映画「ベイビー・ブローカー」から見る”ありがとう”の言葉
※このnoteは、映画「ベイビー・ブローカー」のネタバレを含みます。ご注意ください。
こんにちは!WannaBeMEメンバーのスズカです!
先日、映画「ベイビー・ブローカー」を見に行きました。「万引き家族」で有名な是枝裕和監督の作品で、注目を集めていますね!
今回は、見た感想を書きます🖋
最後まで、ぜひお読みください~👀🌱
「赤ちゃんポスト」とブローカー
みなさんは、「赤ちゃんポスト」をご存じですか?
「赤ちゃんポスト」とは、子どもを育てられない人が匿名で赤ちゃんを置いていくところ。日本だと、熊本県の慈恵病院で「こうのとりのゆりかご」という名の赤ちゃんポストがあります。
韓国にも、同様にベビーボックス(赤ちゃんポスト)があります。
映画では、タイトル通りベイビーがブローカーに連れ去られます。ブローカーとは、仲買人のこと。ですが、作中ではベイビー・ボックスに預けられた赤ん坊をこっそり売り飛ばす「ベイビー・ブローカー」という裏稼業がなされるところからスタートします。
「え?怖くない?」映画を見る前に思った素直な感想です。でも、見ると心温まるものなのです。
疑似家族となっていく
登場人物には、①子どもをポストに預けた親、②借金を抱えるブローカー、③児童養護施設で育つも養子になることを望まなかった青年、④養子になりたい8歳児(作中では、養子は6歳までと言われている)。そして、赤ちゃん。
作中では、ブローカーが盗んだ赤ちゃんを売りに出すことがメインです。
もともとは、ブローカーと青年が2人で行っていましたが、赤ちゃんポスト預けたはずの赤ちゃんがポストにいないと気付いた親が同伴し、8歳児も児童養護施設を抜け出して参加します。
養親を探す道中で、4人が赤ちゃんを守るという気持ちでつながる疑似家族になるところが見所と言えるでしょう。
預けた親は、赤ちゃんに「必ず迎えに行く」と添えていましたが、児童養護施設に預けられた青年はその親に「本当に迎えに行く気あったのか」と怒ります。
揉めた理由は、青年も同じ手紙をもらった経験があるから。自ら養子になることを望まなかったのは、「いつか必ず親が来る」と信じていたのでは?と作中では指摘されます。けれど、迎えに来なかった経験から、親が手紙に書いた意味の信憑性を疑うのです。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
本格的に養親が決まるとなった前日の夜のこと。
親が赤ちゃんに声をかけている様子を見たことがないと話す3人に指摘され、「生まれてきてくれて、ありがとう」ぐらい言えばいいんじゃないのか?と言われます。
「言っても意味が通じないよ」と親が言うも、8歳児が「じゃあ、みんなに言ってよ」というシーンがあります。こっっっっれがもう涙なしには見れない。
そして、ぶっきらぼうだった親が、3人に一人ずつ伝えます。
もちろん、赤ちゃんにも。
これ、いろいろ考えさせられますよね。
まず、「みんなに言ってよ」と提案した8歳児は、親の顔を知らず、養子になることを望む児童養護施設で育った子ども。名前の由来が赤ちゃんに似ていることから、赤ちゃんと自分を兄弟のように思っていたのですが、その赤ちゃんの母親に「生まれてきてくれて、ありがとう」を求めているのでは?と思うと、胸がいっぱいになります。
次に、「必ず迎えに行くね」の手紙を信じるも迎えに来なかった親を持つ青年は、母親を許せないと言うシーンがあります。時間が経っても親への憎しみが消えないのは、ベビーボックスに赤ちゃんを預ける親の真意が分からないからではないでしょうか。だからこそ、同じような立場である親に「生まれてきてくれて、ありがとう」と。。。。。と思うとまたもや涙が。
ブローカーへの言葉の考察は省きますが、これも意味があると思います。
そして、赤ちゃんへの言葉。赤ちゃんに無関心な態度を見せてきた親。「預けたくなくなるから、わざと世話してないのでは?」と指摘されるほどでした。これは、いろんなことが予測されますが…あえて触れるのであれば、養親から「あなたは捨てられたのではなく、守られたのよ。」と育てるという想いを聞いてから、「この養親なら養子に預けたいと思った」と話すシーンがあります。親は、赤ちゃんを「捨てた」という表現を一貫して述べますが、「守りたかった」と言えずに自責していた様子もあるような。
赤ちゃんポストに預ける人の「捨てたのではなく、守ったのだ」という思いが垣間見えますが、これは疑似家族全員が求めていた“あたたかさ”なのではないのでしょうか。
「結局なにが言いたかったの?」へ
みなさんは、映画をエンディングロールまで見るタイプですか?私は見るのですが、映画館が明るくなった途端、前に座っていた二人組が「結局何が言いたかったの?」と言っていました。
確かに、もしかしたら、これはいったいハッピーエンド???と言い切っていい?みたいに見えてくる側面はあるのかも?でも、大切なのは結末じゃあないと私は思いました。
作品を見て感じたのは、親は育てることさえできれば育てていたということです。なんで産んだのだ、なんで捨てたのだ、と無慈悲に聞かれ続けますが、産みたかったから産み、捨てるしかないと思ったから預けたのではないのでしょうか。
5人が疑似家族となっていく過程を通して、親は「もっと早く出会っていればよかった」と発言します。青年が「俺たちで育てよう」と提案するシーンがあります。ここから、赤ちゃんを預けなくても、養子に出さなくても、自分だけ一人で育てようなんて思わなくていいのでは、と気づくようなシーンがあります。
このように、預けた人、預けられた青年、養子になりたい子ども、ブローカーの家族への想いと、一人一人の言動を読み取っていくと細い糸のようにヒントがあるように思います。
そして、その数のように赤ちゃんにも自由に選択したり思いを馳せることができるのです。それができるということは、すなわち、生きているということです。
4人はそれほどまでに、「生まれてきてくれて、ありがとう」という言葉を通して共鳴し、生まれてきてくれた赤ちゃんに同じことを思っているように思います。
書きすぎ案件
おっと、、、ここまでたくさん書いてしまったw
このほかにも、いろいろ書きたいことあるんですよ!w
例えば、車のワイパーの音や動きが印象的だったこと、アングルが良かったこと、ブローカーを追う警察の存在などなど…語り切れません!w
ただ言えることは、あたたかい作品なんです。これは、是枝監督の味なのかしら?万引き家族を見たことがないので、見てみますね!!
最後まで、読んでくださりありがとうございます!
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