持ちがあったのです。
元彼は過敏性腸症候群だったらしいのです。
だからお互いの行動も気持ちも自然と合ったのだと言います。
それで今回彼女の気持ちが爆発した。
きっかけは自分が精神的に少し余裕が無くて、それで彼女に冷たく当たってしまったことでした。
冷たく当たられて彼女が感じたのは、誰も自分のことを理解してくれないし、自分の一番の味方であるはずの彼氏という存在すらも敵だということらしい。
それでかけられた言葉が「元彼の方が自分を100%理解してていた」でした。
ショックでした。
今までのことはなんだったんだろうと。
そのままもう酷い言葉を言って、二人の関係を終わらせるような一言を言おうかと思ってしまった。
けれども思い直した。
彼女は普通に考えれば言ってはいけない言葉を言ってしまうくらい追い込まれているのだなあと。
それで何かいい案がないかと考えたのがSNSです。
同じような悩みを持った人たちと繋がれば少しは気持ちが楽になるだろうと。
彼女は本音を話せるのは彼氏である自分だけなので他の人には興味がないのでしょうか、あるいは承認欲求が全くないのでしょうか、SNSをLINE以外全くやっていません。
それでSNSにはそういった似たもの同士が集まるコミュニティがあると紹介したのです。
泣いていた彼女は咄嗟にスマホを持ってスマホで色々調べ始めました。
本当は自分が寄り添えればそれが一番良いのですが、今回はかけられた言葉がショックすぎたので自分で背負うのでは無く他の人に彼女の苦しみを解決してもらうことにしました。
しばらくスマホをいじってから彼女は一人旅に興味を持ち始めました。
過敏性腸症候群の人にとってトイレがどこにあるか分からない未知の場に行くなど自殺行為です。
それでも旅に出たいと思い立った彼女。
今後彼女は変わるのか変わらないのか。
おそらく過敏性腸症候群が治らない限りは落ち込みがちなメンタルも治らないのですが、それでも今まで「できない」「無理」ばかりだった彼女が前向きになったのは大きな一歩です。
それで、まあ結局この件はひと段落付いたのですが、これを通して思ったのは「愛することは難しい」ということ。(ようやくタイトル回収。すみません。)
彼女の心の苦しみにまず気づいて、それを取り除くために自分は最大限の努力をしてきたでしょうか?
常に彼女の気持ちを考えることができていたでしょうか?
彼女に犠牲を払うことはできていたでしょうか?
彼女を愛することはできていたでしょうか?
答えは、No です。
いっつも自分のことばかりでした。
彼女と電話するときも眠いから早く寝たくて適当な電話をしたり、辛い気持ちになっている彼女にさらに辛い言葉を言ったり。
振り返れば自分の心の未熟さを痛感させられます。
恋は「落ちるもの」ですが、愛は「誓うもの」です。
恋は「好き」ですが、愛は愛「する」です。
恋は受動的で、愛は能動的。
愛は犠牲を払うもの。人の決意なのです。
だから、結婚式で永遠に愛「する」ことを「誓う」のだと思います。
愛することができるかどうかはその人の人格的な土台に依存します。
自分には土台の「ど」の文字も無かったようです。
だから愛するためには色々と人格を作るところから始めなくてはいけない。
簡単では無いけれど、少しずつ頑張りたい。
まずは過敏性腸症候群の勉強をしよう。
何がダメで何がいいのか、知識を頭に入れよう。
そうすれば彼女に献身的になれるはず。
ひとまず自分が出来そうなことはこれくらい。
愛することは難しい。
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