【雑感】学歴と学問と田舎

徳島からスタンフォード大に入学

最近というには古すぎて、昔というには新しい出来事なのですが。
SNS上で徳島県出からスタンフォード大等の世界トップクラスの大学に軒並み合格された、松本杏奈さんという方がフューチャーされておりました。

昨今のマスコミなんていうのはSNSで話題になったことを後追いする「情報ハイエナ」みたいな行動をするんで、以下のような記事がポロポロ出てたんですね。

茨城からハーバード、徳島からスタンフォードに合格した18歳が語り合う 東京との「格差」〈dot.〉
https://news.yahoo.co.jp/articles/454c98c55f7a236eb29d14ddb973ced72044738f
徳島からスタンフォード合格の18歳が実践した「可能性をつぶす大人に負けない“自己肯定感”の育て方」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84855

囲む大人の「気持ち悪さ」

僕は、彼女自体に何の恨みもないし、好きでもないです。
「うわー頭いいんだろうなー。いっぱい努力できてすごいなー」
ぐらいはあります。羨望であったり、ちょっとした嫉妬、ジェラシーみたいなものはあります。

ただ、彼女をもてはやし、奉っている大人たちの行動が気持ち悪くて、同時に面白くてしょうがないです。

彼女のように優秀な学生に対して、
「貴方のような人が、世界を、いや人類を変えるのです!」
とか
「とても優秀なので、絶対に成功しますよ!」
とか言っちゃう大人たちが、最高にファンキーだとしか思えないのです。

別にええやん、彼女が何の興味をこれから持っていって、どんな研究をしようと、どんなキャリアを歩もうと。
なのに何故、テンプレートな「いい子」を強要するようなコメントを出せるんですかね。
まぁSNSなんで、近所のおばちゃんおじちゃんの小言みたいな気分で言っているかもしれませんが、それがなにより気持ち悪い。
彼女の何を知っているわけでもないのに、
「いい大学にはいった」
というだけで全てを肯定し、無邪気に期待をかけていくスタイル。
医学部じゃねぇから「将来は世界で活躍する研究者(学者)だね!」っと。もう昭和の頃から何も変わってない価値観に、慟哭せざるを得ないです。

ノブレス・オブリージュの押し付け

スタンフォードに入ったからといって、ノーベル賞が確約されるわけでも、人類を豊かにする研究成果を上げるわけでも、社会的に意義高い行動をしなければならないわけでもないでしょう。

彼女を無条件にほめたたえる人は、きっと彼女が人類を躍進する研究を担ってほしいと思うのでしょう。

そんな人たちは、もし仮に彼女がものすごく「ブーメランの原理」について興味をもったらどうなるのでしょうか。

僕が大学生の時には、まだ
「何故ブーメランがクルっと弧を描いて戻ってくるのか」
という原理について解明されていなかったようです。
とある空力関連の研究をしている教授の研究室に、世界ブーメラン大会で優勝するような超凄腕のブーメランプレイヤーの学生が入り、ブーメランについて修士課程まで熱心に研究されていました。
結果として、その原理は解明されなかったようですが、教授は嬉しそうにこのことを語り、僕らにこう告げました。

これが学問だよ。
興味があることに対して、情熱をもって調べる。
それでも成果が出ないかもしれない。
また、その成果が分かったところで、何に使えるかもわからない。
でも、「調べたい!」と思ったことを突き詰める
それが学問なのだよ。

もし今もブーメランのクルっと回ってくる原理が解明されていないとして、これを彼女が解明したいと思ってしまったら。
解き明かされた末に、生まれるものが「力学的に完璧な形状のブーメラン」であったとしたら、大人たちはどう思うのだろう。

スタンフォードに行ったっていうから期待したのに、成果これかよ

って思うのでしょうか。
まぁ言葉では言わないでしょうね、「いや、期待してたのはこんなんじゃないのよ」とは。でも絶対思うだろうという予想はつきます。

ただ、でもそういうことでしょって思うのですよ、学問って。
別に実生活やビジネス、はたまた人類の発展なんてものなんかは置いておいて、「研究したいから研究する」というところが重要だと思うんですよ。

つまり、彼女に対して無邪気に応援を、よくわからないけどしている人たちの多くは、ノブレス・オブリージュ(持つ者は持たざる者に与える義務)を強制している、あるいはそうであるべきだと暗に伝えていると思えているのです。

ノブレス・オブリージュは持つ者が自覚すべきであって、他者から強要されるものではないでしょう。ましてや、ノブレス・オブリージュ自体、現代の個人主義においては「大きな枷」的思考なのかもしれないですしね。

ビル・ゲイツだって、ボランティアや寄付が滅茶苦茶嫌いだったというし(注:奥さんが「やらんとあかんで!」って言ってくれたからやりだしたという俗説がある)、有名なイーロン・マスクだって相応の寄付金等は行っているけれど、仮想通貨の市場荒らしてやりたい放題して、サイコパス行動をこれでもかと披露してたりするじゃないですか。

結局、超個人主義で有り余る財を手に入れたとしても、その状態でも本当にやりたい事は「自分がやりたいことへの投資」だと思います。
ただ、やりたいことばっかりをあんまり派手にやってると、一般市民がノブレスノブレスうるせーから、形式的にやっとく、というものなのだろうと。

本当にそれって、彼女が望んだ「自由」なんですかね?
地方の閉塞感と似ているものを感じるんですよ。

ちょっと賢ければ「将来は学者か医者に」
ちょっと金持っていれば「母校に寄付を」
ちょっと面倒見がよければ「町内会長に」
ちょっと若ければ「消防団に入って活性化して」

この延長線上に、彼女をおいてません?って思うわけです。

「不自由」の綱に自ら繋がれようとしている可能性も無きにしも非ず

つまるところ、彼女は自分を宣伝すればするほど、「世界における「徳島」」のような、この日本国民からの不自由の綱に束縛されてしまうということですね。
ただ、超絶強靭な精神の持ち主であろうから、本人としては全く意に介していない節もあるかとは思います。

本当に自由であるためには、現時点で学歴(正確に言うと学歴も高卒でしかない)を使ったインフルエンサーになる必要もないようにも思うのですが、今後国外で活躍すると思っていれば、国内からの雑音は、すなわち彼女にとっての原資を稼ぐための小銭の音に近いのかもしれません。

国内でそこそこに知名度あげておいた方が、お手軽に「○○監修」系のアイテムを売ってみたり、書籍とか出してみたりと、コスパよくお金稼げますからね。
現時点で、彼女は「高卒」であり、プロダクトを作るわけでもないのです。売れるもので最も生産性が高いものは「知名度」です。

であれば、国内で適当にSNSで自分語りして、将来性をアピールして着目されて、引っかかった大人に「繋がれたふりをする」のは実にコスパがよいです。

結局、みんな学歴が大好き

上にも少し書いたけど、結局みんな「学歴」大好きだし、すごい信頼しているっていうのが凄く明らかになるトピックスだったと思います。

今までのSNSの流れって、アウトローだったり、奇天烈な経歴の持ち主が
「ビジネスで成功したぜヒャハー!」
「勉強なんてしてても意味ねぇぜ!」
「有名大学辞めて、独立します!」
というのを肯定する、若干のアングラ感があったんですよね。
「中卒社長」とかキャッチ―ですしね。

ただ、ここで超絶王道に戻る意見が多数出てきたなと。
まぁ、元から王道的な考え方の人が「スタンフォード大」という、巨艦大砲に惹かれて顕在化しただけかもしれませんが、ムードは変わりました。

ただ、ただですよ。
それはそれでいいのかっていう話です。
私も学歴主義的な所がありますが、それは「努力できる力を測るうえにおいて、学歴は一つのメジャーになる」という部分で学歴は無視できないというだけで、「東大生は全員素晴らしい」みたいな思想では全くないのです。

今回、彼女を支援している人はそのあたりをすっ飛ばして

世界で一番の大学に入ったってことは、すごいってことだよね?
ということは、この人は素晴らしい人だよね!!

という、「高学歴=人間として優れている」主義のようです。
ここまで、学歴を神格化し、無条件降伏する様子は、宗教をみているよう。
だったら、本郷三丁目と兵庫の灘あたりはもっと神格的な土地になっていいはず。
あと駒場東大前。筑駒もありますしね。

彼女をほめたたえるのであれば、ボストン大学出身の関根麻里さんも褒めたたえてほしい。ハーバード大学出身のパックンも褒めたたえてほしい。

なにはともあれ、頑張ってほしいと思ってます!

スタンフォード大学に入るということは、とても努力をされたことだと思うし、素晴らしいと思います。
でも、それだけです。それ以上でもそれ以下でもない。
彼女の人格や考え方はよく知らないし、今の彼女の取っている行動が原因で、僕はそれ以上彼女の事を知りたいとも思わないですし、知らなくても全く困らない。

彼女がドンドン活躍されて、
「人として知っておかなければならない新たな知識や技術、アート」
を生みだされてたとします。
そこから彼女の事を知ったとしても、タイミングとしては適切です。
これでいいんじゃないでしょうか。

「へぇ、これ作ったの日本人なんだ。
あ、徳島からスタンフォードに行ったの!?すごいねぇ」

となる将来が一番納得のいくストーリーです。
平等かつ公平な視点で考えれば、という前置きはつきますが。
彼女を使って儲けてやろうという下世話な感覚や、青田刈りしておいてやろうというミーハー心があれば話は別ですが。

少なくとも、頭をピンクに染め上げている子なんて20年も前からいます。
実際、僕が高校生の時に通っていたライブハウスの店員さんは頭をまっピンクに染め上げていて、純朴な私はその姿に震え上がったものです。
東京芸大あたりにはもっと頭のおかしい恰好をしている人もたくさんいます。草間彌生女史はいまだに真っ赤な髪の毛をされております。
京大にはヘンテコな寮があるし、校庭にこたつおいて鍋を食べてたりするし。

なんにつけ、奇才はそこら中にいるわけで。
逆にアーティストとしてはピンク頭は「没個性的」だと思うので、あの写真でドヤってるのは見てるこっちが恥ずかしいな、程度です。
もちろん、「ピンクが好きだからピンクにした」のであろうから、私は辞めろとは一切思わないですが、恥ずかしさも相まって
「うん、頑張ってね」
としかないわけであります。

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