コーネリアス

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最近の記事

お手軽な信じる

いろいろなやるべきことを終えて、この1年間もようやくひと段落。 noteも書ける時に書こうと思って書いている。どうしても書ける時にしてしまうと、まだまだ浅かったり甘かったりすることがあるなあ。でもまあ仕方なし。 この間、ふと思ったんだけれど「子どもを信じて」みたいな言葉がすごくお手軽な言葉になってきている感じがする。 主体的・対話的で深い学びの流れを受けて、自由進度学習とかタブレット端末による実践なんかが広がってくると、どうしても教師の手を離れて子どもが動く時間が増えてくる

    • 手段の目的化の話

      手段の目的化ってGoogleで調べてみると、 と出てくる。 学校にも往々にして手段が目的化することはあると感じている。 一人一人が学びやすくなるはずの各校独自の〇〇スタンダードが、スタンダードに合わせることが目的になってしまっていることで学びにくさに繋がってしまうとか。 タブレット端末を活用することによって、学習の自己選択の幅を広げることが目的であったのに、タブレット端末活用がマストになってしまっていて、結果的には学習の幅が固定されてしまうこととか。 で、じゃあ手段が目

      • 見えるけど見えないもの

        定量的ってことと、定性的ってことを教室の中でも分けて考えておくといいなという感じがしています。もっと言えば、数値で測れるものと測れないものを見ておく必要がありますよねってことです。 定量的の一番分かりやすいのはテストの点数ですよね。よくSNSでも学級平均が◯点とか、全員◯点以上達成、みたいなものを目にします。定量的は、子どもたちにとっても分かりやすいし、自分自身の指導の成果としても見えやすいので上手に使っていくことが大事だなと感じています。 でも、教室のほとんどは、定性的

        • 学びのオスグッド

          バスケやったてたときに、自分にはなんだかよく分からないけど、みんながしんどそうだったのがオスグッドでした。いい男みたいな言葉ですが、ただただ膝の激痛らしいです。ザムストの黒いサポーターみんな巻いてたなあ。自分にはこなかったなあ。 成長痛の一種なんですよね。 ほんの少しだけ調べてみると、身体における成長痛は、成長するスピードの早さに身体機能が追いつかなくなり炎症や剥離が起こってしまうことによる痛みのようです。そりゃあ痛いわ。 ただ人間として、この成長するにあたって痛みを伴う

        お手軽な信じる

          私のテレビは何チャンネル

          地方に遊びに行って、ホテルに泊まる機会があります。 基本的には、一人で泊まりに行って、一人で飲みに出掛けてホテルに戻ってきて寝る。みたいな、寝どことしてのホテルです。 で、そんなダラダラの中で、ふとテレビをつけると、毎回「ああ、そうだった、そうだった。」ってなるのが、チャンネル数の少なさなんですよね。いつもの感覚でポチポチとチャンネルを回していくと、「そのチャンネルには登録されていません」みたいなのが、想像以上に早く出てきます。特に見たい番組があるわけでもないけれど、「え、

          私のテレビは何チャンネル

          あ、なんか聞いたことあるの病

          突然ですがなぞなぞです。 ①りんご、ぶどう、すいかを乗せたトラックがカーブで何かを落としたよ。何を落としたかな? ②お酒を飲めるのは20歳からですが、車に乗れるのは何歳から? 分かりました? まあ、大したなぞなぞでもないので正解を発表しますが ①はスピード、②は0歳から ですね。 で、なぞなぞの正解不正解はどちらでもいいのですが、このなぞなぞを目にした瞬間に「あ、これ答えスピードだな」とか「あ、このパターン0歳だな」みたいな感覚ありませんでしたか? 初めて見た人には

          あ、なんか聞いたことあるの病

          あの図

          3月になると、もうこれまでいかに積み重ねてきたのかが分かります。みたいな話が、そこかしこで聞こえます。今年の学級がしんどくなってしまった先生は、この言葉に苦しめられることもあるんだろうなあと思いながら見ています。 有名な図版で多くの教育書にも載っている、横軸に4月から3月を。縦軸に教師と子どもを置いて、斜めに線がピーッと入っていく。あの図。 自作してみたら、一気にnoteがちゃっちい感じになって、めちゃくちゃいい。これからも図を作ってみよう笑 4月の学級開きから3月の学級

          4年に1度の閏年。 閏年によって、ズレを調整するって、なんか考えてみると大変よくできたシステムだなあと思います。あんまりちゃんと覚えてなかったので、閏年があっても結局またそれによって起こるズレがあるんじゃない?とか考えていたんですが、そうだそうだ閏秒があったと教えてもらったりとか、4年に1度以外にも、きちんときまりがあったんだったとなり、それもまた良くできたシステムだなと納得しています。 そう思うと、いいですよね、閏年はズレの調整ができて。 学級がずれ始めるとしんどいですよ

          SSR

          昔、藤原和博さんの本だったかな。著者は合っているけれど、どの本だったか確証がない。その中に「レアカードになりましょう」ってことが書かれていたんですよね。キャリアの文脈などで、自分に仕事を任せたいと思ってもらえるような、そんな人になるといいっていう話。読んだ時納得したんですよ、なるほどなあと。 例えば、影山優佳さんを考えた時に、日向坂46に入れるレベルのアイドルになれちゃう素養があるわけですよ。でも、可愛いとかダンスができるとか歌が歌えるとかだけじゃなくて、そこに加えてサッカ

          目は口ほどに表せない

          noteを書こうと思ったら、知らない人の記事で 「自己調整学習がほったらかしになっていないか」って題が書かれていた。記事は覗いていないけれど、タイトルがそうなっていて、だんだん似たような問題意識を多くの人が抱え始めているんだなあと思う。 自由進度学習は、昔「自由しんどい学習」になってるって記事を書いて、今もまだその通りだと思っている。多分、個別最適化みたいな流れがこれからもどんどん進んでいけば、多くの人が似たような課題意識になっていくんだとおもう。 じゃあ、見守ることと、

          目は口ほどに表せない

          お突き合い

          世の中には巧みに言葉を使う人がいるよなあと、日々色々な本を読みながら動画を見ながら感じています。 教育書だけを読むのではなく、新書も小説もビジネス書もそれなりにたくさん毎年読む生活が続いて、ようやくここ5年とちょっと経ちました。ここ5年で1000冊以上の本に触れたと思うと、それは自分でもよく読んでるなあと思います。中原淳さんの本にあった、大人の学びは本を1トン読めってところも、確か400g想定だったと思うので、もう近々越えるんじゃないかなあ。計ったことないけど。 さてそんな

          久々に見た映画

          この間、映画『ウィッシュ』を見てきました。まあ流行りからは、ちょっと遅れているのはいつものこと。記憶が曖昧なネタバレも入りますので、読まれる方はお気を付けて。 物語の内容も面白かったし、見せ方も綺麗だし、やっぱり感動するいい作品だなあという思いです。そんなストーリー全体もさることながら、今回の敵であるマグニフィコ王がめちゃくちゃいい。登場から福山雅治全開なんですが、それでも入り込めて楽しい。 ディズニー映画といえば音楽だけれど、今回福山雅治が歌っている「無礼者たちへ」もめち

          久々に見た映画

          子どものための教育

          「重松鷹泰が面白そう」と耳にしてから、結局この人の本を手に取るまで半年くらい経った気がする。それも特に選び抜いた一冊な訳でもなく、偶然目に止まった一冊を読んだ。 「子どものための教育」という題名そのままに、学校という場において子どもを大切にするというのはどういうことなのかについて、ずーっと考え続けていく本だ。 こんな文章から始まる。重松は子どもはいのちだという。 今の学校はどうだろうか。 こうした思いが入る余地は残っているんだろうか。学校は、子どもが子どものままでいるので

          子どものための教育

          聞く技術 聞いてもらう技術

          最近、東畑さんの本は出版されると店頭に山積みになっている。本屋の中での売れ筋も売れ筋なんだろうなと感じる。今回の本も出版されてからしばらくしてから読んではいるが、これもまた大当たりだ。 聞く技術、そして聞いてもらう技術、そのどちらもの大切さが書かれている。 東畑さんがカウンセラーとして実際に使ったり考えたりしている「小手先の技術」が、それぞれ10こずつくらい載せられている。どこか当たり前のように思うけれど、なかなかできていなくて。こうした小さな積み重ねによって聞くことも、聞

          聞く技術 聞いてもらう技術

          アクティベート教育学12 教育の方法と技術

          きっと大学の授業で使われなどで使われるであろう、教育の方法と技術。 この本の面白いのは、一冊の中で本当知っておいたらいいであろう教育技術やICTの話がたくさん載っているところ。 個別最適な学びや資質能力について、教えて考えさせる授業、授業のユニバーサルデザインに堀川小学校や奈良女の実践、くわえて思考ツールに教育DX、自己調整学習にデジタル・シティズンシップ。 もう本当、現代の教育から授業デザインについて考えるときのフルコースと言ってもいいのではないかってくらい広がっている。

          アクティベート教育学12 教育の方法と技術

          人間の生きている授業 

          上田薫の本を読んだ。 本当に久しぶりに本を読んだ。久しぶりに読む本がこの本でよかった。 読むのに自分の考えを揺さぶられ、これまでの自分を破壊され、そしてまた再構築していこうと思わされる。小手先の技術じゃなき、熱い熱い本だった。 例えばこんなことが書かれているわけだ。 そう、そうなんだよ。 あの子にとっての基礎基本と、この子にとっての基礎基本なんて異なるって当たり前のことだろうに、なぜか基礎基本だけは皆同じ土俵であるみたいなことが平気で起こっている。その土俵土台がある児童は

          人間の生きている授業