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昔、藤原和博さんの本だったかな。著者は合っているけれど、どの本だったか確証がない。その中に「レアカードになりましょう」ってことが書かれていたんですよね。キャリアの文脈などで、自分に仕事を任せたいと思ってもらえるような、そんな人になるといいっていう話。読んだ時納得したんですよ、なるほどなあと。

例えば、影山優佳さんを考えた時に、日向坂46に入れるレベルのアイドルになれちゃう素養があるわけですよ。でも、可愛いとかダンスができるとか歌が歌えるとかだけじゃなくて、そこに加えてサッカーにめちゃくちゃ詳しいっていうのが掛け算されたことで、そこらじゅうで引っ張りだこになるんですよね。
レアカードになるには、とにかく色々な掛け算だと。
サッカー解説がおじさんだらけだったのが、もう影山ちゃん入れちゃえばいいじゃん、絵になるし。って、もう彼女に仕事を任せましょうのレアカードなわけですよ。

教師もレア教師になりたい人って多いと思うんですよ。ICTのことなら誰にも負けないくらい詳しいですとか、教室に大量のボードゲーム持ち込んでいますとか、自作教材で日々授業していますとか。
そもそも、ピアノとか水泳が実技試験にあったくらいなので、小学校教員って特にあれもこれもできますって人が多いイメージです。
「字がうまい、歌がうまい、ピアノができる、リレ選でした、〇〇委員長的なのやってました」みたいな学校文化の良さのどっかに当てはまってきた人たちだと思うんですよね。
もちろんそうじゃなかった人、それから教師という仕事が意外と向いてなくて苦しんでる人もいるんだろうな。そういう人もきっと他の職種だったらレアなんだろうなとか思います。公務員って離れづらいんですよね。置かれた場所で咲こうとしないで、綿毛になって飛んでっちゃえばいいのになあ。

小学校教師っていう職業が同じ時、レアカードになるために自己のコンテンツを増やしていったり、コストをかけたりするっていうのは、その人の教師の在り方なので突き進んで行けばいいんじゃないかなあと思います。自分もきっと人と違うレア化している部分がどこかにあるんだろうなあと思います。年間200冊以上、本読んでるとかね。でもレア化したくてレア化するのと、楽しんでたらレア化しているケースとどちらもあるのかなあと感じています。

じゃあ、結局レアな方がいいのかっていうと、自分は別にどっちでもいいやっていう立ち位置です。なんかレアを求めて苦しくなるぐらいなら、そのままの在り方でいいんじゃないかっていう。まして子どもに「レアになるといいよ」って伝えるつもりはさらさらないというか。裏を返せば「今のあなたレアじゃないよ」ってメッセージになっちゃうのも、現代の子は結構しんどくなる部分がありそうで。
もちろん藤原さんがそんな意図でその言葉を扱っているわけではないと思うけれど、担任としてやっぱりどこか「いるだけで希少だよ」ってことは大事にしてあげたいわけです。学級の中で、勉強も仕事もできなくても、それでもそこに「いる」ってことを大事にしたいんですよ。

小学校段階って、やっぱりいろいろなことに楽しみながら触れて、挑戦して失敗して、笑い飛ばして、次の日にはまた同じようなことして失敗して、みたいな日々生きている感じでいいなって思うわけです。自然さって言葉を使いすぎている気がするので、そろそろ封印しなきゃなって思うけれど、そういうなんだろうな、裸一貫、着のみ着のまま、でいれる学級だったらいいよなあ。

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