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活動家というのは、突き詰めると、営利打算とか、お金の問題を気にしないで、“人生を棒に降る” ことができる人間のこと

その道の一流になっていく人は、人生を棒に振っている人です。ほかのことは、全部手放しています。

マインドフルネス(mindfulness)とは、仏教の用語でもあるパーリ語のサティ(sati)の英訳であり、それはすでに日本文化の深い層に根付いている概念である。

マインドフルネスを音楽にたとえれば、仏教の甘美な教えをベースラインに、認知心理学のアーカイブ(保管庫)のなかからクラシック音楽のリフを少しばかり重ねた一種の集中法↓
日本以外の仏教国は昔から本来妻帯しない。これが仏教国者の原理・原則

釈迦の死後百年から二百年ぐらい後に、インドにアショーカ王という王様が登場し、インドの北部周辺の40ヶ所以上の場所に、岩石に彫った碑文を残しました。そのうちネパールのルンビニというところにある石碑に「ここはお釈迦様が生まれた場所だから、税金を六分の一に負けてあげるよ」という内容が彫ってあることがわかりました。

運動に貢献するには独身の方がいいということなのか?

釈尊が亡くなった後、その教えは400年もの間、伝言ゲームのごとく伝播され、グループ(部派)に分かれた仏弟子がそれぞれ勝手な解釈をするようになった。そこでブッダの教えがバラバラにならないようにするため、「結集」と言われる宗教会議が行われた。伝承によれば、1回目の結集は釈尊の滅後すぐ、2回目は約100年後に行われている。その都度、弟子たちは教義について議論し、教えの内容を確認したはずだが、紀元前250年頃に行われたとされる「第3結集」では、それぞれのグループの記録はすでに異なっている。そのとき議論されたトピックのひとつは、「阿羅漢と言われる完成された修行者が夢精するかどうか」───。こんな些細な問題を仏弟子たちが大真面目にディスカッションし、それぞれのグループは自分のポジションを譲らなかった。時代は紀元前3世紀、まだキリストがこの世に生を受ける前だ(中略)この頃のインドは、アショーカ王によってほぼ統一されていた。王は、それまでの残虐な戦争を反省し、仏教に傾倒し守護したと言われている。そして、インド国内やスリランカにとどまらず、遠く、シリアやエジプト、ギリシアにまで仏教の宣教団を送った(中略)そして、釈尊の教えがようやく文字で書き留められたのは、紀元前1世紀のスリランカで行われた「第4結集」のときである。しかし、この会議に参加したのは、上座部仏教(テーラワーダ)の比丘(修行僧)のみで、大乗仏教では紀元後2世紀頃に北インドのクシャーナ朝で行われたとされる別の会議を「第4結集」と呼んでいる(中略)前章で、パーリ仏典の『起世因本経』と旧約聖書の『創世記』の類似についてふれた。この場合、相互に影響し合ったというより、お互い共通したテキストを下敷きに、それぞれ発展させたと考えられる。それより時代は下って、新約聖書と大乗仏教の教典にも多くの類似点はある。例えば、新約聖書と『法華経(※永遠のブッダの物語)』の双方に、ある息子が異邦の地をさまよい、ようやく父と再会する物語がある(聖書では「放蕩息子」と言い、『法華経』では「長者窮子」の比喩と言う)。こちらの場合は直接影響を与えた可能性もある(中略)一神教の神が「阿弥陀如来」として仏教に顔を出したわけだ。※引用者加筆.

紀元前三〇〇年から二〇〇年のマウヤリ朝の時代に、すでに『アルタシャーストゥラ』(実利論)という政治教科書が書かれている。マウリヤ朝のもっとも有名なアショカ王は仏教徒で、おそらくインド史上最大の支配者(※アショカ王)※引用者加筆.

アショカ王は仏教徒で、おそらくインド史上最大の支配者

インド国旗───その中央には仏教のシンボル「法輪」が描かれている───やインドの国章───これはアショーカ王の獅子像だ───を制定したのもアンベードカル

仏教のシンボル「法輪」

人間は一度目覚めれば後戻りすることはありません。どれほど自分たちがブラーミンの思想によって盲目にさせられてきたか(中略)ある時からそのことに気づき、(※アンベードカル)博士の著作を猛勉強しました。そして、ヒンズー教の教義、神聖な神の言葉や前世の定めなどというものは “神” が作ったものではなく、ブラーミンがこしらえたものだということがはっきりとしてきたのです───バムセフのバハル氏(中略)あらゆる種類の迷信と儀式を否定したアンベードカルにとってとくに重要だったのは、仏教が無神論に近い宗教だったことだ(中略)激しく対立したガンディーとは違って、アンベードカルは現代科学やテクノロジーを受け入れることと、帝国主義の支配に抵抗することの間に何の矛盾も感じなかった。※引用者加筆.

我々を皮肉屋で、利己的で思いやりがない人間だと、この本を読んでいない人に吹き込むことは簡単だ。しかしここまで読んでくれた皆さんは、もう少し深く理解してくれたと思う。その理解と信頼をさらに確かなものにしてもらいたいので、ここから先はハウツー的なアドバイスをいくつか提供したいと思う。

僧衣を着ていない坊主

バムセフ幹部には独身者が多い。 カンシ・ラムも独身である。運動に貢献するには独身の方がいいということなのか? それだけ仕事に専念できる、という信念に根ざしているようだ。「そうですね。僧衣を着ていない坊主みたいなもんですよ」と自らいい、ふ、ふ、と小さく笑う(中略)カンシ・ラムはバムセフを設立するにあたり一生独身主義で通すと公言しており、バムセフの古手には独身者が多い。メンデ氏もその一人である。人びとは彼らの青春をカンシ・ラムと共に働き、捧げることを誓ってきた仲間なのだ(中略)メンデ氏はいう。世間では長い間独身主義で通ってきたし、そういう運動家をかっこいいと感じるインド的風土がある(中略)日本以外の仏教国は昔から本来妻帯しない。これが仏教国者の原理・原則なのだ。日本はそういう意味で特殊な仏教国

自分の損得勘定を全部振り捨ててやる

活動家というのは、突き詰めると、営利打算とか、お金の問題を気にしないで、“人生を棒に降る” ことができる人間のことをいう。そこが企業にいる人々とは違う。自分の損得勘定を全部振り捨ててやる───副島隆彦氏(著書名失念)

ある人々にとって、祈りは文字通り神に語りかけることではない。そうではなくてむしろ、それは「象徴的」行為、つまり自分の奥深くにある思いを自分自身に語りかける仕方であり、それが隠喩的に表現されたものなのだ(中略)私の定義に従えば、彼らの教義がいかなるものであれ、それは宗教ではない。それはおそらく、宗教のすばらしい(あるいはひどい)代用物である。それは、昔の宗教の子孫の、多くの類似物を宗教にもたらしてきた本物の宗教の子孫の代用物であり、宗教とまったく別の種である。

全力で取り組むことは、他のあらゆることを犠牲にして長期間にわたって努力し続け、ずっと成果がなくても努力し続ける覚悟をすることである


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