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実際には、人は、興味や関心があってはじめてうまく学習できる

「科学的」とは「合理的」ということです。

自発性がその人の鑑識眼(中略)合理と非合理を組み合わせることで、色気が生まれる(中略)色気は、自分と違うゾーンにいる人

クリエイティビティとイノベーションは、イマジネーションによって推進される(中略)この点はテクノロジーに真似できない↓
ものごとをどう分類するか

私たちが学ぶことは、自分たちがものごとをどう分類するかにかかっている(中略)現実を直視しなくてはならない。実際には、人は、興味や関心があってはじめてうまく学習できるのである。

興味や関心があってはじめてうまく学習できる

棟方は小指の関節が一個多かった(中略)小指の関節が三つあったの。それを本人はすごく得意にしていて、「お釈迦様もそうだった」って言っていました(中略)「棟方は障害のある人に惹かれた」と後ろのほうに書いてありましたね。 ロートレックもそうだったと(中略)棟方は言葉の人である。 後に訪欧した時、言葉が通じないもどかしさで苦しんだという記述もある。 若くして留学し、自ら求めてルノワールという師を得、その在り方と思想を学んだ梅原とは、育ってきた環境が天と地ほどに違っている。アカデミックな勉強に全く縁のなかった棟方に、自力で切り開くことの出来る、唯一開かれていた道が版画であったのではなかろうか(中略)棟方が、西洋人でありながら、面で捉える版画を極めたロートレックに「共感」を覚えたことは事実であろう(中略)滞米中に制作されたと思われる(※棟方志功の)自板像に、TOULOSE LAUTREC(※ロートレック)の文字があった(中略)知人宅に飾られていたものを描いたのであろう(中略)「私は指が五本ある人間なんか描きたくない」という棟方の言葉がある。※引用者加筆.

重要なことは常にたったひとつしかない。つまり、ものの本質をいかに上手に表現するかということだけなのである───ロートレック(中略)マネ万歳! 印象主義の風がアトリエに吹き込んできます。ぼくは晴れやかな気持ちです。───トゥールーズ・ロートレック1883年4月パリにて 母親宛書簡

よく知られているように、ロートレック伯爵はモンマルトルのダンスホールやキャバレーの舞台裏に自由に出入りできる身であった。舞台裏での男女の駆け引きや娼婦たちの生態にこれほど通じた画家もいないだろう。

ピカソが一度だけでもいいから会って話をしたかった唯一の画家だというトゥールーズ=ロートレック

タブーから解放された自由な画風という点で、ロートレックはピカソの先駆者と言える。ピカソもまた、とくにその版画作品において、先人たちの教えを受け継ぎつつも、正しいと認められた規範の限界を超え、さまざまな愛の主題をあつかうことに何のためらいも見せなかった(中略)彼は本当に自由な存在であった。しかしその自由のなかにはいかなる偏見もなかった(中略)1898年以降トゥールーズ=ロートレックの健康状態は悪化(中略)やがて下肢が麻痺した彼は、1901年9月9日、母の腕のなかで37年の生涯を終える(中略)あいにくどしゃぶりの雨でしたが、なかなか陽気な催しでした。───ロートレック(1889年9月初めパリにて 母親宛書簡)(中略)架空の人物にふんして、支離滅裂芸術展に参加する。それは、偽名で出品する方が品がいいとされる官展に対する明らかなパロディであった(中略)彼は、自分の行動を重々しく見せようとしたことなど一度もなかった。その証拠に、彼はすすんで人にいたずらをし、どう考えてもおかしい奇妙な服装をして、まわりの人間の裏をかいた。非常に幼い頃からずっと、仮装をして本心を隠すことに魅力を感じ続けていたようである。

障害をもつロートレックは「人間は外見と内容は違う」と信じていました(中略)名門中の名門貴族の子として生まれながら、15歳で両脚の成長が止まってしまったロートレックは、上半身は大人、下半身は子供という奇妙な姿になってしまいます。哀れに思った親は、彼の望むままに画家になる事を許し、歓楽街モンマルトルに住む事も認めました。名門貴族の子弟と紅灯街の女たち───こんな〝ありえない〟関係が成立したのは、お互い〝傷〟をもっていたからでしょう。その上ロートレックは、彼女たちに同情する訳でもなく、美化する訳でもなく、かといって尊敬していたドガのように冷たく画くのでもなく、ただ淡々と「ありのまま」を描いてゆきました(中略)デッサン力では、ドガと双璧と言えます(中略)(※ロートレック家には)金は腐るほどあったので、モンマルトルの高級アパートに住み、絵を画きながら、日夜酒色に耽っていました。一時自身画家で、ユトリロの母であるシュザンヌ・ヴァラドンと恋仲になりますが、3年で別れます。むろん結婚など考えず、次第にアル中になり、娼家に入り浸って梅毒に感染(中略)ドガも貴族の出ですが、ロートレックの家とは相当差があります。何しろ1000年以上もさかのぼれるという名家で、先祖のレーモン4世は、第1回十字軍を率いた人物のようです。※引用者加筆.

アンリ(※ロートレック)は遺伝性の病気(硬化性異骨症)にかかっていて、10歳のころから、大きな症状が現れ始めた(中略)アデール伯爵夫人はいろいろな矯正法や怪しげな治療方法を試みた。しかし彼の折れた大腿骨は、おそらく正しい治療を受けなかったのだろう。全ての矯正や治療は、無駄だった。アンリの足は成長しなかった。※引用者加筆.

ピカソが実際に好感を抱き、また絵を描けるのを光栄と思ったのは、ジャンヌ・アブリルただひとりだった(中略)ジャンヌ・アブリルとはモデルになった他の誰よりも心を通わせることができたとピカソは語る。ひとつには、アブリルの人生がサーカスの曲馬師から始まったこともあるだろう。ピカソはそんなアブリルに親しみを覚えた(中略)アブリルはトゥールーズ=ロートレックを愛し、また尊んだばかりでなく、作品の美点もよく理解し、それを喜んでピカソと語り合った。「彼女はロートレックがもう長くはないと知っていたので、そうした話にも一抹の寂しさがつきまとった」。(※ロートレックは十月に他界する)。※引用者加筆.

映画は、人生経験を経て見直すことで、「うわ、このシーン、たしかにあったのは知ってるけど、こんなに大切な意味があったんだ」と気づけるのです。

「先生が2時間話したところは3秒だった」と言われます。その3秒のところが面白いのです。

映画『食べる女』はロートレックの逸話から始まる。ユースケ・サンタマリアさん演じるタナベは、サイコパシーの性格的特徴をよく捉えている。1%の側から見た実際のサイコパシー像。

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