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闘病生活と未来のはなし

2023年最後の月は、持病の発作と共に始まった。
群発頭痛という、比較的珍しい、若年女性にはもっと珍しい病気を高校生で発症してからというもの、私の人生はこの風来坊にずいぶんと悩まされた人生だ。

ここまで付き合いが長いと、「あ~また来たか」という諦念と焦燥感を淡々と受け入れることが出来るようになるが、しんどいのに変わりはない。早朝と夕方に規則正しくやってくる激痛、意識朦朧としながら痛みと闘う3時間、飲みすぎた薬の副作用。身体の不調は精神の不調につながる。日光浴と人との触れ合いが生きるために必須だということを、わかっているのに改めて思い知る。

高校生のころの私の夢は医者だった。
残念ながら医者にはなれなかったけど、医療系の学部に進学した。

医学を学ぶことは本当に楽しかった。楽しかったので大学生活は悔いのないくらい勉強した。そのうえで、私は医療職を選ばなかった。

4年生の夏の実習で、急性期の大病院に配属になった。
その時に担当していた患者さんの一人に、末期がんの患者さんがいた。
何度目かのリハの時、唐突に「もう死にたい」とポツリとつぶやいた。そして「でもこんな俺でも懸命に頑張ってくれるあんたは優しい」と言った。
医療従事者なら、ここで激励の言葉をかけなければならないのだろう。しかし、ただ手を握ることしかできず、何も言うことが出来なかった。この瞬間、私に医療職は向いていないと悟った。

実習の間、ずっと考えた。
自分の今まで正しいと思っていた「人を助ける」という行為は、本当に人を助けていたのか?医療者が目指す姿と患者が目指す姿が必ずしも一致するわけではないことを再認した。私がこれから歩もうとする道は、自己満足であり、本当の意味で人に寄り添うことになるのだろうか。

私は心身両方を壊し生活がままならない経験をしている。
精神を病んだときの葛藤も、調子の悪い体を無理やり引きずって生活をするしんどさもそれぞれにある量りしれない地獄を経験している。経験しているからこそ、他者の地獄を理解出来ないことを知っている。
感情や経験は自分だけのものだ。それは、教科書に載っている図や文章を覚えることで知ることはできないと思っている。だから、治療に消極的な患者さんに対して、激励はできない。そういう強さが無い私のような人間はこの業界では生き抜くことはできないし、良い医療従事者にはなれないだろうと思った。そうして別の道を選んだ。

これだけは言っておきたいのだが、私は医療職はとても素晴らしい仕事だと思っている。自分が大学生活を捧げたこの学問に対して誇りを持っている。私自身、たくさんの医療従事者の方々に助けられて今ここに生きている。本当に感謝しているし、敬意を抱いている。ただ、私がいるべき場所はここではなかったという話だ。決して医療職を否定したり貶めているわけではないことだけはわかってほしい。

私の恩師が浪人時代に「二流は多弁だが、一流は寡黙になる」と言っていた。この言葉はわたしのお守りになっている。
経験はたくさんの知見を持たせてくれるがその分足枷も増える。さまざまなことを知って、考え、沈みかけた時、この言葉が私を支えてくれる。その選択も正解のうちの一つ。そもそも正解なんてないのかもしれないが、出した答えが、現時点での私の正解だ。

これを書いている今も相変わらず調子は悪い。メンタルもぐちゃぐちゃだ。
でも、今日も頑張ろうと思えるのは、この病気になり、得たものの上に今の私がいると知っているからだ。。
本当の強さとは、負の感情を全部抱えたうえで前を向こうともがくことで生まれるものだと信じている。全てが私の強さになるという思考こそが私の何よりの強さだと思う。

元気になったら、友達とお酒をのみに行きたい。飛行機に乗って遠出をしたい。突発的に星を見に行きたい。今はそのためのしばしのお暇だと思うことにしよう。

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