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成人式の振袖に感じた”モヤっと”

今月初旬、私は成人式に参列してきました。今回は、成人式に参列するに当たって感じた“モヤっと”について書いてみようと思います。

成人式と言えば振袖?

私は振袖をレンタルし、成人式の前撮りを2021年の4月に行ったのですが「え、一年近くも前から?」って思いません?私は思いました…笑

今思うと、大学受験が近づいたあたりから振袖レンタルの広告が頻繁に送られてくるようになったような…(こっちはそれどころじゃないんだ!って毎回真顔になっていましたが…)そしてそれに急かされるがまま、大学入学直後に早期契約したのが私なのですが…。なぜそんなに早くに前撮りを行ったのか、という理由は広告の戦略以外にもう一つ。それは「良い振袖がなくなっちゃうから」。これを親の口から聞いたとき、成人式というイベントが、着物屋さんを含め、ヘアアレンジを行う美容師さん、着付けを行うスタイリストさんなどなど、日本の経済構造にしっかり組み込まれているんだなあ…と実感しました。

それはさておき、結局振袖をレンタルして前撮りを行ったわけですが、そもそも私には振袖を着たいという願望があったわけではなく、レンタルするだけでも何十万と費用が掛かることもあり、振袖レンタルには全然乗り気じゃありませんでした。また、スーツでかっこよく決めたいという思いもないわけではなかったので、一旦親に相談してみることに。といっても直談判する度胸はないので、やんわりと「成人式、スーツとかでもアリじゃない?」と尋ねてみました!笑

結果は、
「スーツ?そんなのありえん!そんなやつひとりもおらん!」
「振袖は今しか着られん。いい年した大人が着るもんじゃないから」
と言われ、いかした返答ができずに議論に漕ぎつけられませんでした…。

ですが親の話を聞いていると(地域差や個人の感覚の差も大きいだろうなとは思いますが)親の時代の成人式では、女性は振袖、男性はスーツ、袴の男性はやんちゃ、というイメージがあったそうです。それを考慮すると、娘が成人式にスーツを着るという選択肢がそう簡単に受け入れられないことも理解できました。それに、親や祖父母の「娘(孫娘)の振袖姿を見たい」という思いを裏切りたいわけではなかったので、この振袖イベントに参加することにしました。

モヤっとの正体

親の言い分は理解できるとして、それでもやっぱりモヤっとする部分は残るわけで。話している最中にはそのモヤっとの正体が何なのか言語化することができずに終わってしまったのですが、消化不良は身体によくないので!その後じっくり考えてみました!

親の時代では、女性が成人式にスーツを着る、という選択肢すらなかったのかもしれませんが、スーツって、例えば振袖によって否応なしに演出される“女性らしさ”を望まない人にとっては良い選択肢のひとつだと思うんです。

また、あの時は聞き流してしまいましたが、「振袖は今しか着られない」という言葉が何だか引っかかって…。振袖についてちょっと調べてみました!すると、

振袖は未婚女性の第一礼装(最も格が高い衣装)
女性から想いを伝えることがはしたないとされていた時代に、袖を左右に振ると「好き」、前後に振ると「嫌い」という意思表示に代用されていた。(これが現在の「振る/振られた」の語源!)
既婚女性の第一礼装が留袖なのには、夫一人に想いを留める、結婚すると男性に好意を示す必要がなくなるという意味がある。

などの事実が明らかに!ついでなので、男性用の袴についても調べてみたのですが、こちらは振袖と異なり、既婚や未婚、慶弔に関わらす着用可能だそう。(出典:京都かしきもの https://kashikimono.com/content/hurisodetoha、ジョイフル恵利 https://furisode.joyful-eli.com/blog/archives/122、日本文化いろは辞典 http://iroha-japan.net/iroha/B01_clothes/16_hakama.html)

何となく、自分のモヤっとの正体がつかめてきたかも…!

現代において着物を普段着とすることは少なくなっていると思いますが、振袖に“振袖を着ている=未婚”という意味合いが残っていることや、男性がきる袴には既婚や未婚といった意味合いはないということから、今も昔も、未婚の女性に対する圧力”結婚することが女性の幸せ”とか、”結婚していない女性は売れ残り”とか…。)があることを示しているように感じられ、それが私をモヤっとさせたのだと思います。

私にとっての成人式

私は別段、成人式という行事や、そこで女性が振袖を着る文化に異議を唱えたいわけではありません。(ちなみにですが、成人式という行事があるのは世界で日本だけなんだそう…!)

成人式で、男性の袴姿=やんちゃとかいうイメージは失われていってほしいし、女性がスーツを選ぶことが奇異の目で見られる風潮も薄れていってほしいし、性別に関係なく衣装を選べるようになれば良いなと思うのですが、それだけが言いたいわけでもありません。

私にとって成人式は、この儀式に参加することで、今一度自身の生き方や目標を見つめ直し、権利や義務を自覚し、心構えをただす機会を得るという意味合いを持っており、その意義のために式に参列しました。

そして、成人式の振袖について考える中で、私は、ややもすれば当たり前に通過してしまうような人生の行事の中にも実はジェンダーバイアスが潜んでいるという、その事実に不意にゾッとしたんです。

きっと、これから生きていく中で、今まで以上にジェンダーバイアスにさらされる機会が増えるだろうし、ジェンダーバイアスを気付かないうちに受け入れていることも増えていくんだろうし、納得できていなくても自分が生きる社会の慣習に迎合せざるを得ない状況を何度も受け入れていくんだろうなと思います。正直そのことを考えると将来のこととか考えるのいやになっちゃうんですが…でも、それが”=大人になる”ということだとは思いたくないんです。

今私が言いたいことは、伝統に対して、その価値を様々な観点から客観的に捉える視点を持ちつつも、自分が感じるモヤっとを大切にしながら、その伝統にもジェンダーバイアスが含まれているのではないか?と一旦立ち止まって考えてみる姿勢を大切にしていきたいな、ということです!

大人になるってどういうことなのか?を考えるきっかけをくれた成人式…振り返ってみると、なんだかんだ参列して良かったなと感じています。

最後になりましたが、皆さん体調に気を付けて、共にこの冬のラストスパート乗り切りましょうね!!

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