見出し画像

9月の自選俳句。

竹座さの そよくがごとく 秋の海

朗読図書をポストまで返しに行くために久しぶりに浜辺の近くを通った。
それで波の音がすっかり秋のものにかわっていることに気付いた。
さやさやとまるで竹ざさがそよいでいるように波の音が響いていた。



秋の波 伸びするごとく 岸辺打つ

帰りに浜辺に寄って少しの間海を眺めていた。
ゆったりと湾内に打ち寄せる波はどうやら左側の岸に最初に到達してから右手の岸へ寄せているようだ。
それがまるで人が両手を上に伸ばして大きくのびをしているように海が岸辺へ手を伸ばしているように感じられた。


草ぐさは 波を恐れず 秋の海

久しぶりに浜辺に出てみると、ホテルの前の砂浜に生えていた小さな草原が畳五・六枚程度の大きさに広がっていたことに驚かされた。
このまま砂浜全体に広がっていくのか、それともとこかで止まるのか。案外濡れた砂地まで距離は無い。


虫の音の きらら眩く 熱帯夜

虫しぐれ 波音遠く 従えて

一畳の 庭にも今宵 虫すだく

虫しぐれ は虫の鳴き競う様子を時雨(しぐれ)に例えたもの。
虫すだく は秋の虫が集まって鳴いている様子を現わす。


アクビシテ ほらが峠の 秋の雲

洞ヶ峠(ほらがとうげ)は、京都府八幡市八幡南山 と大阪府枚方市高野道・長尾峠町境にある峠。
天正10年(1582年)、本能寺の変の直後に主君織田信長を討った明智光秀の軍と羽柴秀吉の軍が山城国山崎において激突した(山崎の戦い)。
この時、明智・羽柴の双方から加勢を依頼された大和の大名筒井順慶は、一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、最終的にはどちらに付くか日和見をしたとの伝説があったため、日和見する事を洞ヶ峠あるいは洞ヶ峠を決め込むと表現する事がある。


立ち話 九月の雨にとどまれり

日照り浜 古きレコードのごとく 雨沁みぬ

一つ気異常も雨の降らない日が続いて、砂浜は乾ききっていた。そこに久しぶりの雨が。
砂浜がパチパチ音を立てて雨を吸っていく音が聞こえた。


台風の 洗濯難民 北上す

2019年9月9日の台風15号による千葉県の停電は当初の予測に反して長期に及んだことはニュースなどで知られるところだが、地域によって被害の程度はかなり異なっていた。
私の住んでいる御宿町などほどんど停電の被害はなかったのだが、南にくだった鴨川市や南総市などは長期にわたる停電に見舞われた。
停電となると困ることの一つは洗濯である。
洗濯物をかかえた婦人たちが御宿町やいすみ市などのコインランドリーに殺到したのだった。
この現象に私は難民のひな型を見たような気がして洗濯難民と名付けてしまった。


台風の 三日ほどして コトコトと

私のところの外房線も台風の影響でしばらく止まっていた。
それが三日ほどしたある日 風に乗ってコトコトと列車の行き過ぎるのどかな音が聞こえてきて、ようやく外房線も開通したことを知ったのだった。



砂だまり シャベルの音や 鰯雲

台風9号の爪痕がまだ町のそこここに残っている。修理のされないままに壊れたままの屋根もある。
ひさしぶりに晴れ間ののぞいた日、近所の駐車場で砂だまりをシャベルでかき寄せる音が響いていた。


あれは 祭囃子か トルコの軍楽か

それがひとたび聞こえてくれば 家の中のどこにても注意力を傷害し思考を乱さずにはおかない強い祖協力を持った音である。
それが祭りとは無縁な者にしても無縁であるがゆえに逆に異邦人が聞くトルコの軍楽隊の行進曲のような響きを持って聞こえてくるのだった。


送り出す 母がいて 子は祭り笛

子神輿の 合いの手優し 大人衆


葡萄棚 五句
山梨県 勝沼にある シャインマスカットの葡萄棚にて

頭を下げて 世界に入れり 葡萄棚

風も時も たゆたっており 葡萄棚

豊満を 紙に包んで 葡萄棚

一房を二人で分けし 葡萄棚

秋の蚊の 木漏れ日受けて 葡萄棚

音速の 蛇穴に入る リニアかな

山梨県大月にあるリニアモーターカーの実験線見学コースを訪れる。
リニアモーターは車高が低く細長い。
先端は水鳥の嘴のように細長いが、全体的には蛇を思わせる。
それが線路から10センチほど浮上して走るのだが、陸上に在るのは束の間で一瞬富士を仰いだと思えばすぐに地中に入ってしまう。
蛇 穴に入ずは秋の季語


深々と 烏鳴き交う 苅田かな

秋の烏についてはこれまで俳句ではほどんど採り上げられることがなかったが 秋の朝の空に悠然として鳴きかわしている烏の声は印象的である。


とびの声 空の深さを教えけり

鳶ともとんぴとも言う。ピーヒョロと鳴きながら悠々と空を旋回する。
四季にかかわらずいつでもいるが、秋の空がもっとも似合っているような気がする。
こちらでぴーひょろ少しまを置いてまたピーヒョロと鳴くと 空に奥行のあることを感じさせてくれる。


参道の 小さき豆腐屋 秋の色

秋の色とは秋の風景の色のことである。和歌では紅葉のような赤や黄色などの具体的な色をイメーージして使う場合が多いが、俳諧になって抽象的に使われることが多くなった。


秋の墓 岡に立つごと 聞こえ来る

秋の彼岸の墓参り。石段を一つ上がってお墓の前に立ったまま手を合わせていると街の音や自然の音などいろいろな音が聞こえてくる。まるで自分が小高い山の頂に立っているかのようだ。


マンジュシャゲ 水清ければ 川に燃

郵便局からの帰りだった。川岸にまんじゅしゃげが咲いていた。
同行していたヘルパーさんが
「川が澄んでいれば水に映ってきれいなんですが。」と言った。
まんじゅしゃげの花は炎の形に似低るといわれる。
堀本 裕樹の句にも まんじゅしゃげ 火刑のごとく 並びおりというものがある。


このごろの 湯浴みの後の 秋うちわ

雨音の やさしやさしと 秋眠る

小座敷に 香りためたる 銀木犀

滑り出す 手漕ぎボートや 秋の湾

午後のティータイム、カーテンを開けると穏やかな秋の海が広がる。
珍しくボートレースなのか、一人乗りの手漕ぎボートが数艇さきを争うように列をなしている。
そういえばライフセービングの競技会があると聞いていたのでこれもその一つなのかもしれない。
彼らはまるて行けのみずすましのように軽快にあじろ湾の海の上を滑って行く。


「秋のようだね」 「秋ですもの」 栗ご飯

しいの実の 一寸法師の 顔をして

しいの実には独特のかわいらしさがある。子供の頃学校からの帰り道にしいのみを集めて木の洞の秘密の場所に隠したことを思い出す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?