僕は死んでもいいから

死ぬのが怖い。

6歳の春に、死の概念を学んだ。
僕は家の廊下で遊んでいて、外は晴れていた。
どういう流れだったか忘れたが、父が僕に言った。
「この世で生きているものは、いつか、最後は、
全員、必ず、永遠に眠るんだ」

僕は今一つ意味が分からなかった。
多分幼い僕に死を理解させるために、
「眠る」と比喩を使ってくれたんだろうが、
そのせいで死の本質が見えてこなかった。
父は随分深刻な顔をしているが、
眠ることなら、僕だって毎晩しているし、
だったらあまり怖くないやと思った。
眠るだけだったら、いつか目覚めるはずだ。

「いや、もう二度と起きないんだ。
百年たっても、千年たっても、ずっと眠ったままなんだ」

じゃあいつ起きるの?

「二度と起きないんだよ。
永遠、という考え方があって、
これは『終わりがない』という意味なんだ。
百年より、千年より、一万年よりも、
もっとずっとずっと長くて、終わりがない。
人は、いつか必ず永遠に眠る。
これを、『死』というんだ」

僕はそれでもまだピンとこない。
この間聞いたけど、僕は次の春から小学校という場所に行くらしい。
どのぐらいの長さそこにいくのだ、と聞いたら、
六年間だ、と答えられた。
それだけでもめまいがしそうなぐらい長いのに、
永遠、なんて言われてもよくわからない。

それに、その『死』とやらがそんなに恐ろしいとしても、
要はそんな目に合わなければいいんだ。
「永遠に眠る」なんてそんなとびきりの不幸は、
誰か、僕よりももっとずっと不運な人が被ればいい。
僕や、僕が大事に思う人たちが、
そんな理不尽な目にあうはずがない。

「そしてそれは、お父さんにも必ず起こる。
お父さんもいつか、必ず死ぬ。
そして、お前もいつか死ぬ。
死なない方法はない。
いつか、お前も必ず死ぬ」

え?それは…なしでしょ?
お父さんも?ってか僕も?
なんでそんな意味の分からない目にあわなきゃいけないんだ。
僕はただ生きてるだけなのに、
なんで死ななきゃならないんだ。

父はそのあと、
「だからこの命を大切にしなきゃいけないよ」
的な言葉をつないでいたが、
僕はそんなのどうでもよかった。
逆だ。
いつか完璧に失われてしまうなら、
大切にしたって意味ないじゃないか。

6歳の春からずっと憂鬱だ。
憂鬱の理由は他に七千個ぐらいあるんだけど、
そのうちの大きな一つにこの考え方がある。
僕はいつか死ぬんだ。
いつか永遠に眠って目覚めないんだ。
だったらお気に入りのあの絵本も、
お祭りで買ってもらった青いスーパーボールも、
この間河原で拾ったきれいな石も意味がない。
僕がどんな思いをしても、
何を考えても、どんな幸せがあっても、
何の意味も残らない。
僕が生きていることはいつか完璧に失われて、
「失われた」ことだけが永遠に残る。
だったら僕が生きている意味なんてない。

ずっと自分の命に執着して生きてきた。
僕が消えた後の永遠の闇が怖い。
僕のいない世界が長く続くのが憎い。

死に怯えながら生きてきた。
死の暗黒を薄めるために、生の彩度を高めたかった。
だけどなかなかうまくいかず、焦燥感と徒労感だけが残った。
それらは溶け、混ざり合い、死の暗黒をさらに濃くした。
三十を超えて、ようやくわかってきた。
どうやら僕の生は、死を吹き飛ばすほど輝かないらしい。

そのうち、なんともぬるぬるした七転八倒の末、
結婚することができた。
彼女の手をにぎりながら寝るときだけ、
なんだか自分の生が白く発光するように感じた。

「妊娠しました」と彼女が言った。
春の日で、外は晴れていた。
彼女は笑っていて、僕は嬉しかった。
僕は死ぬ、いつか死ぬ。
僕の人生は輝かない。
でも僕の人生から分岐したその光が、
僕の人生も照らしてくれる。

どうか新しく生まれるその子が幸せでありますように。
健康で、爽やかで、優しくて、温かくありますように。
僕は死んでもいいから、どうか、そうありますように。

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