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「正直、キツいっす」から始まるキャリア相談

「この仕事をずっとは続けられないかもしれないス」

今年度、新卒で救急センターの医療事務として入職した20代前半の男の子からポツリと相談されました。

学生から社会人になり、環境変化がかなり大きく起きている、その変化の過渡期だから、「あぁ、自分は無理かもな。向いてないかもな。」と思うのはしょうがない部分があります。
先輩として、ここは一つ、慣れない男気を出し、その「むいてないと思う」理由を聞いてみました。

私:なんで続けられないと思う?仕事がつらい?
新人(以下、新):仕事は覚えなきゃいけないことも多いんですけど、患者さんの為に働けてるので全然いいんですよ。
私:そっか、仕事は楽しいんか。じゃあ人間関係か?
新:それもありますね。アタリが滅茶滅茶きついんすよ。
私:なるほど。医師や看護師とか、一分一秒を争う状況が多いから、きつくなっちゃうのかな。
新:そうなんです。でも、それは厳しい医療現場なのでしょうがないよなって思って我慢できるんですけど。。。事務の先輩たちの言葉も怖いんです。
私:それはつらいな。
新:えぇ。しかも積極的に仕事をすればするほど、怒られるんです。「言われたことだけをしろ」とか。
私:萎縮しちゃうね。
新:この前、研修の無記名アンケートを書いてたら追跡されて評価につながるから、一旦見せろ」と言われたり、常に監視されていて。
挑戦するのが怖くなってきてるんです。
こんなのだから同期の友達と「将来が見えなくて不安だね」って話してて。

これを聞いて、どう回答しようか少し悩みました。
普通の感覚の先輩であれば

早く仕事を覚えて、早く一人前になれば人間関係も良くなるよ!

とか

辛いよな。でも、一緒に頑張って耐えようぜ!

的なポジティブアドバイスをして、励まし、宥めすかし、ロイヤリティを挙げていくのかもしれません。
ただ、私はネガティブを捏ね上げて、捻くり倒した人間。ですので、あえて別の切り口で答えてみました。

あえて、別のキャリアを探すことを薦める

私の切り口は

当院が社会のすべてではないよ

というところでした。

皆さんも経験したことがあると思いますが、新卒の採用って実際に勤めだすまで、すごい助走期間あるんですよね。

何枚もESを書き、志望動機を絞り出し、精一杯の作り笑顔と着なれないリクルートスーツで自分を覆って、使い慣れない敬語を使って面接を受け、何とかして内定を得るのが約10ヵ月前です。
そこから明確なモラトリアムのおわりを痛烈に意識しつつ、間もなく訪れる「社会人」に立ち向かう心構えを作っていきます。

この「助走期間」に過剰な自信や自尊心、あるいは野心をたぎらせるかもしれません。
「粉骨砕身働くぞ!」とか「同期で一番に出世しよう!」とか。
あるいは「この会社に入れたワタシって優秀!」とか。
ここまで行かなくても、終身雇用はまだまだ根強いため、「この会社でやり抜くんだ」という気持ちになる人も多いと思います。

相談してくれた新人の子は医療事務系の専門学校を出ていました。
患者さんと接することが出来る仕事がしたいという情熱を持って入職し、配属された職場でも持ち前の人柄の良さで「いい子が入った」と評判でした。

ただ、聞いている限り、置かれている環境はあまりよいとは思えません。
折角の情熱ややる気をそいで、挑戦する気持ちを消す環境は、若年期には尚の事、ふさわしくないように考えました。

だから、「当院に無理にいる必要はないよ」と伝えました。

3年は長すぎるけど、1年ぐらいはいた方がいい

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「3年」というのはマジックナンバー的な要素が多分に含まれていますが、「時間」というのは色んなものを解決してくれるものだったりします。

・経験
年度目標の追っかけを3回、四半期決算を12回行うことになります。日々の業務をこなし、数字が積み上がり、実績がフィードバックされる経験が複数回出来ます。

・ヒトの変化
多くの会社ではローテーションが行われます。上司も先輩も同期も変わります。後輩が入ってくれば、指導の役割も増えてきます。

・事業の変化
中長期計画の更新時期と出くわすことが出来れば、会社の方針がかわります。事業の進め方が変わるかもしれません。

こんな変化が起こるから、「石の上にも3年」に基づき、「どんな会社でも3年はいた方がいい」と言われていたのでしょう。

しかし、病院だとどうでしょうか。
KPIが設定され、業績が個人評価に繋がるような仕組みや、人事の定期的なローテーションがある病院は珍しいかもしれません。
新人が配属された部署は基本的に異動もなく、業務も固定的です。
その上、指導者も変わらず「言われたことをやればいい」という環境で、「石の上にも三年」も勤め上げた結果、えられるのは
「諦め」と「受け身の姿勢」だけのように思われました。

ただ「1年はいた方がいい」と伝えました。
それは、「現状把握」と「比較する猶予」を得るためです。

自分が置かれた環境がどんな状況なのかを正確に把握しなければ、他の選択肢との比べることが出来ません。
また、自分が好きなことややりたいこと、あるいは10年後どんな生活を送って、どんなふうに働いていたいかを判断しなければなりません。
今のバタバタした状況ではどんな選択肢があるのかも分からないし、上記のような現状把握も難しいでしょう。
だから、ちょっと落ち着いて考えるためにも1年という時間は必要だと思いました。

思ったよりも、すでに社会は多様性に富んでいる

ダイバーシティに関しては、まだまだ未熟な部分も多いと思います。この辺りの議論はしてもし尽くすことはない(二分論になった場合、常にマジョリティとマイノリティが発生すること、民主主義において数は正義の一指標であり続けるであろうこと、どんなに公平な制度であってもそのルールによって不利益や不自由を感じる一定の群は発生するであろうから)ので、詳細は割愛します。ただ、「私たちが働く上で見える社会というのは、相応に多用的である」ということは言えると思います。

それは「組織に属して働く」という場合において、その所属先が自身の感じられる最も身近な「社会」であるからです。
病院であっても一般企業であっても、その団体(A病院やB株式会社など)固有の文化や制度が必ず存在し、その中で醸成された「常識」があります。さらに、その常識に基づいて動く人々がいる。これによって独自の小さな「社会」が構成されていると考えます。

「医師には気軽に声をかけてはならない」のが常識で、それに合わせて動く人々で構成された社会(病院)もあるでしょう。また逆に「気軽に話しかけて、いつでも提案OK」な常識の社会もあるでしょう。

このように同じ病院業界であっても、社会は異なります。他業界であればなおさらです。私は他業界から病院業界に入ったので、働く上でいろんな違和感を感じることがあります。

・決裁方式が定まっているようで定まってない
決裁に関わらないはずの医師が「私は聞いていない」と言い出せば、病院決定が覆る世界
・サービス残業当たり前の人たち、多すぎ
シフトの1時間前から患者情報収集したり、休日に出てきて会議に出席したり、病棟をひとまわりする
・事業計画、適当すぎ(立案からフォローまで)
どうしてその計画なのかのロジックが飛躍しまくりで、他の追従を許さない。大した周知もしないし、落とし込みもしないから誰も意識してないし、そもそも存在をしらない人も多い。

上記は悪いところを強調して書きましたが、実はいい側面もあったりします。色々ファジーで根回しがいるけど、基本的にはみんな優しくカバーしあってるとか。
ただ前職だと「ありえねぇよな」ってことが結構あるんです。それは、私が別の社会を知っているからできる比較や批評だったりします。

だからかもしれないですが、医療業界しか知らない、この病院しか知らないというのは実は危険だと思っています。社会の比較のしようもないから、どんな悪政をひかれようとも「社会ってこんなもんだから耐えないといけないよね」ってなっちゃう。「この病院以外は最高に危険なものだらけ」とさえ思うでしょう。なんかいましたね、ディズニーにそんなキャラクター。髪が長い子だった気がします。

らぷ

だから、世の中にはすでに色んな「社会」が存在しているということを気づかなければならないのです。その気付きのためには「今の社会が唯一である」という精神状態から抜け出すことが必要だと思うのです。

転職を考えることで、気付けるものが多いよ

世の中の企業の多くは働き方改革の国の流れに応じて、サービス残業の撤廃(イリーガル状態の是正)や、労働者確保に向けての福利厚生をはじめとした待遇改善に必死になっています。感染対策に向けてリモートワークを激烈に進めて、社員安全確保に躍起になってるのもそのひとつでしょう。
労働人口は減少することが明らかな一方、株式会社は「右肩上がりの成長」を至上命題として突きつけられているのです。つまり人材確保の重要性はますます高まっているからこその施策でもあります。

「病院だから安心」なわけがないのも実情で、今般の新型コロナウイルスの影響でガクッと売り上げが下がりました。患者行動もかわり、「軽症であれば病院にいかない」という受診控えの機運はある程度固定的な文化となったのではないでしょうか。

つまり、後輩らに対してはファーストチョイスこそベストチョイスとは限らないということを明らかに伝えていかなければならないと思うのです。新卒神話が崩壊しただのなんだのいいながら、高度経済成長やバブルの旨味を十分に吸って、勝ち逃げを狙っている世代がいう「転職してもいいけど、うちにいた方がいいと思うよ?新卒カードで入ったんだから、その恩恵を受けないと」みたいな甘ったるい助言などではなく、より時代背景に即した考え方を共有すべきだと思うのです。

多様性を身に付けることや、適切な挑戦を求める気持ち、人生を考える際におけるプラン変更など、それらを考えるたびに「他に行ったらどうだろう?」という考え方をするのはすごく自然だし、当たり前だと推奨したいんですよ。

実際に転職活動をしてみて、自分の実力や評価のフィードバックをうけるのもありだと思います。プロ野球選手と違って、フリーエージェントにならないと他組織の評価を聞けないわけではないので、どんどん活用したほうがいい。
自分に足りないスキルや経験があれば、それを今の組織にいるうちに身につければいいし、成長に繋がって昇進すればまた気持ちもプランも変わるかもしれないですし。

結論:優しい意味で「やめたきゃやめればいい」

「やめたいんすよ」という言葉に対して、必死にフォローして従属させようとするのは実は結構相手に対して厳しいことを言っているのだと思っています。
だってやめたいって「心が叫びたかってるんだ」状態なわけで、追い込まれているわけですから。
そんな時に、ずーっと組織に従属してきた人が「いやいや、うちも捨てたもんじゃないよ」っていうのは視野狭窄内でのコメントで、つらい気持ちに対する姑息的療法だと感じています。

やめたいのか、じゃあ次どうしようか。
僕らはどんな方向に向かいたいんだろうか。


こんな視点で一緒に考えたいと、思っています。
やめたい理由が排除できるのかな、やめたいならやめちゃってもいいけど、この人が幸せに思う方向はどっちなんだろうか、一緒に考えてあげたい。
そういう思いが、「やめたきゃやめればいい」という言葉に集約される感じです。
昭和の男みたいに、これだけ伝えてその場を立ち去るみたいなことはしませんが、まずはこれを伝えるということは、自分の中である程度価値があるのではと思っています。


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