梁啓智:あれは突撃じゃない。彼らは死ぬ気だった。

7月1日に起こった香港立法会へのデモ隊の突撃に驚き、疑問を抱いた人は少なくなかったと思う。だが、日本のメディアを見回しても、その疑問にきちんとした答えを差し出す報道はまだない。

香港でもあの突撃は衝撃的な事件としてとらえられている。だが、その「衝撃」は日本人が目にして疑問を抱いたその行為だけではなく、その動機や行動を支えた考え方、さらには膨れ上がった同行者たちの数、そしてその撤退に至るまでの一連の行動が引き起こしている。

その背景は複雑で一言で伝えるのは難しい。わたしもこの出来事を今週末の「ぶんぶくちゃいなノオト」にまとめるつもりにしているが、まずは今、香港の、そして中国国内で静かに香港情勢を見守っている人たちに広く拡散されているコラムを、作者の許しを得た上で日本語に翻訳してご紹介する。

その前に一つ、7月1日に起こったことで日本メディアがあまり触れていない事前知識を記しておく。

7月1日はもともと香港の主権返還記念日であり、今年は数えて22回目にあたった。さらに2003年のこの日、当時政府内で進められていた保安条例の追加(「基本法23条」と呼ばれる)に対して、市民50万人が反対の声を挙げて街を練り歩いて以来、毎年この日は香港政府に対する抗議デモが恒例となっている。

この7月1日もいつものようにデモ行進が予定され、集合場所のコーズウェイベイ・ビクトリア公園をアドミラルティにある政府庁舎に向けて午後2時半に出発することになっていた。しかし、それよりも早く1時半に政府庁舎そばの立法会ビルに若者グループが突撃を始めたのである。

騒然となった現場からの連絡と警察の指示を受けて、ビクトリア公園からのデモ主催者は、そのルートをアドミラルティ地区をそのまま通り過ぎた先にあるセントラル地区へと変更し、予定通り出発し、行進した。

つまり、今回突然起こった立法会ビル突入事件は、予定されていた恒例のデモとはまったく別のグループが仕掛けたものだった。日本のメディアはこの点をあいまいなままで報道し、まるで55万人参加のデモが突然暴力事件になったかのようなイメージを植え付けているが、ビクトリア公園から出発したデモ隊はいつものようにシュプレヒコールを叫びながら、平和的にセントラルに到着した後解散している。

ただ、デモ行進がアドミラルティを通り過ぎる時、立法会ビル突撃グループが沿道から声をかけ、そちらに流れ込んだ人もいた。また、セントラルで解散後に取って返し、立法会ビル前のグループに参加した人たちもいたようだ。

だが、デモ行進の参加者は大会発表で55万人。立法会ビルに突入した人はどう見ても数百人だった(ビル自体がそこまで大きくないので千人を超える人がいたとは考えられない)。

つまり、突撃グループと平和的デモ行進をした人たちはまったく別のグループであったことをまず念頭に置いて、以下読み進めていただきたい。

なお、文中では日本人読者にとってわかりにくいと思われる一部単語を[ ]で解説した。

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梁啓智:あれは突撃じゃない。彼らは死ぬ気だった。

7月1日、香港の立法会で若者のグループが突撃を図り、鉄パイプ、ハンマー、鉄製バスケットで出来た台車を外壁のガラスに叩きつけ、ビル外のフェンスを破壊した。最後に、立法会の議場に突入し、ビル内のあちこちの壁にスプレーで殴り書きをし、最後は真夜中の0時前に全員が自らの意思で撤退した。映像で見ると、彼らの行為は非常に暴力的であり、多くの批判を引き起こした。

突撃が始まったとき、彼らの行為にぼくは非常に困惑した。目的はなんなのか? 立法会に突入しても、まずは今日の立法会ではなんの会議も予定されておらず、突入したとしても実質的な影響はなにも引き起こせない。次に、当時すでに中には何重にも隊列を組んだ警察が待ち構えており、どうみても彼らが突入できる可能性はなかった。それは明らかに、全体像などなにも持っておらず、さらには作戦すらもない行動だと言ってよかった。

ぼくの周囲の友人たちも同じように困惑していた。この時、ネットに二つの意見が出現した。一つは、彼らはアホじゃないか、突入するにしてもこのタイミングを選ぶのは、明らかにムダに政府が批判する暴徒になりにいくようなもので、今回の抗議活動が持っている前向きなイメージを激しく阻害する、というもの。もう一つは、彼らはスパイだ、親中派陣営の意図を受けたヤクザ者で、今回の抗議活動を破壊するためだ、というもの。

しかし、すぐに、現場から三つ目の声が伝わってきた。

突撃者がケガをしたり、刑事罰に問われるのを心配した民主派の議員が次々に突撃現場に姿を現し、突撃者と警察の真ん中に立ち、自分の身体で突撃を遮ろうとした。

だが、ほかの抗議者によって議員は引きずり出され、突入は続けられた。その後再び議員が戻ってきて壁を作って遮ろうとした。そして、また引きずり出された。

その押したり引いたりの場面で、こんなやりとりが漏れてきたのだ。

毛孟静議員「飛び込んだら、これは暴動だとみなされ、10年の実刑判決を食らうことになるわ! 中ではもう銃を手にあなたたちを待ち構えているのよ!」
返答者「逮捕の心の準備は出来てる。ぼくらを引き渡せばいい!」
議員たちが台車を遮り、突入しようとするのを抑えつけていた時、ある若者が言った。「突入させてくれよ! ぼくらはもう逮捕の準備は出来ている! ぼくらをどれだけ待たせれば済むんだ? ほかにどんな方法がある?」

この時、この「まったく無茶苦茶」な突撃行動の「目的」が突然クリアになった。彼らが突入後のことを考えていなかった? いや、彼らはとっくに考えていた。なのに、なぜこんな「バカなこと」を? すると現場にいたソーシャルワーカーがこう言った。

やつらはスパイなんかじゃない、決死隊なんだ。十数人もの連中が、すでに自分の生命を犠牲にする心づもりになっている。ぼくの友人によると、前夜、立法会ビルの軒先下の公共空間で夜を明かした時[6月からこうやって政府庁舎付近の広場で若者たちが常時露営をしている]、若者たちのグループがそこで会議をしているのが聞こえたそうだ。9人が決死隊に手を挙げていた。彼らは自殺するつもりだったんだ、ただ別のやり方でね。

これには背景を説明する必要があるだろう。この運動が始まって以来、すでに香港では自殺者が3人出ている。それぞれの遺書にはこの抗議活動への支持を表明し、要求が書かれていた。6月15日に最初の一人が、6月29日に二人目が、そして三人目は6月30日に…これは香港史上初めての、連続した「死の訴え」となっている。

今回の抗議活動の背景を理解していない人は、この活動が外国勢力のお金を受け取っただの、学生が煽動されているだのといった話になりやすい。だが、こうした物言いはまず、この活動に参加した人、特に死者に対する冒涜だ。反省しない政府がどれほど腐りきっているかということこそ、これほど多くの人たちを「煽動」し、抵抗を続けさせているのである。

彼らはさまざまな方法をすでに試した、温和だったり、激烈だったりの方法を。選挙に票を投じてみた。すると、彼らの期待を背負った人物は今後の参選を禁じられてしまった。オキュパイ活動[雨傘運動による路上占拠]は79日間も続き、大きな波を引き起こしたが、最後は排除で終わった。平和な抗議デモには100万人が出てきた。それでも足りないようだったから200万人が出てきた。なのに政府は無視を貫いている。

市民は改訂案の撤回を要求したが、政府は一時延期を決めただけで、その後一時延期とは撤回のことだと言い逃れをした。市民が平和的デモ参加者への警察による攻撃を調査するよう求めれば、政府は逆に警察を表彰した(6月12日の鎮圧の対象となった現場は非常に広い。そのうち一部地区では暴力をふるった抗議者もいたものの、その他ほとんどの抗議活動は大変平和的で、さらには警察が認可した平和集会に参加しようとしていた数百人が、警告もなしに催涙弾の攻撃を受け、あやうく将棋倒しの惨劇が起こるところだった)。

そんなときに出現したのが「死の訴え」だった。

もともと立法会ビル突撃行為を理解できずにいたぼくは、彼らの行為を「自殺型攻撃なのだ」とみなすと、あっという間に理解できた。自殺する人は見返りを求めない。彼らを感情的だと言うことはできても、だからといって彼らを笑うことはできない。まずは、一人の人間がいかに深く絶望し、この一歩を踏み出したのか、を理解する必要がある。「ほかにどんな方法がある?」という言葉が、ずっと脳裏にこだまし続けた。

突撃はずっと夜まで続き、おおよそ9時頃になって、それまで現場を守っていた警察が全員、突然姿を消した。ビル外にいた突撃者たちはそのすきにビル内に突入した。この時、みなが不思議に思っていた、なぜ警察は撤退したのだろうと。これは相手の思うつぼなのでは? しばらくそこにいるべきかどうか、現場では議論が交わされた。ある人はさっさと行動を起こし、独裁統治を代表する設備だと彼らの目に映るものを破壊し、壁に訴えを書き付けた。

しかし、ここで注意すべきことがある。それと同じ頃、ビル内の図書資料館と外国使節からの贈品の展示室はすぐに突入者たちによって封鎖され、「歴史文物は破壊してはならない」という文字が貼り付けられた。どこの世に、こんな紀律ある「暴徒」がいるだろう?

実のところ、彼らは破壊行為に及びはしたものの、何を破壊すべきか、何を守るべきかをはっきりと意識していた。この時ビル内にはすでに彼ら以外の人たちはいなかったが、彼らが攻撃したのは人ではなく、制度だった。彼らからすれば、本当の意味で立法会イメージを破壊したのは、俸禄をムダにもらっている親中派議員であり、歪んだ選挙制度がもたらした体制の暴力であった。彼らはただ、隠れたその腐った制度の屍を、この目にするのも不快な真相を、取り出して人々の眼の前に晒しただけに過ぎなかった。

最後に、現場で1本の声明が読み上げられ、そして撤収した。以下は彼らの声明である。

香港市民の皆さん、

我われは民間の抗議者です。やむを得ないことになりました。我われは自分の身体で暴政に対抗する道を歩みたくはなかったし、香港特別行政区政府立法会の占拠を、話し合いの切り札にするつもりはありませんでした。だが、口を開けばウソばかり、へ理屈ばかりの政府は、香港市民が街をどれほど練り歩き、訴えを叫んでも、それに応える素振りをみせなかった。我われにできるのは、正義、良知、そして香港と香港人への尽くせぬ愛により、横暴な政府に抵抗することだけです。

香港特区政府の設立から今年までの22年来、政治、経済、民生のどれもがますます下向きになっています。現在の林鄭月娥・行政長官が就任して以来、その状況はさらに厳しいものとなっており、それに加えて民間の100万を超える声を無視し、「送中悪法」[「逃亡犯条例」改訂案のこと]を推し進めました。6月以降、市民は次々に、それぞれの力を尽くして、ときに平和的に、ときに理性的に、ときに勇敢に、そしてときにはケガをして血を流しながらも、香港を愛する心で政府に改訂案の撤回を求めた。しかし、政府はそれを見て見ぬふりして、世論に沿おうとせず、さらに香港の大衆のことを一顧だにしないばかりか、民衆を敵とみなしたのです。

現在の特区政府は香港人のために存在しておらず、その政府に香港人の声を聞かせるために我われ市民はさまざまな占拠を、非協力行動を、そして今日の立法会占拠行動を採ってきました。社会では我われ占拠者に批判もあるでしょう。ですが、その根本にある原因はなんなのか? 社会に亀裂が入ったのはどうしてなのか? 民衆の不満が日毎募るばかりなのはなぜなのか? 香港がなんの罪を負っているとでも? 香港人はなぜここまで追い詰められなければならないのか? 我われ香港人は武器も持たず、暴力にも訴えず、正義を心に、恐れず、勇敢に正しい道を歩むしかないのです。香港政府が時期を逸することなく振り返り、正しい道に戻ってきてくれることを願わずにはいられません。

我われ占拠者は、政府に対して以下の5つの訴えを聞き届けるよう要求します。

一つ、「逃亡犯条例」改訂案を徹底的に撤回すること。
二つ、「暴動」の定義を撤回すること。
三つ、現時点でのすべての「反送中」[「逃亡犯条例」改訂案]反対者に対する容疑を撤回すること。
四つ、徹底的に警察の権力乱用状況を追及すること
五つ、行政命令によって立法会を解散し、行政長官と立法会議員を本当の意味の普通選挙で選出すること。

「反送中運動」は現在までに、3人の若い命が殉じている。これに不安と怒りを抑えられないが、しかし善良な思いから、香港で民主のため、自由のため、正義のためにさらなる生命が失われることが再びないよう願っています。社会のみなさん、一致団結して、悪法に抵抗し、暴政に抵抗し、ともに香港を守りましょう。

しかし、話はここでは終わらなかった。前述したように、これは突入ではなく、自殺行為だった。あの4人の突撃者はビル内にいた突入者たちとビルを離れることをよしとせず、議場に居残ろうとした。噂によれば、彼らの中には遺書を準備していた者もいたらしい。

この時、深夜12時まであと数分というときに警察が新たな陣営を整えた。一時は立法会ビル軒先下まで撤退していた突入者たちは再び立法会ビル内に戻り、力を合わせて頑固に最後まで残っていた4人を外へと担ぎ出した。「一人も欠けてはならない」と言いながら。以下はメディアの記者が現場から伝えた生放送でのやりとりだ。

記者「なぜ[2階にある議場に]上がってきたの?」
少女「テレグラム[今回の一連のデモにおいて情報交換に利用されているSNS]で4人の義士が居残っていることを知ったから。全員で一緒に上がって、彼らと一緒に出ていこうとしたの…(声を詰まらせ)彼らが出ていかないならわたしたちも出ていかない! 彼らを無理矢理でも一緒に出ていかせるつもりだったの!」
記者「(声を詰まらせ)もう、最終時限の12時までほんの数分だったのに、ビル内に入ったらもう出ていけないかもとは思わなかった?」
少女「(声を詰まらせ)怖かった! でも、明日あの4人にもう会えなくなるかもというほうがもっと怖かったの…だからみんなで一緒に入って、一緒に出ていこうとしてるのよ!」
記者「(声を詰まらせ)下では誰かが指揮を取ってるの、それとも自主的に行動したの?」
少女「最初はハンドマイクで声がかかってた。それから、『だめだ、決死隊の決定を尊重しよう』って言い出したの…そうしたら皆が、一緒に行って一緒に出ようって言い始めて。これはみんなで決めたことなの」

この現場からの生中継を見ながら、ぼくは生命の美しさと、人間性の輝きを感じた。

未明の12時ごろ、ちょうど彼らが外に出てきたところに、催涙弾が四方八方から飛んできて、彼らは一目散に撤退し始めた。こんなふうに、五四運動のときの高官公邸焼き討ちに比べたらずっと温和なその行動は、死亡者やけが人を出さずに収束したのだ。

ぼくは自殺を奨励するつもりはないし、犠牲をロマンチックに語ることはしたくない。だから、今回の突撃を支持はしない。だが、ここで呼びかけておきたいと思う。この突撃を非難する人はその前に自分自身に問うてほしい。自殺しようとしている人を非難できるのか? さらに問うてみてほしい。何がその人をそこに至らせたのか? またその絶望を阻止することが出来たのに何もしなかったのは誰なのか? もし非難するのであれば、まずはそうした絶望を作り出した人の責任を問うていただきたいものである。

(写真はすべてオンラインより)

梁啓智:1978年生まれ。香港中文大学講師、時事コラムニスト。原文は「他們不是在衝擊。他們在自殺。

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