帳尻が合えば良いのか

良くはないです。

ここ数年で丸々太ってきた同僚が、最近トマトばかり食べている。
トマトはさして好きではないらしい。そればかり食うのは、ダイエットしたいが栄養バランスを考える労力と金が惜しいためだそうだ。
彼は 体にいい食事=野菜 が常に成り立つと思っている。そしてビタミンについて大体どれも一緒だと思っている。
ドラッグストアの栄養補助系コーナーではプロテインしか吟味しないタイプだ。B群を見て「番号が飛びすぎでは?」などと思ったこともなさそうである。

私も人のことは言えない。
凝った食事を作るのも好きだが、それはせいぜい週に一回くらいのもので、ほかの日は最終的にいろんな種類のものが腹に入れば良いんだろくらいに思っている。
それはちょっと違うだろうと察してはいるが、見ないふりをしている。見ないふりをして、朝に焼き魚と卵を食い、昼にラーメンと白飯を食って、夜に大量の野菜を摂る。

私も含め、栄養学に疎い人間にとってトマトは万能であるかのように輝いて見える。わかる。
トマトはリーズナブルである。加熱しなくても食べられる。なんなら丸かじりでいける。
リコピンなるものが含まれていて、どうもそれは体に良いらしい。あと色の濃い野菜は栄養価が高いみたいなイメージがある。
そして単純においしい。

私はスギ花粉症なのであまりトマトを大量に摂取するわけにもいかないのだが、花粉症と無縁だったら無限に食べていた。

たまに世間では、料理は親から受けつぐものというような言い方をするが、私は、少なくとも栄養に対する意識はほとんど受け継がなかったようである(親の名誉のための記述)。親は私とは違い、一人でも栄養バランスの取れた食事を考えて作る、食事意識高人(造語)達だ。

と、思っていた。

と、思っていた、と突然過去形になったのは、母が昔時々ぼやいていた言葉を今になって思い出したからである。

「宇宙食でエエわ」

そういえばそんなこと言ってたわ。栄養を考えて食べるのがめんどくさいって。

それじゃ食事の楽しみも何もあったもんじゃないと幼い頃は反論したが、気づけば私もそんなことを言える食生活ではなくなっていた。
宇宙食でいいと言いながらもなんだかんだ作って食べる母に対して、朝昼晩で帳尻が合えば好き放題に食ってもいいと思っている子供が何を言えるだろうか。

そういえば、例のトマト同僚はちょっと前まで泡立て前のホイップをそのまま飲んでいた。プロテインみたいな用途だったらしい。
その前は完全栄養食を毎日食べていた。
その前は作りすぎたクッキーを消費するために朝昼食っていた。

胃に対してなぜそんなバイオレンスを、と思っていたが、実は彼も三ヶ月くらいのロングスパンで帳尻を合わせているのかもしれない。


帳尻が合えばいいのか。

いや、そもそも合ってないだろ。

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