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【全文無料公開・ぶんぶくちゃいな】経済学者許成鋼に聞く「中国経済に希望はあるのか?」(前編)

中国では10月16日から20回目の中国共産党大会が開かれる。5年毎の党大会では新しい指導者層の人事が最大の注目を浴び、特に偶数回は党書記らの最高指導者の入れ替えも行われてきたため、それ以降の中国政治の転換期とみなされてきた。

だが、2018年に国家主席に10年間の任期を定めていた憲法が改正され、その任期が撤廃され、今回の党大会ではその任期撤廃を推し進めた当人の習近平が第3期に入るのは間違いないとされている。

それを前に、中国では習体制のこれまでの10年間についての振り返りがさかんに行われている。だが、ここ10年間で徹底的に異論・意見の発表空間が排除されてしまったメディア、ネット、さらには学術界でも直截的に、また批判を伴う意見は出てこない。2020年からの新型コロナウイルスの感染拡大下では感染防止対策を口実にますます人々の権利や生活の範囲が狭められ、経済は萎縮。しかし、こうした事態への反省や批判も口にできない状態となっている。

その状態に誰もが満足しているわけではない。10月13日には北京市西部、大学やIT企業が雲集する海淀区にある交差点にかかるバイパス「四通橋」に、習近平とその政治に抗議する横断幕が掲げられる事件が起きた。横断幕には「改革」「自由」「尊厳」さらには「投票権」を要求し、さらには習近平を「独裁国賊」と罵り、ストライキを呼びかけるスローガンが書かれていた。横断幕をかけたと見られる人物はさらに橋の上でタイヤを燃やして人々の注意を引いたため、警察が駆けつけ、当事者一人が逮捕されたとされる。

だが、この事件は完全に中国のメディア環境から封殺されている。現場写真や起こった事件に少しでも触れた書き込みを流したSNSのアカウントは即座にアカウントまるごと削除された。やはりアカウント削除に遭った筆者の友人によると、「100万アカウントが削除された」という。

本当にそれほどの数のアカウントが削除されたかどうかは彼も当然知らないはずだ。だが、当局が下した関連情報削除命令は「100万アカウント削除も辞さない」というインパクトをもたらしたと受け取れる。その証拠に、今も中国のメディアでは事件の片鱗も触れられていないのだから。

そんな中国はどこに向かうのか。習近平とその指導部はどこに向かっているのか。

そこで今週と来週の「ぶんぶくちゃいな」は、中国人ジャーナリスト袁莉さんが各分野の関係者にインタビューするVlog「不明白播客」から、9月10日にアップされた米スタンフォード大学の経済学者、許成鋼教授のインタビューを袁さんのご許可を得て前後編でご紹介する。

許教授については以下の内容で袁さんがご紹介しているので割愛するが、案内役の袁さんについて簡単にご紹介しておく。

袁さんは中国出身のジャーナリストで中国国内メディアで国内外の経験を積んだ後、米国の大学でジャーナリズムを専攻した。その後、「ウォールストリート・ジャーナル」や「ニューヨーク・タイムズ」の中国駐在記者を務め、現在は同記者として記事を書きながら、同時に「ニューヨーク・タイムズ中国語版」の編集長を務めている。今年5月にインタビューVlog「不明白播客」(わからないVlog)を開始、ポッドキャストやYouTubeで配信している。

このVlogは今の中国国内で起きていること、そしてそれをどう捉えるべきかを多くの関係者に直接尋ね、事態が起きた背景や当事者たちの視点などさまざまな示唆に富む内容となっている。中国語での聞き取りが出来る人には中国事情を知る手段の一つとしておすすめする。

なお、以下の内容において[]は筆者による補足、そして一般の日本人読者にはすぐにピンと来ないであろう中国の出来事について個別に注釈をつけた。


◎Vlog「不明白播客」:経済学者許成鋼に聞く「中国経済に希望はあるのか?」(前編)

袁莉:みなさん、「不明白播客」にようこそ。案内役の袁莉です。

共産党第20回党大会が目前となりました。政府は中国が今ここ数十年来最大の試練に直面していると主張しています。李克強・総理は今年5月に経済基盤安定を目的とし、全国各地の地方幹部10万人を集めたテレビ電話会議を開きました。8月中旬には深センでも経済大省の主要地方政府責任者との座談会を主催し、そこで中国経済は目下、予想を超える衝撃を受けており、とにかく安定成長に主眼を置き、就業を落ち着かせ、庶民生活を守らなければならないと述べました。

現実に、不動産開発に後押しされた中国の経済成長モデルはすでに継続不能になっており、消費は振るわず、若者の失業率は20%に近づき、民間企業の多くが長期投資を控え、企業家は不安に苛まれ、さらにはほぼ逃げ場のない人口危機に直面しています。同時に、中国は依然として世界第2の経済体でもあり、世界的にもっとも整った製造業サプライチェーンを有しており、世界中の国々の最大貿易パートナーでもあります。科学技術のインベーション能力は過去20年に大きく成長し、厳しい市場競争を生き抜いた企業家たちと苦労に慣れた中国庶民がそれを支えてきました。

これらを背景に、今回は許成鋼教授をお迎えします。許教授はスタンフォード大学中国経済制度研究センターのシニア研究員であり、インペリアル・カレッジ・ロンドンの客員教授でもあります。移行経済学を専門に研究しておられます。今日は許教授に、これまで10年間の習近平執政期間における、中国経済の総体的なパフォーマンスについてお話しいただき、そこから第20回党大会以降の経済政策が向かうと思われる傾向についてお伺いします。

許先生、まず中国経済が過去数十年間になぜこれほど急速な成長を遂げたのかについてお話しいただけますか? 教授はいわゆる中国経済の奇跡について独自の理論を展開しておられますが、その点についてご説明ください。

許成鋼:改革開放[*1]以降の中国経済の急成長について語る時、非常に大事なそのスタート地点について語るのをすっかり忘れていますね。そのスタート地点は、第二次世界大戦後の日本やドイツの急速な成長と同じものです。つまり、その急速成長とはかなりの割合において、「回復」だったという点です。

[*1]改革開放:1978年に提案され、実質的には1979年から始まった「対内改革、対外開放」政策のこと。1949年に中国共産党が政権を握って中華人民共和国が建国して以来、社会主義による建国を推し進めてきた中国において、大きな路線改革となった。具体的には海外からさまざまな思想や言論が輸入され、国内でも活発な議論が交わされ、自由、開放への期待感が高まった。しかし、実質的には政治闘争は収まらず、民主派指導者と期待された胡耀邦が失脚し、1989年に死去したのをきっかけに起きた民主化要求を軍の力で制圧したのが天安門事件である。

中国経済は過去において、大変深刻なダメージを被っていました。1950年以前のことについてはまずここでは触れずにおきます。というのも、文化大革命[*2]の時点ですでに17年分、そして文革後には30年分のダメージの回復を急ぐ必要があったからなんです。

[*2]文化大革命:1966年から1976年にかけて巻き起こった政治運動で、「文革」と略称される。伝統を特権とみなし、権威をすべて否定し、当時の主導者毛沢東に少しでも対立すると見なされる人々が打倒対象にされた。すべてが毛沢東を崇拝する政治イデオロギーによってコントロールされ、経済どころか社会、学術、文化などすべての面で闘争が繰り返され、国力は疲弊した。これを反省する形で1978年に提唱されたのが、前述の「改革開放」政策である。

我われは文革終了までに、大躍進[*3]と文革という2つの災難を経験しました。あの2つは中国経済を極端なまでに叩き潰してしまった。だから、改革開放前夜における中国経済は、実際には戦後の回復期に相当するものでした。そんな回復期は、どんな国においてもその期間中、極端な混乱に見舞われることさえなければ、容易に進むものなんです。だからこそ、変化は急速に起きる。

[*3]大躍進:1957年から1960年代初めに起きた政治運動のことで、中国では隠語的に「3年災害」とも呼ばれる。毛沢東の呼びかけにより、全民労働者とみなして工業と農業の飛躍的な成長を目標とした。この間に共同生活、共同生産、共同報酬などを管轄する人民公社が設立されたり、家にある鉄製品をすべて差し出して精錬することで「鉄鋼生産量を高める」と称したりと、後には浪費、疲弊につながったことが証明されている。大躍進では現実を伴わない豊作報告がなされたり、政治点数稼ぎの虚偽情報が横行。それに加えて天候不順による減作もあり、1958年から1962年には大飢饉で数千万人が死亡するなどの大きな災難が引き起こされた。

わたしは「奇跡」という言い方は好きではありません。わたしは「中国の謎」と呼んでいます。なぜ「謎」なのかというと、共産主義国は北朝鮮を除いてどこも経済改革を経てきましたが、絶対大多数の経済改革が失敗に終わっています。なのに、中国経済は改革期において急速な発展を遂げた。それは「謎」であり、「奇跡」ではありません。なぜ「奇跡」ではないかというと、日本や韓国、台湾なども急成長を続け、その経済力を先進国と呼ばれるまでに引き上げてきたから。中国はまだ、そのレベルには程遠いのです

●中国経済の急速成長は「奇跡」ではない

許成鋼:それでも共産主義国家でありながら、中国の改革は意外な経済の急速成長をもたらした。他の共産主義国と比べると、それは謎なわけです。そして、この謎について、我われは多くの研究を行ってきました。

簡単にまとめると、この謎の裏にあるのは、共産党がいかに「制度内におけるインセンティブ・メカニズム」問題を解決したかという点です。その制度内インセンティブ・メカニズム問題において最も対応が難しかったのが、党政府官僚体制のインセンティブ・メカニズムだったんです。

中国はその党体制内のインセンティブ・メカニズム問題を、地方分権という手段で解決しました。つまり、政治的なイデオロギーや人事においては高度な全体主義を維持しながら、行政や経済資源については地方に分権するという手段を採ったのです。この手法は改革開放期以降に構築されたものではなく、先ほど触れた大躍進や文革の頃に形成されたものでした。先ほど申し上げたように当時は戦争[のような時代]を経て、大きな破壊がもたらされたわけですが、その革命的な出来事においてソ連と違った制度がもたらされたのでした。

その制度によって改革開放期に地方への行政や資源などの分権を許したことで、地方政府や地方の官僚に非常に大きなインセンティブ・メカニズムとなった。そして、インセンティブとして非常に大きな効果をもたらしたのが、ある程度の自主権を地方官僚に与えたことでした。また彼らに対する評価がその経済成長をもとに行われ、さらに彼らが経済成長の自主権を握っていたことで、一部地域では官僚が現地の発展のために策を練り、本来なら非合法だった民間経済をバックアップするようになったのです。

中国が本当の意味で大きく変化するきっかけになったのが、この民間経済の発展でした。その他の共産主義国では民間経済を封じ込んでいた。というのも、それが共産主義国のイデオロギーに反するものであり、その組織や原則、制度と大きく矛盾する存在だからです。中国の経済発展の謎の裏には、地方のインセンティブ・メカニズムで注視されたのが経済だったこと、そして彼らにそれなりの自主権と資源が与えられたことがあったんです。こうして彼らは独自に策を凝らし、民間企業をバックアップしたわけです。

そうすることで民間企業の存在は中国経済において既成事実化され、彼らなしではやっていけなくなってしまったため、[政府は]受身的にその既成事実を立法化して受け入れざるを得なくなった。そして2004年に憲法が改定され、中国は正式に私有財産権を認めた、最初の共産主義国となりました。もちろん、それが中国経済に、ほかの共産主義国と大きく違う発展をもたらしたわけです。

改革開放後の30年間でなぜ急速な経済発展が起きたか。一つは戦後の回復に相当するものだったこと、そして二つ目はそのインセンティブ・メカニズムが他の共産主義国と違い、それが民間経済に大きな発展をもたらしたという2つの理由によるものでした。

●習近平時代に見る「所有権」と「司法」

袁莉:ここ10年についてお話を伺いましょう。2012年に習近平が政権を握った時点の経済状態をいかにお考えですか? 「彼は幸運のカードを引き継いだだけ」と言う人もいます。教授はここ数年、中国が行うべき改革について文章を書いておられますね。当時の中国経済にはいったいどのような課題があったのか、またそれらの課題は今も引き続き存在しているのでしょうか?

許成鋼:明らかだったのは、中国経済は当時、大変無理やりな方法で成長を維持していたことでした。世界金融危機の前期には中国経済の基本的な変化ははっきりと目に見えるほどになっていました。金融危機よりも先に明らかに非常に深刻な問題が起きつつあった。しかし、世界金融危機が起きたことでその衝撃によってそれが覆い隠されてしまった。そしてその陰に隠れて政府は、金融危機に対応するという口実で大規模な借り入れを行いました。

その大規模な借り入れで全面的な公共支出、特にインフラ建設における公共支出を拡大しました。それはつまり、「未来のカネを借り入れて目下の問題を解決する」というものだった。借り入れた大量の資金で大型インフラを建設した場合、その建設による経済効率が高ければ問題はありません。借りた「未来のカネ」をすぐに回収できるからです。ですが現実はそうならなかった。ほとんどの投資は非常に効率の低いものだった。

袁莉:どんどん低くなっていきましたよね。

許成鋼:そのとおり。ですから、金融危機の後、中国は非常に深刻な事態に陥りました。その一つは高い負債比率、そして需要の不足、それも深刻な不足でした。深刻な生産能力過剰にありながら、一方で非常に高い負債比率となった。大規模投資を繰り返したことで、生産能力過剰は増大し、そこに投資が行われてまた能力の過剰が起きる、そんな悪循環が繰り返されました。そうして問題は2020年の時点ですでにはっきりと誰の目にもわかる状態になってしまったんです。

実際にそれらの問題を解決するには、大変根本的な制度に触れなければならなかったんです。それは経済政策では一時的には事態を緩和できても、経済政策だけでは済む問題ではなかった。

制度の問題とは、それまで本当の意味で中国の経済発展を支えてきた民間企業が、ますます困難に直面していたことです。金融危機以降採られた大規模な公共建設で、いわゆる「国進民退」[*4]という現象が起こった。そんな状況下で、どうしたら民間企業が健全に発展できるのか。そこで必要だったのは、彼らに成長のための条件を与え、彼らに対する現実的な制度面での保護でした。それは政策の優遇によって解決できるものではなかった。

[*4]「国進民退」:「国有企業の前進、民間企業の後退」を指す言葉。本文中で述べられているようにさまざまな施策や政策の偏り、さらには意図的な民間企業圧縮により起きている事象。

必要なのは、公平な法律でした。中国に足りないのは、民間企業に対する優遇策ではありません。というのも、民間企業優遇は中国にとってできないことだからです。中国に必要なのは公平な法律、私有財産を保護し、契約がきちんと執行されることを保証することでした。

2004年に行われた憲法の改定では私有財産を保護するとは書き込まれましたが、世界中のどの国でも憲法に書き込まれているからといって、それだけで効果を発揮するわけではありません。というのも共産主義国を除き、世界中のすべての国の憲法には私有財産の保護が謳われています。しかし、私有財産が実際に保護されているのは先進国のみです。ほぼすべての発展途上国が発展できないのは、結局のところ彼らには私有財産を保護する能力がないからなんです。

なぜ彼らは私有財産を保護することができないのか、それは彼らの制度に問題があるからです。ですから、中国は改革を行い、一方で憲法上に書き込まれた私有財産の保護の一言に加えて、まとまった制度によって憲法上の文句の執行を実際に保証する必要があるのです。

そのために大事なのは、まず司法が独立していること。なぜ司法の独立が大事かというと、司法が独立して初めて公平性が守られる可能性があるからです。司法が独立していなければ、それが公平なわけがありません。司法が独立せず、司法が党の管理を受け、すべての国有企業もまた党が管理し、すべての土地を党がコントロールする国に属している状態では、司法はその判断において偏向を持つことになります。その偏向とは、まず自分の機関を守り、自分の資産を守ることを考え、その後でやっと他者の資産について考えるわけです。聞こえよく言えば、「[他者の資産には]あまり関心がない」、悪い言い方をすれば、「[司法が]国有機関や党の側に立って私有財産を奪い取る」ということになりますね。

契約の執行についてもそうです。契約というのはもともと企業と企業、企業とクライアントの間でのこと。但し、その前提は司法が独立し、公平であることです。それによって、交わされた契約が、契約上に定められた規定に従って執行されることが保証されるわけです。しかし、中国では司法が独立していないため、契約の執行には常に問題がつきまといます。契約の執行中に問題が起きる場合は、実際には契約を交わす時点ですでに問題が起きていることがほとんどで、そのトラブルが起きた時点で契約書を持ち出しても解決できない。

こうしたさまざまな場面が民間企業にとって不利であり、それが中国経済の発展を阻害する。これらは制度上のほんの一部に過ぎません。

さらに大きな制度面の問題は、中国の土地がすべて国有であること、ほぼすべての銀行が国有であることです。土地も銀行もほぼすべてが国有という制度下では、一連の弊害が起こります。国有銀行と国有の土地について今回はこれ以上述べませんが、それもやはり制度上の問題となっています。

●政府はなぜ不動産業界に打撃を与えたのか

袁莉:土地の問題が出てきたところで、不動産業界についてもお伺いします。不動産業界はここ数年問題を抱えていますが、それが中国の経済成長にどんなインパクトを与えているのか、そしてなぜこうした問題が出現したのか、そこには解決の方法があるのか。土地問題、資金問題、さらにはいわゆる「国進民退」が関わっていますよね。不動産業界は以前は民間企業が主導する非常に活発な業界だったはずですが、現在大型不動産開発業者はほぼどれも国有で、民間の大型不動産開発業者は非常に深刻な債務問題に直面している。この問題の深刻さについてお話しいただけますか?

許成鋼:中国の不動産業界では1998年から実質的な市場化が始められました。当時は国内外に関わらず、経済学者の世界では一般的に中国の不動産業界に対して誤解を抱いていました。その誤解とは、土地が国有だという条件下でこの市場がいかなる性質を持つのか、という点です。不動産の市場化が始まった98年は、実は重要な基本政策が変化した時期でもありました。その変化というのは、中央政府が税務政策の大きな権限をその手中に取り戻したことです。

それまでの中国は、地方政府が税収を握り、その一部を地方政府から中央政府に納める形でした。それを、地方政府の手に渡るのは一部だけ、税収のほとんどを中央政府が握ることになった。

その改革案は実は世界銀行が設計したものでした。世界銀行はその設計時に、中国の土地制度に対する誤解を抱いていた。表面上は中国が国有土地制度であることを理解していましたが、実際にそれがどれほど深刻な問題なのかを理解していなかった。

世界銀行が作った改革プランは非常に薄っぺらいものでした。基本的には米国の連邦税収と地方税収との関係を真似て作られていたのです。つまり、中国の中央税を米国の連邦税に、そして地方税は米国の州税と見なし、大部分を中央政府が、そして小さな部分を地方が手に入れる、そういう設計になっていました。これは完全に中国を理解しないままに作られたものだったんです。

というのも、先ほども述べたように、中国の制度は大躍進や文革の頃に改革されて地方政府に分権した全体主義制度をとっていました。基本的な制度は全体主義で、党がすべてを握り、党がすべての人事を握り、政治やイデオロギーを握っていた。しかし、資源と行政権は地方に分権され、中国全土で行政は地方が握っていたわけです。そこで、アメリカを真似たのはまったくの間違いだった。

アメリカでは何かを生み出すことはほとんどすべて民間企業が担っています。連邦政府であろうと、地方政府であろうと、アメリカでは地方政府が経済に直接の責任を負う必要はありません。彼らはただ地方に公共サービスを提供しているだけです。でも、中国はまったく違う。

当時、中国の絶対大多数の資源は地方政府が握っていた。その理由は、地方政府がそれぞれの地方経済の責任を負っていたからです。中国では公共サービスと経済の間にはっきりとした境界線がありません。そこに中国経済に対する大きな誤解がありました。

中国ではほとんどの行政は地方政府がやり、その行政には絶対大多数のインフラ建設も含まれていたわけですが、その改革案によって地方政府からお金を取り上げて中央政府に渡してしまったことで、中国全土のインフラ建設が進まなくなってしまったのです。そのため、当時採られた手法が土地市場の開放でした。そして、その開放の後ろ盾になったのが土地の国有制度です。

つまり、その基本的な設計理念は、基本的に税収のほとんどを中央政府が持ち去り、地方が自分たちの財政収入の問題を解決するために、自分たちが手にした土地を売ったり、貸したりすればいいということになった。ここに不動産問題の根源があるんです。

●「土地財政」と「地方財政危機」の関係

許成鋼:我われが不動産市場について議論する時、我われの目に映る土地供給者は排他的独占的な立場にあります。この点は世界中のいかなる国とも違います。

排他的独占というのは、経済を学んだ人なら理解しているはずですが、排他的独占における価格設定はまず最も高い利益が追求される。つまり、供給を減らすことによって価格を釣り上げ、最大の利益を得ることが出来るわけです。その結果、不動産市場は1998年に開放されてから、これまでずっとこの手法によって操作されてきました。

土地供給を制御することで土地の供給価格を釣り上げ、政府は財政収入を得てきた。だから、これは「土地財政」と呼ばれます。「土地財政」というのは結局のところ、土地の国有制度を指していて、土地財政政策を意味するものではありません。国有制度がなければ、政策はその根っこを失うわけですからそんな政策は存在しないはずなんです。

これが長年続けられ、土地を政府の基本財政収入とする手法によって不動産価格が釣り上げられるという結果につながったわけです。その結果、中国では人々の収入と不動産価格の関係で言えば、世界的に最も不動産が高い国となりました。

不動産価格が最も高い国というのはつまり、大量の資産が土地に投じられるということです。土地に投じられるということはつまり、政府の手中に落ちているわけです。この模式が庶民と政府の資産分配、民間企業と政府の資産分配…になっているわけです。つまり、政府が握る莫大なお金は土地から来ており、土地から来たお金というのはつまり庶民や民間企業が投じたものなのです。

そうやって、土地財政を基本目的として推進されてきた不動産市場がここまで発展したことにより、中国はすでに長期に渡り、世界的に見て最も高い不動産市場という経済システムを維持してきた。でもここまで高くなると、それを続けられるわけがありません。つまり、目下わたしたちが見ている大問題には、先ほどお話したもろもろが非常に基本的で、また非常に大きな問題として横たわっているんです。

そしてそこで地方政府は負債という、土地財政の巨大な落とし穴、あるいは時限爆弾を抱え込んでしまった。それが世界金融危機のときに頭をもたげてきた。そこで政府は金融危機を口実に4兆元の経済刺激策を提案した。実際に執行された額は10兆元に上りました。当時4兆元を提案した時、中央政府ははっきりと、中央政府が出すのは1兆元、地方政府が独自に3兆元を捻出するようにと言い渡した。

地方政府はそれをいかに工面したか? そこが問題でした。地方政府は土地を特殊な手法を使って銀行に抵当として差し出し、銀行から担保貸付を受けたのです。

その特殊手法というのが「地方融資プラットホーム」と言われるもので、それはある種特殊な国有企業であり、しかしこの国有企業は結局のところ幽霊会社でした。地方政府はその幽霊会社に一部土地を分け与え、現金を少量投じたのです。そして、土地を手に入れた国有企業の賃借対照表をもとに銀行からお金を借り入れた。

なぜこのお話をしたかというと、それ以降、地方における「融資プラットホーム」が大発展を遂げたからです。統計によってこの「地方融資プラットホーム」が土地を抵当に入れて借りたお金がすでに50兆元に達したことまではわかっています。ただ、この数字はずっと前のもので、その後その数字が更新されなくなり、我われはデータを得ることができなくなってしまいました。

そのため、今、地方融資プラットホームと地方の国有企業が土地を抵当にいったいどれほどの借金を抱えているのかはわかりません。但し、もうかなり前に50兆元に達していたのは間違いありません。

この話を強調する理由は、目下ほぼすべての地方政府が非常に高い財政赤字に陥っていて、非常に高い負債比率を抱えているからなんです。

●指導者たちは基本を理解していない

許成鋼:一般的に人々が金融リスクや財政リスクについて語る際、負債比率を見ます。でも、負債比率は多くの指標のうちの一つでしかなく、負債比率だけではなく、さらにはその負債はどのようなものなのかを見なければなりません。たとえば、長期債権によって借り入れたお金の場合は、長期債権の返済期間が非常に長いこと、そして返済が固定されていることから、それが期限を迎えていなければ、それほどリスクを心配する必要はありません。しかし、短期債権が期限を迎えるときにきちんと注意を払う必要があります。

そのうち、抵当貸付は最悪の借り入れ手法です。というのも、抵当貸付とは、自分の資産を担保にして銀行の賃借対照表とするものです。もし市況が悪化すると当然抵当資産の価値は下がりますし、市場全体が悪い方に傾けば、抵当が値下がりして銀行も問題を抱えてしまうからです。そうなると銀行は債務超過や破産を避けようと、自分を守るために借り手に返済を急ぐよう求めます。それでも返済がなされなければ、借り手が破産するか、銀行が破産するかとなる。

この点が重要です。中国における政府の大量借り入れは抵当貸付によるものであり、その原因は土地が国有だから、彼らはそれができると考えているからです。そのことが逆に、金融システム、銀行システム全体に非常に大きなプレッシャーになっているのです。

袁莉:もしかしたら幼稚な質問かもしれませんが、不動産とその関連業界は中国のGDPのほぼ3分の1を占めていますよね? なぜ、ここ数年、政府は不動産価格の引き下げを狙ったのでしょうか? なぜあれほどまでに不動産業界をくじこうとしたんですか? その結果、あっというまに多くの不動産開発業者が破産に追い込まれました。いったいどういう考えがあってのことだったんでしょうか、その点がよくわたしにはわからないのです。

許成鋼:それはですね、今の最高指導者たちが経済や金融に対する基本的な知識がないまま、多くのことをやっているからなんです。彼らにはそれとは別の独自のイデオロギーがあるんです。

いわゆる「コロナゼロ化」政策もそうです。彼らは伝染病について理解しておらず、オミクロンがもたらす感染事情を理解しておらず、mRNAワクチンというものを知らず、つまり一連の基礎的な理解ができていないんです。そして、彼らはその政策を長期間続けてきたために自分たちの正しさを主張する必要があり、それを政治問題、政治の方向性の問題にすり替えた。感染症や感染防止の視点からすると完全に間違ったやり方でも、それは彼らの政治的視点からはそうする必要があるわけです。

不動産については、ずっと以前に「不動産は住むためのものであり、投機のためではない」という言い方がなされ、不動産価格を抑制すれば庶民の人気や好感を勝ち取ることができ、称賛され、支持を受けるだろうと思ったわけです。だから、彼らはそれを民意を勝ち取るための手段にしてしまった。しかし、不動産はその他経済のあらゆる側面と結びついていて、それを叩けばすべてが崩れるというロジックを理解できていなかったんです。

袁莉:だから、わたしが彼らのロジックを理解できなかったのは当然だと? つまり彼らのそれは一般的に理解できるロジックではなかったということですね。

許成鋼:彼らのそれは経済のロジックではなく、金融や財政のロジックでもなく、政治のロジックなんですよ。

●中国はなぜ「需要不足」に陥ったのか

袁莉:もう一つ、投資の問題について伺いたいのですが、需要の不足というのは消費不足だとおっしゃいましたよね。なぜ、個人消費が中国のGDPに占める割合は増大しないのでしょう? 昨年、中国では消費はGDPの38.5%でしたが、米国は約70%、EUは50%、日本は56%です。消費を押し上げたければ、なにをすべきなんでしょうか? みんながお金を使おうとしないのはお金がないから? それとも使いたくないからなのか?

許成鋼:収入が低いからですよ。それが中国の最大の問題です。そして、その収入の低さをもたらしているのが、先ほどお話した所有制度の構造によるものです。所有制度の構造によって、政府の国有企業があまりにも大きな部分を握っている。人々はよく経済を餅の配分に例えますよね、経済とは餅を配分することだと。

改革開放期の最初の30年あまりは成長スピードが速かったため、庶民に配分された収入比率がとても低くても、その「餅」が膨らんでいたのでみんなが手にする収入は増え続けました。人々はそれを喜んでいた。でも、実際は人々の収入がGDPに占める割合は1995年から数年前に至るまでずっと減少してきたんです。この数年やっと減少が止まりましたが、上昇したわけではありません。上昇したと見えるのはそれは調整による変動でしかなく、割合はずっと下がり続けています。

それほど経済学の知識を持たない人にとってもこの点は、容易に理解できるはずです。もっと簡単に理解するには、公式に明らかにされている経済成長率と財政収入の成長率を見ればいい。毎年の財政収入の成長率はその年の経済成長率を上回っています。毎年そうなっていることからして、いかにそれが配分されているかは明らかでしょう。毎年政府に多めに渡るよう、配分が繰り返されてきたんです。

さらに、政府が公開している財政収入というのは、実際には財政収入のほんの一部でしかありません。その財政収入とは先にお話した正規の税金収入であり、土地収入という大事な部分はそこには含まれていません。つまり、我われの実際はそれよりももっとひどい状況なわけです。そうやって、政府はたくさん餅をぶん取り、庶民には少なく配分して来た。その基本的分配方法がそうであるとすると、いかなる政策を採ろうとも消費できる部分は少なくなってしまうわけです。消費が不足しているのは収入の不足からくるものです。

袁莉:李克強首相が以前、中国では約6億人が1カ月の可処分所得1000元で暮らしていると言った時、多くの人たちが驚きの声を上げた。でも、現実はそのとおりなんですよね。

許成鋼:そうです。李が上げた数字は、北京師範大学の研究センターが真剣に行った調査結果から得られたものでした。長年の調査による、非常に信頼できるデータです。とは言え、それを取り上げた時の李克強のもの言いはちょっとわざとらしかった。というのも、彼がどう言ったかはきちんと見極めておく必要があります。わたしたちなら慎重にそのデータを報告します。

彼は、「月当たりの収入が1000元に達した、あるいは未満の人が6億人いる」と言ったのです。ならば、どれだけの人の収入が1000元に達していて、どれだけの人が達していないのか?

実際には6億人のうち月収が1000元に達しているのはわずか1億人で、5000万人は1000元よりも低い収入という結果でした。さらにそこには「収入が1000元よりずっと低い」人も含まれています。それは一般的にいう「1000元に達していない」というレベルですらなく、かなりの数の人たちが現実には月平均500元以下の収入で暮らしているのです。そこから見ても、中国の絶対的な貧困問題はものすごく深刻なことがわかります

これほどまで大きな絶対的貧困人口を抱えていれば、内需が不足するのは当然のことです。

●「財産権」が持つ本当の意味とは

袁莉:あなたは移行経済学の研究者のお立場から、「中国の改革とは政府と市場の関係のロジックを変えてしまった。市場経済の前提は憲政、民主だが、過去10年間の中国政府はますます国有企業の強大化を強調するようになり、『憲政』『民主』という言葉はセンシティブワードになってしまった」と書かれていますね。今の政府と市場の関係をいかに見ておられますか?

許成鋼:政治学的な方法で制度を区分するならば、その一つが民主憲政制度です。すべての先進国は民主憲政制度を採っている。もう一つの制度は権威主義です。そのさらに極端なものに全体主義制度があります。中国は全体主義制度の国です。かつて改革開放以降の中国ではその全体主義制度が緩んだことがありました。その制度が権威主義制度へと変わりかけました。なので、中国は一時的に権威主義制度を経たことがあるともいえますね。

権威主義制度と全体主義制度にはどんな違いがあるのかというと、権威主義制度は、党のコントロール下という制限付きながら多様性が許されていることです。制限付きの多様性には経済の多様性も含まれ、それによって本来の民間企業が存在することができるわけです。本来の民間企業というのはつまり、党がそれをコントロールできないという意味です。党がコントロールしてしまえば、それは民間企業とは言えません。党のコントロールではなく、本来の意味の自主的なもので、さらに本来の自主的な民間組織、つまりNGOがあり、民間が運営する独自のメディアがあり、人々が自分の意見を発表することができます。

権威主義というからにはそこには制約もあります。本来の意味での言論の自由が保証されているわけではありませんが、党にコントロールされていない主張も存在することができます。またそれに基づいた組織や学校、教育の理念なども存在できます。それが権威主義です。

しかし、ここ10年来、それらは完全に追い出されてしまった。かつて存在した、そして大変な思いをして発展してきた、ささやかながらの、制限付きの多様性はすべて潰されてしまいました。そして、毛沢東が過去何度も語った、「党政軍民学、東西南北中、党是領導一切的」(党組織、政府、軍隊、民衆、学生において、そして東西南北において、党がすべてを指導する)が繰り返されている。

ここで言われている「東西南北」とは方向ではありません。これは太平天国の時代に東西南北にそれぞれいた王のことです。つまり、王たちが管轄していた土地のことを指しているのです。つまり、毛がそこで言ったのは、党が各地のすべての官僚、すべての分野、すべてのものを管理するということだったのです。

そうやって党がなんでもかんでもすべてを管理するということになれば、それは全体主義です。その方向性は民主憲政と逆の、まったく逆の方向に向かっているわけです。なので、もともとは民主憲政によって中国の改革を推し進めようとしていたところに、それが起きた。もしそれを「改革」と呼ぶならば、「反改革」と呼ぶべきでしょうね。

袁莉:まさか、あなたが中国を全体主義だと定義しているとは思っていませんでした。というのも、わたしたちが記事を書くときに使っているのはまだ「権威体制」だからです。あなたの定義に基づけば、中国のアリババやテンセントといった比較的大きな会社は…さすがに完全に政府にコントロールされているとは言えない、と思うのですが、いかがでしょう?

許成鋼:「党がすべてを指導する」というのは戯言ではありません。党は彼らをコントロールしているんです。企業家であろうが、その企業であろうが、党の指導を認め、それを受け入れなければならないんです。そして、どんなときでも、またどんな面における党の指導を全身全霊で受け入れなければならないのです。もし受け入れないとなると…その先を言うのは止めておきましょう(笑)。

経済学における財産権の解釈には、非常に重要な道理があります。それは財産権というのは、最終的なコントロール権のことなのです。財産権についてかなりの人達が誤解していて、財産権を一連の権利のことだと思われている。だから、「権利は握ったままでしょ」とまるめこまれてしまう。でも、それは間違いです。

財産権が持つ本当の意味とは、その財産の最終的コントロール権は誰にあるのか、なのです。最終コントロール権以外のすべての権利は、さまざまな方法で第三者に代理、つまり所有者の代わりに行使させることができる。しかし、最終コントロール権をあなたが握っている限り、その間の権利をその他の人間が行使したとしても、それはあなたの機械、あなたの奴隷という立場でしかありません。つまり、財産権とは最終コントロール権を誰が握っているか、それによって決定されるのです。

オリジナル音源:「不明白播客 - 20大専題|EP-016 許成鋼:中国経済還有希望嗎?」より

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