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SDGsはPRで、PRはSDGsだと思う。その理由について。

少し前からこのようなことを考えています。

最近SDGsについて勉強していて、学べば学ぶほどこれはPRだなと思うのです。逆にPRに必要なことが、SDGsの項目に詰まっているような気もしてくる。

SDGsとPRの両方に関心がある人にしか通じない話かもしれませんが、言葉にしてみます。

SDGsとはなにか

SDGsとは、2015年9月に国連総会で採択された、国連に加盟している193カ国がこれから2030年までに達成していく目標のこと。SDGs=Sustainable Development Goalsで、「持続可能な開発目標」と訳されます。

SDGsは17の開発目標、その下に169の細かい目標(ターゲット)があり、それをさらに具体的な数値に落とし込んだ232の指標で構成されています。17の目標は、以下のとおり。

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1. 貧困をなくそう
2. 飢餓をゼロに
3. すべての人に健康と福祉を
4. 質の高い教育をみんなに
5. ジェンダー平等を実現しよう
6. 安全な水とトイレを世界中に
7. エネルギーをみんなに そしてクリーンに
8. 働きがいも経済成長も
9. 産業と技術革新の基盤をつくろう
10. 人や国の不平等をなくそう
11. 住み続けられるまちづくりを
12. つくる責任 つかう責任
13. 気候変動に具体的な対策を
14. 海の豊かさを守ろう
15. 陸の豊かさも守ろう
16. 平和と公正をすべての人に
17. パートナーシップで目標を達成しよう

Sustainable(サステナブル)という言葉の浸透から、SDGsは環境問題や気候変動にまつわるものだと思っている人も多いのですが、貧困やジェンダーといった社会問題まで広く含みます。「持続可能」という考え方はあらゆる領域を含むんですね。

このリストだけ眺めていてもあまりピンとこないけど、それぞれを解決するためのビジネスやコーポレートコミュニケーションと結びつけて見てみると、このひとつひとつがPR発想の根源になることに気づきます。

PRとはPublic Relationsのことで、社会との関係構築を指しますが、社会と関係を構築するためには、社会に対して何かしらのインパクトを与えなくてはなりません。それは一般的には「社会課題の解決」という形を取ってなされます。

むしろ最近は社会課題を解決することでしか関係構築は成し遂げられない気すらしていて、その要素が詰まったSDGsはPRの着想点そのものだと考えるようになりました。

いま応援してもらえる企業

「いい感じにPRしちゃってください」という雑な依頼はさすがに少なくなってきたものの、PR=アピール・宣伝・広めることと思われている世界線では、不毛な戦いになることはまだあります。

PRはリレーションや関係づくりによってビジネスがいい感じに回るようにする取り組みのことですが、誰かと関係を築くには「情報を媒介するもの」が必要なので、媒体=メディアという存在を巻き込む手法が取られます。これがいわゆるメディアリレーションズやパブリシティ。

媒介するものが多様化した現代では、マスメディア以外にも網目のように張り巡らされた流通経路を把握して、どう使ってメッセージを届けるかが頭の使いどころにもなっています。

しかし最近は、その「頭の使いどころ」の部分を特段意識せずして、オーガニックなバイラルが起こってしまうケースが多発しているなと感じます。これは良い意味で。

経営者自身に強いストーリーがあったり、解決したい社会課題が明快だったり。PRパーソンはもういらないのではと思ってしまうくらい、ナチュラルに社会起点の発想から生まれたサービスやプロダクトが増えています。

一方通行で伝えたいことを伝えたり、自分たちが良いと思うものを知ってもらおうとするのではなく、社会から発想する。社会を第一に考える。すべては社会のために、自社がある。

そんな考え方がPRで、この「社会」の部分がいま一番体系的に網羅されている世界共通のステートメントがSDGsではないかと思うのです。

社会課題を解決すること、それがもうすべて

「PR視点やPR発想は、社会起点で物事を考えることだ」

PRをやってきた人なら、こんなことは当たり前にわかっています。この社会起点というのが曲者で、わからない人はなかなかわかるようにならない発想方法でもあるのですが、最近の変化として、この「社会起点で発想」をするための切り口の本質化が著しいと感じています。

私たちの時代には、PRネタを考えるときの切り口として、

新規性・希少性・最上性・社会性・話題性・時事性・季節性・未来性・人間性

などと言われてきました。「日本初の◯◯」とか「世界最小の◯◯」とか、「あの有名人も愛用!」とか、そういうのがメディアに取り上げられやすい要素だよ、と。

だけどもうこれらの要素はコモディティ化しすぎて、業界初!と言われても何業界においてどの点で初なのかわからないし、有名人が愛用していることはさほど魅力になりません。調査リリースは企業が文脈操作をしていることにも、もう生活者たちは気付いています。

すると、従来キーになると思われていた要素のうちいくつかは、相対的価値が下がっていきます。そして並列な切り口のひとつでしかなかった「社会性」への注目が急速に膨らみ、そこへ時事性の要素も融合して、SDGs的な発想が求められるようになっているのが今の状態だと捉えられます。

すばらしい取り組みをして話題になっているあの企業、すごいなと思えるメディアに引っ張りだこのあの社長。具体名は出しませんが、よくよく分析してみると、直接的であれ間接的であれ、SDGsにある社会課題のどれかに向き合っているケースが多いです。

もう数年前に流行ったようなバズ記事は読まれなくなりました。話題になるということが一過性のバズではなく、だんだんヘルシーで持続的なものになってきている。本質的なところに着地するにはもう少し時間がかかると思っていたけど、コロナの加担もありこの流れは予想より速く進みました。

PR成功事例をその元にある思考まで紐解いていくと、SDGsの17の項目のどこかに到達するようになったともいえます。もっと細かな社会課題、小さくてニッチな助けを乞う声はあるのですが、少なくとも社会にとって必要ないものがただ面白いだけで称賛される世の中は、一旦終わったように感じています。

PRが溶け切った社会から

私がかつていたPR会社では、「いいモノを広める」ということをスローガンのように掲げていました。

しかしこれは奥が深くて、ただいいモノなだけでは広まらない……という社会通念があったからこそ、意味を成していたスローガンだったと思うのです。情報網は今よりも限定的で、SNSもそこまで強い力を持たなかった。「いいモノを作っても広まらない」ということが日本中で起こりまくっていました。

しかし今はツールは増えて情報流通経路が変わり、それを見せる手段もとても多様になりました。いいモノであること自体が広まる理由になり、生活者がいいモノかどうかの判断材料にたどり着くことも容易になって。いいモノを作るほうの人たちにPRの発想が浸透したり、PRの発想を培った人がいいモノを産み出す側に回ったりということも起きています。

昔の私は、環境問題やサステナビリティへの課題意識から、それを伝えるための手段としてPRに可能性を感じたわけですが、それがここへきてすべて繋がったなという感じです。概念が溶け切って手段として多様化していくのを横目に見ながら向き合ってきた数年間だったなと今は振り返っています。

ずっと「PRはいつか溶けるだろう」と思いながらやってきたけど、その時代はもう来たと思う。溶け切ったPR発想を骨の髄まで染み込ませたビジネスマンがどんどん世界を変えていくようになりました。

このあたりの話が、SDGsはPRでPRはSDGsだと思っている理由です。自分がずっと取り組んできたことがこうして繋がるのは、感無量ではあるのですが、同時に無力感に苛まれて撃沈したりもしてします。PRパーソンの行き着く先について最近は3択くらいを考えているので、またその話もシェアしたいと思います。おわり。


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