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「82年生まれ、キム・ジヨン」を鑑賞してきました

みなさん、いかがお過ごしですか?

私の住んでいる地域はずいぶん肌寒くなってきました。雪こそ降っていないものの、ストーブやこたつが欠かせない日々です。

さて、私は先日「82年生まれ、キム・ジヨン」を観てきました。
(都会では10月に公開されていたようですが、金沢は最近になってやっと映画館で公開されたのです💡)

そこで今日は、この映画を鑑賞後のわたしの所感を綴っていこうと思います。

⚠︎なるべくネタバレしないように努めますが、事前知識なしに鑑賞されたい方はここで戻るボタンを押し、ほかのワナビーの記事を読んでみてくださいね🌝

あらすじ

結婚・出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨン。常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。そんな彼女を夫のデヒョンは心配するが、本人は「ちょっと疲れているだけ」と深刻には受け止めない。しかしデヒョンの悩みは深刻だった。妻は、最近まるで他人が乗り移ったような言動をとるのだ。ある日は夫の実家で自身の母親になり文句を言う。「正月くらいジヨンを私の元に帰してくださいよ」。ある日はすでに亡くなっている夫と共通の友人になり、夫にアドバイスをする。「体が楽になっても気持ちが焦る時期よ。お疲れ様って言ってあげて」。ある日は祖母になり母親に語りかける。「ジヨンは大丈夫。お前が強い娘に育てただろう」――その時の記憶はすっぽりと抜け落ちている妻に、デヒョンは傷つけるのが怖くて真実を告げられず、ひとり精神科医に相談に行くが・・・。
(公式HPより)


性被害にあうのは、被害者の責任なのか?

この映画は、「女性の社会進出」「出産・育児」「出産後の社会復帰」「キャリアプランとライフプラン」「妻であり母であることと、一人の人間であること」など、さまざまなテーマが盛り込まれています。

その中でもわたしは、主人公が学生時代に性被害に遭い、迎えにきた父親から「痴漢にあうのは、本人の不注意のせいだ」と叱責されてしまうシーンがとても印象に残っています。

本当に、性被害に遭ってしまうのは被害者の責任なのでしょうか?


わたしの地元の高校は数年前、女子の制服がブラウスからポロシャツに変わりました。
なぜだと思いますか?

答えは、「ブラウスは下着が透けて、周りの人に刺激を与えてしまうから」です。

少なくとも私の周りの多くの学校では、「胸元が大きく開いた服ははしたない」「スカートは膝下、靴下は白黒紺、第1ボタンまできちんと閉める」といった教育がなされてきました。

学校や地域によってさまざまですが、なぜ守らなければならないのかわからない厳しい校則に縛られてきた方も多いのではないでしょうか。

その学校の品位を損なわないため、という理由もあるのでしょうが、私たちは「自分の身を守るため」に、そんな大人の言うことに従ってきました。

では、性被害にあった子供たちは、そんなことをされるのは「あなたのスカートが短いから」「化粧をしているから」「ブラウスを着ているから」という理由で、その責任を持つべきなのでしょうか。


★★★★★!

この映画を見終わったとき、私の身に降りかかった沢山の過去の出来事を思い出し、これから私の身に起こるであろうさまざまな困難と希望について考えました。

私は原作を読まずにこの映画を観ましたが、十分面白かったです!

観ようか迷っている方は、ぜひ観に行くのをお勧めします。絶対に映画館で観て後悔しない作品です。

それでは👏

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