結婚式での母への手紙(下書き)
私の母は、私をどちらが連れて行くかの話し合いをした時に
ベランダの柵に跨って
″あの子を連れて出て行くなら今ここから飛び降ります″
と、言ったらしい。これは実際に見た訳でもないが
一生忘れない。
私は今、あの頃と同じ4階のアパートに1人で住んでいる。あの時の団地の4階の方が、なんだか高く感じる。
母との2人暮らしが始まって、私は、私ですら思い出したくないような反抗期が始まった。
小学3年生のころ、特に酷かったと思う。
一緒に、朝食も夕飯も食べた記憶はあまりない。
朝はコーヒーとタバコだけで出掛けていくし、夜は缶ビールとつまみと、タバコ。
たまに、夕飯の締めでラーメンを一緒に食べた。
その、たまにの夕飯が嬉しくもあり、何だか嫌でもあった。
″ラーメンすする音汚いから、2度とすすらないで″
と、確かに言った記憶がある。
もうあれから15年も経つが、母は今でも麺はすすらず食べる。
一度だけ、母が泣いているのを見たことがある。
2人で住んでいたのは、母の地元ではなく、田舎なので狭いコミュニティだった。
母の地元は飛行機に乗らないといけない場所だった。
友達も、両親も、旦那もいない、
愛着もない町に住み続けてくれたのは、私が転校はしたくないと、ポロッとこぼしたから。
どれだけ孤独で、でも私を育てなくてはいけなくて、涙くらい流してしまう夜だってあると思う。
なのに私は
″泣かないで、気持ち悪い″
と、言った。覚えている。
それ以来、母の泣いている顔を見たことがない。
夏休みの時は、工場の1時間の昼休憩で
片道15分の家まで帰ってきて、素麺をゆでてくれた。
私は団地の4階から、12:15くらいになると
駐車場を眺めていた。帰ってきたら、寝たフリをしたり、気づいていないフリをした。
これは、25になった今も実家に帰るとよくやる。
今まで本当にありがとう。
取り返しのつかないような言葉を、たくさん
ぶつけてしまってごめんなさい。大好きです。
なんて、言えるわけも、書いて伝えることも
やっぱりできなくて。
結婚式というビッグイベントなら
最後の手紙のときにちゃんと伝えられる気がする。
そのためだけに、結婚式をやりたい。
予定はないけど。そのためだけに。
もうすぐ母の誕生日なので、
私はあなたのような、強い人になりたいとずっと思ってる。って手紙で書けたらいいなと思う。
プレゼントは、タロットカードが欲しいと言っていたのが、また、母らしくて嬉しかった。
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