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メディアの「言い訳」

メディアの分析記事とかで、「〜であろう」とか「〜かもしれない」と疑問形に書かれているものを、だいたい読者は「〜らしい」「〜だって」と読んで記憶する。それが疑問形になっていることに注意を払うのは研究者くらいで、読者はほとんどが断定調にその仮定を受け取る。

その結果、記事と読者の情報受取に齟齬が生まれるが、時として書く側もそのことを知っておきながらわざと印象付けたい「自分の結論」を疑問形にして、書くということをやっているパターンがよく見られる。なぜ断定ではなく疑問形にするかというと、そうは思っていてもウラが取れないからだ。

たとえば、この記事。2ページ目の最初に《こうした趨勢(すうせい)を前に、中国は焦りを強めているのだろう。》とある。
「南シナ海と中国 常識はずれた言動、傍若無人のふるまい…仲裁への横やりを許すな」産経ニュース

だが、キチンと開いて読むとわかるが、この文に続く後ろの流れは、それとまったく逆の事を言っている。「焦りを強めている」のは、明らかに裁判に中国を引っ張り出せない側だ。

だが、キチンと開いて読むとわかるが、この文に続く後ろの流れは、それとまったく逆の事を言っている。「焦りを強めている」のは、明らかに裁判に中国を引っ張り出せない側だ。

産経のサイトはいまだに記事を二分割、三分割して読ませることを得意としているけれど、だいたいページを繰って現れるページの最初の行に「言いたいこと」を持ってきて読者に印象付ける手法を取っている。後ろとつながらなくても、わざわざ前のページに戻って読みなおし、文脈を確認する読者はあまりいないことを見透かしているようだ。

で、これをつらつら読んだ読者は、自分の期待もあって「ああ、中国は焦ってるんだ。ヤッター!」と溜飲を下す。でも、先に書いたようにそこに続く文章を読めば、その最初の一文とはまったく逆の光景が描かれている。つまり、新聞側が強調していること(疑問形にはなっているが)と、現実が違うのだ。

たぶん産経側は、読者に「文脈むちゃくちゃ」と言われたら、「いや断定してませんよ。疑問形ですよ」と言い逃れをするつもりなんだろう。メディアの文脈操作ってそうやって読者が知らないうちに、メディア側にとって都合のよい情報を植え付ける。

そして産経の言い分は、「推測はしたけど、ウソは書いていない」なんでしょう。これってメディアの責任を果たしたとはいえないでしょう。

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