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11月の自選俳句。

和太鼓もコーラスも 一つ屋に 文化の日

舞台といふ 山頂に立つ 文化の日

終幕や 静かに暮るる 文化の日

今年(2017年)の文化の日に行われた町の文化祭には二つの団体から参加。昼をはさんで二度舞台に上がり、合唱曲を歌ってきました。
午前10時から午後三時まで十五分ほどの持ち時間で民謡からカントリーダンスまでさまざまなグループが出演。
舞台の上というのは非日常的な空間で時間の流れ方も音の響き方も特殊です。
あれよあれよという間に始まってあっという間に終わってしまうのはいつものことです。


晩鐘の 鳴り止むまでの 木の葉雨

さわさわと 銀杏落ち葉の 墓参かな

風の路 銀杏落ち葉の 走り行く

御宿町 最明寺にて。お墓から近いところに銀杏の大木があり、晩秋になると落ち葉が風に吹かれて降ってきます。


庭先の ギターに人に 冬日より

いい声で 歌えば小春 鳥も鳴く

蕎麦屋 幸七にて。  2017年 11月
千葉県御宿町の山里で自家栽培の蕎麦を楽しむ 古民家蕎麦屋。
併設のギャラリーでは書道展が。これとコラボする形で蕎麦やの庭先で野外コンサートが開かれました。ここでアスナロギター教室の面面がクラシックギターと歌の弾き語りを発表。ゲスト出演として呼ばれた私も二曲ほど弾き語りで歌いました。風も鳴く穏やかな日和で小春日の空気に包まれての野外コンサートとなりました。


客退いて まずは新蕎麦 そば湯から

蕎麦食うて薪ストーブの 暖を知る

そらを得て 旅にいざなえ 芭蕉の忌

芭蕉忌は松尾芭蕉の忌日。元禄七年陰暦十月十二日 旅の途中大阪でその生涯を閉じた。
河合 曾良は芭蕉の弟子で奥の細道の作品で知られる東北から北陸の旅に同行した。
私もそらのような弟子ができて、共に俳句の旅をするのがあこがれである。


ビバルディ 冬が好きとあらば 友となりぬ

イタリアの作曲家 アントニオ ビバルディのバイオリン協奏曲 四季は春夏秋冬の四つの楽曲からなるが、どの楽曲もそれぞれに魅力的でだれもが一度は耳にしたことがあるにちがいない。
その中でも冬の楽曲は冬の晴れた日の穏やかな日和を感じさせるやさしいもので私も大好きな楽曲だ。
ある日知人が少し前に御宿町に移住してきたという女性と話をしたという。そのとき好きな音楽の話になり、「わたしはビバルディの四季のうちの冬が好き」と話していたと聞いて、そういう人なら友達になれそうだと感じた。


冬めいて べったら付けの 耳に着く

寒くなってくると妙にべったら付けが欲しくなる。生協の着け物のページなどを聞いていると今週は出ているなと思ったりする。


葉ボタンの 席空けて 土 あたたかく

葉ボタンの苗を植えるためにプランターに入れたあたらしい土を掘ってクボミを作る。そのときに土がとてもあたたかく感じられた。


唇に 触れるがごとく しゃこ場咲く

数日前に買ったしゃこばさぼてんが一斉にいくつもの赤い花を着けた。
女の唇のように細長いその花弁はさぼてんという名に似あわないほどしっとりとぬれていた。


ガラパゴス 海イグアナの ヒナタボコ

ゾウガメは 島を背負いて 神の旅

陰暦十月一日 全国諸所の神々は男女の縁結びのため伊出雲へ旅立たれるという。これを神の旅と呼び 俳句では初頭の季語となっている。
今回は神の旅のスケールを地球レベルに拡大解釈してみた。
ガラパゴス諸島のガラパゴとは現地のことばで陸カメを意味した。
ガラパゴスゾウガメは世界最大の陸ガメで、体長1.5メートル、体重250キロを上回るものも観察されている。


その日まで 笛習いおり 毒にんじん

ある書物にソクラテスが毒にんじんの入った杯を呷る処刑される寸前までの1日をどのように過ごしたか書いてあった。
それに寄ると、ソクラテスはフルートの練習をしていたのだという。
もう少し上手く吹けるようになりたかったのだという。
彼は死を直前にしてもあたりまえな語句普通の人間であろうとした。それこそが彼の哲学だったのだろうか。


アメ村の車いす行く 冬日照り

テレビのドキュメンタリーを見た。
大阪の三角公園にあるアメリカ村、通称アメ村で毎日車いすに乗ってクッキーを売り歩いている青年がいる。脳性マヒのために原語障害があり、手も思うようには動かない。
お客は彼の背中のリュックからセルフサービスでクッキーを取り出し、胸のポケットに代金を入れる。
新説なきゃ区ばかりではない。いらないと断られることも多い。
金を持ち逃げしたやつもいたという。しかしかれの顔を見にやってくる若者もいる。
番組では、ラジオのリスクジョッキーを目指している若い男性と将来福祉の路を志している女子高生と車いすの彼との交流を映していた。二人の若者はやがて彼にはげまされ自分の選んだ道を進んでいく。しかし車いすの青年にどんな路が開かれているというのだろうか。
それでも彼はアメ村の公園で今日もクッキーを売り歩いている。
このけれんみのなさに感動を覚える。


箱庭の 猫の釣り糸 日短

秋の浜 夕日の扇 広げおり

磯の香も 何時しか消えて 秋の風

サーファーに 波笑いたる 小春かな

渚差す 冬日傾き みかん色

鯵干して 小春日薄く なりにけり

初冬の 鯉跳ねる音 河口前

木枯らしや コの字屋敷の 夢を見る

寝台に だれぞの息ぞ今朝の秋

夜明け前に目覚めた時、自分が寝ている寝台から息が聞こえる。誰の息なのかとはっとする。
試みに自分の生きを止めてみると、その息する音も停止してしまう。
なるほどこれは自分の息の音だったのかと思った。


空低く 雲雀は鳴けり アウシュビッツ

NHKBSでアウシュビッツの収容所についてのドキュメントをやっていた。
彼女はバイオリニストで、命令により、アウシュビッツのユダヤ人収容所でガス室に向かうユダヤ人が自分の行き先に対して疑惑を持たないように軽快で楽しげなクラッシックの音楽を演奏するオーケストラの一員を勤めていたという。
戦後は同じ境遇にある数少ない友人との交流を除けば孤独な半生を送ってきたようだ。
その彼女が晩年を迎えて再びアウシュビッツを訪れた時、雲雀がさかんに鳴いていた。
それが私には空の低いところで鳴いているように聞こえた。


台風の りんご届かず りんご買う

生協で頼んでおいたりんごはタイ風のせいで注文の数がそろわないという。
七つほど注文していたのが届いたのは二つばかり。
冬ばれの日、母親は街へりんごを買いに出かけて行った。
2004年


チリ鍋の豆腐壊さぬ 一工夫

鍋の中の豆腐を壊さぬように箸で掴むのは中々難しい。
なぜならキャベツやら昆布やらいろいろなものが混じっているからだ。
私がそう言うと、母親は皿の中から豆腐だけを左隅に寄せて「これなら大丈夫でしょう。」と言った。
それから今度は竹串を四本ほど括って、ホークのような物を作ってくれた。
この方が力が分散して豆腐が壊れにくいという。なるほどそうであった。


ざわめきも 空に吸われて 摩天楼

2011年、
横浜のランドマークタワーの七十階の展望台に上がる。
エレベーターの中で高い山に上がったときのように耳がキーンとする。
同行の人に 展望台の感想を俳句にするとと言われて さてと思った。
もちろん展望台の風景は私には見えない。
耳を澄ます。
ざわざわという静かなざわめきが展望台のガラス張りの空間を満たしている。
ここまで上がってくると話声もなんとなく控え目になり、小声になっている。
みなの呼吸が浅くなっているのかもしれない。
そう感じたときにこの句ができた。


差し迫る 十一月を ほぐしけり

ホームセンター 出でて冬めく 大気かな

ホームセンターという場所はデパートやスーパーマーケットとは違って、店内はどこか閑散として殺風景である。
しかしそれだけに空気感というものを感じさせてくれる。
買い物をすませて外に出ると、駐車場まで広いスペースがあってそこでは空を感じさせてくれるところだ。


三浦港 水産高校 鮪船

2016年、
町の身体障害者福祉会の日帰りバス旅行で神奈川県の三浦市を訪ねた。
ここは三浦大根と鮪で有名なところである。鮪や地元の野菜などが売られているお店の裏手はすぐ港になっていて 車いすの滝口会長と少し散策した。
丁度 宮崎県の水産高校の実習船が着港していた。
なんでもハワイでの実習を終えて 収穫した鮪をここに荷揚げしているところだという。
収穫した鮪をホークリフトで下ろしている音が周囲に響いていた。


小春日や 正午の知らせ 船上に

船の荷揚げ作業を眺めているとチャイムの音がした。正午のアナウンスが流れた。
女性の声で昼の休憩時間が来たので作業をやめて船から上がるようにと言っていた。
その淡々とした口調が船員たちの規則正しい生活の一端を感じさせた。
船の暮らしにおいては食事が最高の楽しみだといわれる。
これから期待の昼食が待っているのだ。


鋸山へ 船ズンズンと 冬の湾

冬夕焼け 波止場にゴルファー 隊列す

日帰りバス旅行の帰りは久里浜(神奈川県)から金谷(千葉県)を結ぶフェリーボートに乗船した。
到着地の金谷はハイキングコースとして有名な鋸山(標高 329.4 m)の近くである。
40分ほどかけて静かな東京湾を滑るように船は渡っていく。
波を切ってズンズンと確実に前進していくところが まるでケーブルカーに乗って山を登っているような感じを思わせた。


突堤へ 十一月の 波届く

突堤に 車椅子押し 冬に入る

2018年、
車椅子の知人が今年入院し ひどく体調をくずしているという話を聞いた。
昨年の今頃彼に誘われて港の突堤に散歩したことを思い出す。あのときは一人で坂道を上がっていけるほど元気だった。
私に車椅子を押させて「まっすぐとか右とか、左に」とか言って指示を出しながら突堤までの道を進んでいく。
道路から少し下って港の突堤に入る。幅の狭い突堤の道の両側には波がゆるく打ち寄せている。
方向を誤れば海に落ちてしまうかもしれないのだが、車椅子を押す手にじんわりと汗が出る。
彼はそこで釣り糸を垂れている男性に「何か釣れましたか。」などと気軽に声をかける。
「いや、今日はこれだけですよ。」などと釣り人はビニールの袋にいれた数匹の魚を掲げてみせる。
「ちょっとこの人にそれを触らせても良いですか。」と知人は訊ねて、釣り人がうなずくと 私の手をビニールのさかなに導いた。
突堤を一巡りしてまた道路に戻る。傾斜を上って一般道に戻ると私は少しほっとする。
知人は足の悪い人間と目の不自由な人間が力を合わせて歩いているということをどこか誇らしげに感じているようだった。


懸け橋の 真ん中を渡り ツワの花

小春日の 空気持ち寄り 音楽会

堀に手すりのない小さな橋が架かっている。
そこを渡って行く民宿で行われた音楽会にて


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自由律俳句

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