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あ、なんか聞いたことあるの病

突然ですがなぞなぞです。

①りんご、ぶどう、すいかを乗せたトラックがカーブで何かを落としたよ。何を落としたかな?

②お酒を飲めるのは20歳からですが、車に乗れるのは何歳から?

分かりました?





まあ、大したなぞなぞでもないので正解を発表しますが
①はスピード、②は0歳から ですね。

で、なぞなぞの正解不正解はどちらでもいいのですが、このなぞなぞを目にした瞬間に「あ、これ答えスピードだな」とか「あ、このパターン0歳だな」みたいな感覚ありませんでしたか?
初めて見た人にはないかもしれませんが、なんかそうした「ああ、見たこと聞いたことあるな」っていう、「その世界のそれっぽいやつ」ってあると思うんですよ。

長々としょうもない前置きをしておいて、何が言いたいかというと

教育の世界にも同じようにその言葉を使っているだけで「それっぽい」
「お、こいつ分かってそうじゃん」って思われる言葉が広がっている感じがします。

それは、自由進度学習とか個別最適な学びという、急にみんなが使い始めた言葉かもしれないし、振り返りが大事とか一人一人の想いを〜みたいな実際のところは、何を表しているのかよく定まらない言葉かもしれません。
でも、そうした言葉をたくさん持っていて、繋ぎ合わせていくだけで、どこか自分は分かっている。そんな空気を醸し出すことは、あっさりとできてしまいます。

具体と抽象って、有名な細谷功さんの本がありますが、そういう時に
「じゃあ、それってどういう姿ですか?」って徹底的に具体を問うていけばいいと思うんですよね。

あなたの学級の子どもたちが、授業の終わりになんて言っていればいいんですか?
教師が具体的に誰のどんなところを見ようとしているんですか?見えたものは何でしたか?
実際に明日から誰でも敵を作らずにできる働き方改革って、どんなことですか?

とにかくとことん具体を問うて問うていくことが、このフワッとした「それっぽい言葉」をぎゅっと捕まえるには大切だと感じています。
本を読むときも「それっぽい言葉」に、自分自身が踊らされていないかなとか、「これって自分の教室で表すとどういうことなんだろう?」とか、「自分にとってはこういう姿だけれど、隣の先生にとってはどうだろうな?」とか、たくさんの視点をもちながら、言葉に触れていくことを自分自身大事にしていきたいものです。


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