この世界のことだったら

実家に帰省した。

少し前に母から
「久しぶりに食事でもしよう」と呼ばれていたからだ。

仕事が忙しい頃だったから、ずいぶん断ろうかと悩んだけど、
思えば、最後に帰省したのはいつだったか思い出せない。
もうかれこれしばらく経つものだから、
久しぶりの母の誘いを断るのも気が引けて、
「わかりました」と返事をした。

母に会うのは久しぶりだ。父に会うのも久しぶりだ。土産でも買ってくか。


僕には姉が二人いる。少し歳が離れている。
だから小さいときはずいぶんいじめられた。
姉が家に友達を呼ぶといつも部屋に呼ばれ、何かと笑いものにされた。
姉は彼氏とデートに行くとき、いつも僕の小遣いを盗んでいった。
僕は「早く出て行ってくれ」と願いながら幼少期を過ごした。

僕が小学生の時に長姉は家を出た。福岡の専門学校に通うためだ。
家は少し広くなり、僕は自分の部屋を手に入れた。

僕が中学生の時に、次姉は家を出た。関東の大学に通うためだ。
家はもう少し広くなり、両親は寝室を別にした。

それからずっと三人で暮らしてきた。
僕が家に友達を呼ぶと両親は喜んだ。
元が世話焼きな上に、家族が二人も出ていった上に、
僕はいつも部屋でテレビゲームばかりしていたから、
お客さんがくるととても喜んだ。
高校生の時女の子を部屋に呼んだら、母親がチーズケーキを焼いて現れた。彼女は「おいしい」と言ってくれたけど、
僕は恥ずかしくって顔をあげられなかった。

母はたまに冗談めかして
「お前が大きくなっても、この家に住んでくれないかねえ」と言った。
『私はこの発言を冗談めかしているぞ』、という語調で言った。
僕は曖昧に返事をしたが、なんとなく母の目を見れなかった。

僕は大学生になり家を出た。
引っ越しの日、両親は新しい家まで車で僕を送った。
「いつでも帰ってこいよ」と父は言って、彼らは帰り、僕は一人になった。



僕がいなくなった後の実家では、
父と母だけが二人で静かに暮らしている。
たまには帰らなきゃな、なんて思いながらも盆と正月、
あとは何かしらの一族イベントの日ぐらいにしか帰省しなくなった。

今日は久しぶりに帰省したのだ。
半年以上ぶりに見る両親は何かが変わっているように見えたけど、
前回の記憶ももうおぼろだ。
頭の中で答え合わせができない。
日々はゆっくりと、致命的に流れている。

「あらあら、久しぶりねえ」
という母の声は少し掠れていた。
どうして掠れているんだ。
一過性の何かのせいであってほしい。

「そうだね、はいこれお土産」
「あらあらありがとう、そうだ、昨日からお姉ちゃん帰ってきてるわよ」

お姉ちゃん?

実家のリビングに上がると、長姉の姿があった。
あ、久しぶり、なんて声をかけたら、
ああ、と、おおの中間みたいな声で返事をされた。

長姉は、十数年前、前触れなく急に結婚した。
相手はぼーっとしたよくわからん男で、
あまりに急な話だったから、僕たちは随分驚いた。
保守的な土地の生まれの両親は、
「そんなに急に決めなくても、もう少しゆっくり考えた方が」と言ったが、
姉は「これは私たちの問題だから、私たちで決めるわ」と、
そう言い放ってひらりと実家を出ていった。
その時の姉はとてもかっこよくって、
数年後、そのことをこっそり伝えたら、
「あの時は自分でも『決まった』と思った。
 私はこの家の長女として、ずっとこの家に縛られていた。
 私にその呪いをかけた両親に、
 初めて一発やり返すことができた」と言っていた。
その後姉は娘と息子を生み、
親子四人仲睦まじく暮らしているらしい。

その長姉が実家にいるということは、
長姉の娘と息子もいるはずだ。
今までもたまに娘たちの面倒を見てくれ、と
子供を実家に預けることがたびたびあった。
お父さんもお母さんも、かわいい孫の面倒がみれて嬉しいでしょ、
自信をもってそう言い放つ時の姉は少し嫌いだけど。
今回もきっと何かそんな種類の理由で帰省したに違いない、
僕はそう思って周囲を見回した。

でも、今日はいつもと違っていた。
あのにぎやかな娘の姿がない。
いつもうるさい息子の姿もない。
旦那の姿もない。普段は姉の後ろにいつもいるのに。
そういえば、表に姉の車もなかった。

姉の様子も、なんだかおかしい。
無表情に消費税分ぐらいの悲しさを加えた表情をしている。
僕になげやりな返事をした後は、
部屋の隅を眺めて、ぼーっとしている。

「お母さんたちはねえ、お姉ちゃんと少し話すことがあるから、
 帰ってきてすぐなところ悪いんだけど、
 お前、しばらく散歩でもしてきてくれないかね」
母がそう言う。その後ろには父が立っている。
うん、とだけ答えて僕は家を出た。
玄関のドアを閉める、その一瞬、
俯く姉を囲むように座り、
姉の手を握る両親が見えた。


当人たちの問題だ。
姉本人だってそう言っていたじゃないか。
でも呪いは解けず、姉は帰ってきた。
風が涼しい。世界が青い。
夏は無遠慮だから嫌いだ。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?